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2021年8月23日 (月)

news「みなもと太郎氏逝去」

  
 
みなもと太郎さん死去 連載40年超「風雲児たち」未完 リイド社追悼「ご功績に対する心からの敬意」
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歴史漫画「風雲児たち」などで知られる漫画家、みなもと太郎(みなもと・たろう、
本名浦源太郎=うら・げんたろう)さんが7日午前2時17分、心不全のため東京都内の病院で死去した。
74歳。京都市出身。20日、リイド社が公式サイトで発表した。「風雲児たち」の続編「風雲児たち 幕末編」
を「コミック乱」(リイド社)に連載中だったが、肺がん闘病のため昨年7月から休載。
未完となったものの、同社は「続刊等につきましては発表の準備が整いましたら、ご案内いたします」とした。
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8/20(金) 13:36 スポニチ


 みなもと太郎さんとは随分前だが居酒屋でお会いしたことがある。
氏を敬愛していると思われる取り巻きの方々と楽しそうに談笑されていた。

 せっかくの機会だったのでタイミングを計って一言だけご挨拶させて頂いた。

「これからも楽しみにしています。どうかお体にお気をつけて」

とご挨拶すると

「どうも有難う」とWebでも追悼で掲載されているあのお優しい笑みで
返してくれた。

 氏の遺した作品と諸発言、エッセイ漫画などはどれもゼロベースで自身が
体験し考えたことが判り易い表現と絶妙なユーモアと博識で裏打ちされ
展開され何度も読ませ、考えさせられることが多々あった。
 
 これからも日本のサブカル、映画、書評、等々に少なからず影響を
与えていくことだろう。
 
 お疲れ様でした。どうか安らかに。

 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 


 

 

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2021年7月10日 (土)

news「熱海土石流、行政責任検証へ」

   
 
熱海土石流、行政責任検証へ 盛り土届け出の手続きなど
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 静岡県熱海市伊豆山(いずさん)の土石流災害は、発生現場付近で
崩落した盛り土の造成の経緯が注目されている。県は今後、県と熱海市の
行政責任も含めて検証する。原因究明の中心になっている難波喬司副知事は
「川勝平太知事と斉藤栄・熱海市長は一切、隠すなという方針。結果、
行政の責任を問われる可能性もあるがやりたい」と語る。検証の中立性に
疑念を持たれないように第三者に意見を求めることも検討する。
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毎日新聞7/10(土) 15:59配信
 

 もの凄く久しぶりの「良記事」というやつ。


難波喬司副知事は「川勝平太知事と斉藤栄・熱海市長は
一切、隠すなという方針。結果、行政の責任を
問われる可能性もあるがやりたい
」と語る。

 『当たり前』の事が全く機能しなくなってしまった、或いは元々
機能していないことが露呈した我が国の現状。
 

 川勝平太(かわかつ へいた)氏 現静岡県知事(72歳)
 難波 喬司(なんば たかし)氏 現静岡県副知事(65歳)
 齊藤 栄(さいとう さかえ)氏 現静岡県熱海市長(58歳)

 
 閉塞感に満ちて危険水域にある社会状況を少しでも浄化する役割を
担っていることもきっと自覚していることだろう。
 
 特に難波 喬司氏は土木技術のプロでもあり、科学者としての矜持も
十分に持っておられる方と思われるので今後の活躍に大いに期待したい。
 

 貴方たち三人で今とこれからの国政を変えることも全くもって可能です。

 新しい(本来当たり前の)基準を創ることが可能です。

 貴方たち三人は今、「歴史」の地平に立っておられます。

 冷静沈着に頑張って頂きたい。

 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 


 

 

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2021年4月29日 (木)

news「火星への旅は「生きて帰れない可能性も」 イーロン・マスク氏」

 
 
火星への旅は「生きて帰れない可能性も」 イーロン・マスク氏
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火星への移住計画を目標に掲げる米宇宙企業スペースXの創業者、
イーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は先週、火星への有人飛行について、
「生きて帰れない可能性もある」と改めて警告した。

マスク氏は米Xプライズ財団を率いるピーター・ディアマンディス氏との
インタビューで、火星への旅について「乗り心地は悪いし、長旅になる」
「恐らく何人もの死者が出るだろう」などと発言。「だれにも強制するつもりはない。
希望者に限る」と述べた。

同氏はこれまでも、火星への飛行にともなう危険性を強調してきた。
昨年8月のオンライン会議でも、スペースXによる有人火星飛行計画の初期に
「命を落とす可能性も十分ある」と語っていた。
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4/28(水) 13:31配信 [CNN.co.jp]

 
ごく近い将来、火星に出発する人類がきっと出現する。早ければ10年以内だろう。
イーロン・マスクのスペースXによれば2026年とのこと。もう本当にすぐの話だ。
 
火星に旅立つ人、火星に降り立つ人、地球に帰還する人、火星に『移住する』人、、
もうすぐ確かに出現する。移住はまだ余りに楽観的だが一定期間暮らすだけなら
可能だろう。

同記事では、南極探検家のアーネスト・シャクルトン(1874-1922)が出したと
する探検隊員募集の新聞広告と比較している。

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広告には「危険で低賃金、極寒、何カ月も続く暗闇」などの文言が並び、
無事に帰れる保証はないが成功すれば名声が得られると書かれていた。この求人には5000人以上の応募があったと伝えられる。
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スペースXの募集にはどれだけの人々が応募し候補となることだろう。
火星への移住の準備が整う日はいつになるだろう。
その時、「地球」とそこで暮らす人々の状況はどうなっているだろう。
月はどうなっているだろう。どうなるだろう。


号砲は、確かに鳴った。

 

 

 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 

 


 

 

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2020年7月18日 (土)

news「三浦春馬さん死去」

 
 俳優の三浦春馬(みうらはるま)さんが亡くなられた。享年30歳。個人的には
女史プロレスラーの木村花(きむらはな)さんが今年の5月に亡くなられて以来の
大きな衝撃と哀しみだ。

 「永遠のゼロ」(2013)での現代パートでの青年健太郎役の演技は小気味よく
どのシーンも気合いが入っていて同時に現代の若者特有とも思える繊細さが
滲み出ていて大きな好感を持った。
 
 テレビで特集が組まれていた時に見せていた演技や将来について熱く語る姿勢は
余りにも熱過ぎて熱心過ぎる点に危うさも感じ、「こんなに若くてこの勢いで
走り続けていきそうだけど大丈夫なんだろうか」という思いを持ったが杞憂だろう
思った。
 
 動向について余り詳しくもないというよりほとんど知らない自分でも
「気配りし過ぎるほどの気配り屋さん」なんだろうという雰囲気が確実に垣間見えた
青年だった。

 エッジを利かせすぎて早くに潰れないで欲しいと思った。ユーモアも、恐怖も
優しさも自在に表現できる凄い俳優にきっとなるだろうと思った。松田優作に少し
というかかなり似ているとも思った。
  
---
 明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、
 職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを
 犯さない訳じゃないと思う。国力を高めるために、少しだけ戒める為に
 憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…
---

 今年の1月29日に投稿されたというしたという三浦さんのツイートだ。
まるで木村花さんの悲劇も予言したかとも思える心境の吐露。

 木村花さん(享年22歳)との共通して見られる点と言えば『優しさ』なの
だろうかと思わずにはいられない。

 多くの人が誰かに、何かにぶつけてしまうであろう何事かを二人は決して
それを許さずに、かと言って無かったことにも見て見ぬ振りも出来ずに
自分に向けてしまったのかもしれない。半端ではない『優しさ』を持って
しまった故なのかもしれない。

 彼、彼女の死でこの世界のこれからは随分と詰まらなくなってしまった

 木村花さんの試合を生で観てみたかった。名前通りの華やかさで
多くの人々を魅了し女史プロレスの歴史を大きく変えたかもしれなかった
のに。

 三浦春馬さんの熟成されていく演技と生き様をスクリーンで観たかった。 
邦画になくてはならない人材となっただろうに。いや既にそうだったのだろう。
 
 
 憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか

  
 せめて、三浦さんの遺したこの言葉を胸に刻んで、心と頭のどこかに
常に置いて生きていこう。これから先の悲劇を少しでも減らす為に。

 無意味に追い詰められて消えていく命が、犠牲者がこれ以上増えないように。

 二人とも、どうか安らかに。 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年5月19日 (土)

news「星由里子死去」

  

星由里子さん、今年春に肺がん判明も映画2本撮影
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 映画「若大将」シリーズのヒロイン役などで知られる女優の星由里子
(ほし・ゆりこ)さん(本名・清水由里子=しみず・ゆりこ)が
16日午後11時5分、心房細動と肺がんのため、京都市内の病院で亡くなった。
74歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、お別れの会を開く。
今年に入って肺がんと分かったが、入院はせず、3月まで新作映画の撮影に
参加するなど、最後まで女優を通した
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2018年5月19日7時29分  日刊スポーツ
 
 
星由里子さん、急死 3月には元気に映画撮影も…
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 映画「若大将シリーズ」のヒロイン・澄子役で親しまれた女優の星由里子さん
(本名・清水由里子)が心房細動及び肺がんのため、16日午後11時5分、
京都市内の病院で亡くなった。74歳。18日、所属事務所が発表した。
葬儀は身内で営み、後日「お別れの会」を開く。

 星さんは「東宝シンデレラ」の出発点ともいうべき「ミス・シンデレラ娘」の
第1回優勝者。当時を知る関係者は「星さんの活躍があったから沢口靖子らが後に
続くことができた。星さんなしに東宝シンデレラの成功はなかった」と明かす。
以後、華やかさと清楚(せいそ)さを併せ持つ東宝の看板女優として活躍。
「若大将」シリーズの澄子役は星の代名詞となった。
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2018年5月19日6時0分  スポーツ報知



 「清楚」という言葉がこれほど似合う人も稀だろう。

星由里子が出てくると、"安心"・"平穏"とい空気が画面に醸し出される。
だが、星の魅力は、ただそれだけではないという点にもあったのではないか。

 特撮映画、SF作品との相性が良かったのも星由里子の端正な姿勢にも
あったのではないか。


「斬る」(1968)
「千曲川絶唱」(1967)
「世界大戦争」(1961)
「妻として女として」(1961)


 フランス映画の諸作品に見られる人の内面に斬りこんでいき人間としての
"形"が顕になっていくような作品に出演したとすれば星由里子という人は
きっと輝いて演じられたのではないか。

 鑑賞した作品の中では「千曲川絶唱」での彼女はとても輝いていた。

 清楚で、男に阿らない、正義と道徳を知っていて、ユーモアも持ち合わせてる。
そんな役を演じられただろう。そんな作品には、生涯で出会えたのだろうか。

 これからも星由里子と作品を通して出会いたい。

 お疲れ様でした。ありがとうございました。 

 

[星 由里子]
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星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日[1] - 2018年5月16日)は、
日本の女優。東京都千代田区鍛冶町出身。身長164cm。千代田区立今川中学校
を経て精華学園女子高等学校卒業[1](吉永小百合は1年後輩)。
所属事務所は東宝芸能。

成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品から
アクションまでをカバー。

世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない
庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さん
イメージを代表する1人とされた。同路線の先輩には司葉子がおり、
映画衰退期に差し掛かったこともあったが、怪獣映画にも出演したことから
子供たちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。
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(ウィキペディア日本語版)[2018年5月19日 (土) 04:38 UTC] 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年7月29日 (土)

news「堀禎一監督死去」

  
 

東大卒の映画監督・堀禎一氏47歳で死去…腐女子のラブコメディ
「魔法少女を忘れない」など
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 東大卒の映画監督の堀禎一氏が18日午前にくも膜下出血のため
東京都新宿区の病院で死去したことが19日、分かった。47歳だった。
今月公開された「夏の娘たち ひめごと」が遺作となった。

 堀氏は03年にピンク映画「SEX配達人 おんな届けます」で
監督デビュー。腐女子のラブコメディ漫画を実写化した「妄想少女オタク系」
などがある。また静岡県内の集落の製茶工場などを定点観測した
ドキュメンタリー作「天竜区」シリーズがある。
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2017年7月19日17時48分  スポーツ報知

 

 傑作に出会う時の自分的な前振れは、「(面白いであろう)確信」ではなくて、

『何となく、どうにも気になる。』

である。

 ポレポレ東中野で7月1日より同月21日まで行われた「堀禎一特集」は
将にこれまで通りにマイ・アンテナが"前振れ"て六月の終わりに三回券を2枚
購入し滞りなく観に行けるように仕事の調整にも入っていた。
(実際にはいつも通りに滞ったが、譲れない作品は何とか観れた)

 堀禎一という人と、名前を知ったのはその時が最初だった。

 最初に観た作品は「笑い虫」(2007)だった。期待通りの発見があった。
監督自ら入口で一人一人に丁寧にお辞儀をして前口上も務めていた。

 「物静かな人だ。」堀監督の第一印象はそうだった。しかし、ゆっくりと発言される
一つ一つの言葉に何とも言えない力強さを感じた。

 次に観たのは「魔法少女を忘れない」(2011)だった。

 『新しい』と思った。若者達の描かれ方、構築されている"大気"は自分の
描いてほしいと思っていた「それ」にかなり近かった。いつまでもそこに居たいと
思った。自分の高校生の頃を思い出して数日間幸せな気分に浸れた。

 日本には凄い監督がいたんだと思い感激した。

 次に「憐 Ren」(2008)を観た。少しだけ退屈だった。しかし、その日の堀監督の
トークは冴え渡っていた。「魔法少女を忘れない」について熱弁を奮った。何度か
爆笑した。堀監督は幾つかの重要なキーワードを繰り返し口にした。

 「なるほど。そういう考え方もあるのか。」と得心した。

 ずっと「忘れない」だろうと思った。

 新作「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)の予告編を観た。傑作のオーラが
終始画面に出まくっていた。その日は新作に主演している西山真来さんも
観客として来場されていた。画面上よりもさらに素敵な大人の女性を感じさせる
雰囲気を醸し出していた。

 感動して友人にメールを出した。これからまだ数日通うのだと思うと嬉しくなった。

 静岡県浜松市にある集落を定点観測した連作ドキュメンタリー「天竜区」シリーズ
を観た。どれも傑作だった。傑作である自分的鉄則の定義

 『いつまでも観ていたい"絵"』

 が延々と続いていた。そして、監督の天竜区に住む人々と犬への眼差し
(犬の監督達への眼差し)の執着と暖かさに満足した。

 遂に「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)を観た。完成された世界が広がっていた。

 諦観と、嫉妬と、憎しみと、愛情の渦巻く「ごく普通のこの世界」が余りにも自然に
描かれていて感動と同時に畏怖した。

 「今後、手伝えることが自分にあれば手伝いたい。」

 「堀禎一作品が上映していればいつでも観に行こう。」

 そんな事を考えながら帰宅する日々だった。

 幾つか見逃したが、 これからさらなる新作も作られるだろうし、特集上映で
観る機会もあるだろう。何十年も活躍してほしい。活躍するだろう。きっと現代の
巨匠となるだろう。

 ロビーで話しかけて欲しそうに立っている堀監督に軽く会釈をして劇場を
後にした。

 また今度、きっと話す機会もあるだろう。堀監督は40代後半でまだまだ若いし
気さくな感じだし、トークショーの感じでは精力も体力も存分にあり、体調もすこぶる
良さそうだった。急ぐ必要はない。

 そう思いつ日程は終了し、リアル社会に復帰した。
 
 

 堀監督が亡くなっている。凹凹凹 

 

 友人から来たメールは俄かに信じがたかった。

 意味が分からなかった。

 そんなはずはないじゃないか。

 とても元気そうだったし、思慮深く、慎重に生きている雰囲気もあった。

 しかも、快濶に話されていたのはほんの一、二週間前のことだ。

 何かの間違いだろうと思いたかった。

 自宅に帰って、慎重に検索すると、果たして亡くなられていた。

 恐ろしく、不覚にも

 「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)

 「Making of Spinning BOX 34DAYS」(2012)

 を驚嘆と嬉しさが何度も交錯の中で夢中で観ていたその時にはもう堀監督は
冥府に旅立たれていたのだ。

 日本の映画界はこれで少しは安泰だ。 

 堀監督は、現代の成瀬己喜男になれるかもしれない。

 既に堀禎一のいなくなった世界に生きている事も知らずに、そんな事を考えて独り
満足していた。  
 
 
 堀監督、そりゃ、ないよ。

 余りにも早すぎる。 

 たった一ヶ月前に現れて、永遠に去っていくなんて。 
 

 早すぎるよ。堀さん。

 寂しい、つまらない世界になるよ。 

 でも、頑張ってみるよ。 
 
 
 ありがとうございました。 

 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年7月17日 (月)

news「ジョージ・A・ロメロ監督死去」

  
 

「リビング・デッド」のロメロ監督死去 ゾンビ映画の原点
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ゾンビ映画というジャンルを確立したジョージ・A・ロメロ監督が16日、死去した。
77歳だった。肺がんと「短く、しかし激しく戦った」末に眠りながら亡くなったと、
マネージャーが明らかにした。

マネージャーのクリス・ロー氏によると、ロメロ監督は妻と娘に囲まれ、
自宅で「一番大好きな映画の一つ」の「静かなる男」の音楽を聴きながら
亡くなったという。ロー氏が米業界紙バラエティに語った。

米国出身のロメロ監督は1968年、ゾンビ映画シリーズの第一作となる
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を製作。公開当時は残酷だと
批判されたが、カルト的人気を得て、その後のホラー映画やゾンビ映画のひな形となった。
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2017年07月17日 13:16 BBCニュース

 

 『ゾンビ映画』と言えば、自分にとっては諸作品よりも"大学時代の友人君"が
先に思い出される。

 学生時代の某日、友人君が貸してくれたのは多分、 

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968)だったと思う。

 バイト漬け徹夜明け同然で観たことに加えて、鑑賞直後の電話越しの友人君の
"熱すぎる"解説が作品を鑑賞した記憶と並走に自分の脳内メモリーに記録されて
いることと、その解説は自分にとってはかなり正鵠を射ていたため作品自体はよく
覚えていないまま現在に至る。

 「観た?感動でしょ?」と友人君は熱く電話口で語り続けた。

 「うん。最高だった。」自分は答えた。

 友人君が最も感動した点は、『資本主義社会への反逆』といった視点だった。

 それは、後日、拙宅で改めて友人君が語った「ゾンビ映画」への賛辞においても
同じだった。

 そう、ロメロ監督の作品のテーマは『反逆』であり『革命』でありある種の『下剋上』
だったのだろう。

 死んでいる者が生きている人間を喰らう。脳を吹き飛ばす以外に倒す方法はない。
これほどの現代科学社会への反逆もあるまい。

 そして、生きている人間はこれ幸いにとゾンビ狩りを口実にマン・ハントを
お互いに始め、あらゆるルールと法を『ゾンビの覚醒』を理由にして拒否し始める。

 初期の作品「THE CRAZIES」(1972)において、主張したい事は全て描けていると
いってもいいだろう。しかも同作品のオープニングの数分においてロメロの
"主張の全て"は集約されていると言っても過言ではないと思う。

 大人になって、満を持して一つ一つのシーンを冷静に鑑賞した「ゾンビ」(1978)は
一言で言えば、「美しい作品」だった。

 ゾンビ達のステップは優雅なダンスそのものに見えた

 人々は「社会構造のひずみ」をそのまま自己が狂人と化すことで存分に責任転嫁
していた。観客は溜飲を下げている自分を観察せざるを得ない事に向き合うことになる。 

 元人間に対して、予備ゾンビ(=自分達)に対してもどこまでもどこまでも際限なく
残虐になれる人間達。逆もまた然り。

 『内省的になる』事。

 『鑑みる』事。

 死者を蘇らせ続けたロメロの希望はこの一点に尽きるのではないだろうか。

"自宅で「一番大好きな映画の一つ」の「静かなる男」の音楽を聴きながら
亡くなった"というのは誤解を恐れず言えば、幸せな最期だったと言えるのでは
なかろうか。

 好きな音楽を聴きながら、或いは、好きな映画を観ながら、死ねるとすれば
それに越したことはないように思う。 

 お疲れ様でした。ありがとうございました。

 合掌。

 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2016年10月28日 (金)

news「三笠宮さま逝去」

  
 

三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟-歴史学者として活躍
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昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父で、古代オリエント史の研究者としても知られる
三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため、
入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。100歳だった。
皇位継承順位は第5位で、明治以降の皇族では最高齢。
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 1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。称号は澄宮(すみのみや)。
学習院初等科、同中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。成年を迎えた
35年に三笠宮家を創立し、41年10月に子爵・故高木正得氏の次女百合子さまと
結婚。太平洋戦争中の43年1月から1年間、支那派遣軍総司令部参謀として
中国・南京に赴任し、終戦時は陸軍少佐だった。
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 戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩んだ。
日本オリエント学会の初代会長を務め、東京女子大や青山学院大の講師、東京
芸術大の客員教授などとして教壇に立ち、テレビやラジオなどにも出演。歴史学者の
立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに
反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を
呼んだ。

 中近東文化センター名誉総裁、日本・トルコ協会名誉総裁などを務め、国際親善を
はじめ、さまざまな分野に貢献。ダンスにも親しみ、普及に尽力した。著書は「帝王と
墓と民衆」「古代オリエント史と私」「わが歴史研究の七十年」など多数。 
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2016/10/27 19:02 時事通信社
 
 
 顔の容と目に昭和天皇の面影がある。昭和天皇は生物学者であったことは、今や
広く周知されていることだがこちらも研究熱心だったとの事。そして、どちらも軍政に
引っ張られていった戦前の日本を憂慮して、三笠宮においては軍の規律の乱れを
厳しく批判し、終戦工作を図るなど行動としてのエピソードが具体的に多く遺る点も
似ている(昭和天皇は実情を覆い隠そうとする戦中の内閣官僚を時には叱責し、時に
は疎んじた。)。平和を重んじ、正義感に篤い点も同じだ。
 
 
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「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた
世の中を、私は経験してきた」と自らが生きた時代を振り返っている。

「文藝春秋」の1951年(昭和26年)12月号でのイギリス女性との対談では
「天皇への敬礼は強制さるべきではなく、各人の判断のままでよい。頭を
下げる人、手を振る人、あるいは知らん顔をしたり、最悪の場合には『赤んべえ』
をしていても、ちっとも構いません」
と発言。
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ウィキペディア「三笠宮崇仁親王」の項から。
 

 この二つの御発言だけを見てもいかに人格者であり、高い見識を持った方であった
かが窺える。
 
 
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と
罵られた世の中を、私は経験してきた」
 
 

 残念ながら今でも充分に通じる言葉であり、我々は常に念頭に置いて、考え続けて
よい言葉ではないだろうか。 
 
 
 お疲れ様でした。どうか安らかに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 




 

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2016年9月 3日 (土)

news「松山善三死去」

  
 

松山善三さん死去=映画監督・脚本家、91歳
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「名もなく貧しく美しく」「典子は、今」など社会派の作品で知られる映画監督で
脚本家の松山善三(まつやま・ぜんぞう)さんが8月27日午後8時41分、老衰のため
東京都内の自宅で死去した。

 91歳だった。神戸市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は養女の明美
(あけみ)さん。

 1948年に松竹入りして木下恵介監督に師事し、「荒城の月」で脚本家デビュー。
55年に女優の高峰秀子さんと結婚。61年、聴覚障害者の夫婦の暮らしを描いた
高峰さん主演の「名もなく貧しく美しく」で初監督を務めた。

 サリドマイド症の被害者本人が出演した81年のセミドキュメンタリー映画
「典子は、今」は、障害者の社会参加を描き話題を呼んだ。他の監督作に
「ふたりのイーダ」「虹の橋」など。

 小林正樹監督の「人間の條件」シリーズの他、「乱れる」「恍惚(こうこつ)の人」、
一般公募に名乗りを上げて選ばれた「人間の証明」など数多くの映画脚本も手掛けた。 
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時事通信 9月2日(金)17時53分配信

 

 「典子は、今」(1981)。自分がこれまで観てきた『映画』の最初期の記憶の一つに
この作品が色濃く刻まれている。タイトルを聞くと今でもちょっとドキっとする。

 子供心に何とも言えず「とても心に痛く、重たかった」作品だ。

 「人間の條件」(全六部作)(1959)。オープニングの荘厳さと作風全体のスケールの
大きさに引き込まれた。シリーズ全作を初見にして一日で劇場で観れたことは今でも
とても幸運な事だったと思う。この作品の鑑賞によって、邦画は十分にパワフルで
面白いもの(面白く作れるもの)なのだと自覚を新たに持てた。

 「乱れる」(1964)。男女の情念というものがあざとくなく描かれ、且つ人生の脆さを
巧みに描いた名作だと思う。成瀬の作品の中でも常に上位に位置し語られていく作品
だろう。

 「ひき逃げ」(1966)。"ひき逃げ"を隠し通そうとする人間と、それを暴こうとする
人間の駆け引きと弱さと強かさ、やがて炙り出されるそれぞれの「業」。地味なテーマと
寧ろ小さいと言える制作規模の作品が最後の瞬間のシーンまで終始スリリングに
描かれ、映画の醍醐味を味わった。この作品において"松山善三"という人は面白さを
保証する作品を提供してくれる人なのだと認識した作品だった。

 「カルメン故郷に帰る」(1951)も、映画固有の面白さに圧倒された作品だ。
映画館で心から拍手を送った最初の作品だったかもしれない。

 「典子は、今」はここ数年のうちに再会する作品だろうと期待し、また確信していた
作品の一つだったが出会うことはなかった。しかし、仮に鑑賞する機会があったとしても
相当に躊躇しただろうというのが正直な気持ちだ。今日以降はきっと観たい。

 松山善三と、その妻となった大女優の高峰秀子(2010年逝去)。この二人がいなかっ
たなら、邦画界は随分と寂しく、全体の景色も違っていたかもしれない。自分の映画の
見かたと傾倒もまた違ったものになったことだろう。前半生の心持ち、人への接し方も、
人の見かたすらも違っていたかもしれない。

 これらのいずれの作品も自分にとって得難い出会いであり、これからの生き方に
影響を与えてくれることだろう。今後も自分を支えてくれる血肉となるだろう。

 松山善三さん、高峰秀子さん、佳作・秀作・傑作・大傑作の娯楽作品の数々を
ありがうございました。これからも愉しませて頂きます。

 お疲れ様でした。ありがとうございました。

 合掌。
 
 

 「典子は、今」(1981) 監督・脚本:松山善三

 「ひき逃げ」(1966) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「乱れる」(1964) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「妻として女として」(1961) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「人間の條件」(1959~) 第一部~四部,完結編 監督:小林正樹 脚本:松山善三 他

 「カルメン故郷に帰る」(1951) 監督:木下恵介 (松山善三は助監督) 

 

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松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は映画監督、脚本家。

神戸に生まれ、横浜で育つ。
1944年、横浜第三中学校(現・神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校)卒業後、岩手医学専門学校
(現・岩手医科大学)に入学するが、1946年中退。雑誌社でアルバイトをしているときに、
斎藤良輔門下の脚本家と知り合い、映画に興味を持つ。

1954年、川口松太郎の原作を映画化した『荒城の月』で脚本家デビューする。
その前年に書いたオリジナルシナリオ『美わしき歳月』も1955年に小林正樹監督で
映画化された。この作品以来、一貫して叙情性豊かなヒューマニズムが持ち味となる。
同年、女優の高峰秀子と結婚する。以後、成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』、
川島雄三監督の『接吻泥棒』、渋谷実監督の『好人好日』、小林正樹監督の
『あなた買います』など多数の脚本を手がける。
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(ウィキペディアより) 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2016年5月15日 (日)

news「元子役、逮捕」

 

元子役、逮捕「警官が彼であることに気付き…」
2016/5/14 13:32
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1986年のディズニー映画「ナビゲイター」でデイヴィッドを演じていた元子役の
ジョーイ・クレイマーが、カナダで銀行強盗を働き、逮捕された。ジョーイは
4月28日、肩までのカツラをかぶり、濃い色のジャケットを着て、カナダの
ブリティッシュ・コロンビア州にあるスコシア銀行を襲ったという。変装して
いたものの、別の事件でジョーイと関わったことがある警官が彼であることに
気付き、ジョーイは5月1日に逮捕された。
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[http://ima.goo.ne.jp/word/72369/
%E5%85%83%E5%AD%90%E5%BD%B9+%E9%80%AE%E6%8D%95?from=gootop_side]

 

 「ナビゲイター」(1986)は10代の頃、大好きだった作品の一つで、上京してからも
人にも勧めたこともある作品だ。子供向けの作品としては、演出全般に無駄がなくて、
映像も音楽も洗練されていた秀作だったと思う。もし今、手元にあればきっと懐かしい
だけでなくて普通に楽しんで最初から最後まで鑑賞することだろう。そして、関心して
ブログに感想を書くことだろう。

 今回、記事自体は残念な事件なのだが、懐かしく思い出しつつ作品情報を改めて
確認すると音楽は何と「バック・トゥ・ザ・フーチャー」他多くの大ヒット作を手掛ける
アラン・シルヴェストリだった。「ナビゲイター」という作品は知らなくても、恐らくこの
作品のサントラの音を耳にしたことがある人は割といるように思う。一度聴いたら
忘れることのない且つ作品の世界観と調和した優れた仕事であった。

 浦島太郎状態となった主人公が人類に友好的な宇宙人が乗ってきたUFOを一緒に
駆って飛び回るシーンや他のCGの出来も当時としては充分に及第点で、心地よい
音楽と飛行シーンの爽快感を味わいたくて少年の当時時折観たものだった。

 同作品の監督を務めたランダル・クレイザーは自分と同世代の人間は恐らく必ず
観ているだろうブルック・シールズ主演の「青い珊瑚礁」(1980)を手掛けていてもしか
したら子供が好きなのかもしれない。

 さて、逮捕されてしまったジョーイ・クレイマーは少年の頃のキャリアから次の
ステップアップが出来なかった末の顛末のようだが、映画やテレビの子役が堕ちていく
(堕ちた)ニュースは日常的であり、最早、一つのカテゴリーを成しているといっても
いいだろう。子役時代に得た所謂代表作なりヒット作なり以降、経済的な苦境に陥った
わけでもないのに人生を転がり落ちていく人もよく目耳にするところが興味深い。

 若い頃にチヤホヤされて、富と名声を手にしてしまうと、なぜ転落していくことが多いの
だろうか。

 転落せずに、キャリアをきちんと再構築して大人になれている人々は大概は、早くに
自覚的に子役時代の自分と決別することにきちんと時間を割いて対応しているように
見える。

 「社会の一員としての人間」形成を肯定するのであれば、経済的な成功と失敗に
関わらず、次のステップに進むための"カウンセリング"が必要であるということを
"彼ら"の人生の足跡は示しているのかもしれない。

 その"カウンセリング"を専門の人間に任せるのか、友人・知人との暮らしの中で自ら
得ていくのか、もっとアグレッシブな選択をするのかのチョイスは、結局は世間一般の
人間と何一つ変わることはない。

 「ナビゲイター」で主役のデイヴィッドを演じ、時が流れ流れて強盗を働いて逮捕
されてしまったジョーイ・クレイマーは自分を含めた世界中に少なからず作品を
楽しんで、そのことに感謝している人間がいて、誰もが知る大傑作とは言わないまでも、
一個人の人生から比較したら大金と時間と多くの人間の労力が費やされた作品に
関わったことについて今一度冷静に考えて、社会の一員であることを自覚して生きて
いって欲しいものだ。

 

ナビゲイター(1986)
90分 アメリカ/ノルウェー
監督: ランダル・クレイザー
脚本: マイケル・バートン,マック・マクマヌス   
撮影: ジェームズ・グレノン   
音楽: アラン・シルヴェストリ   
出演: ジョーイ・クレイマー,ヴェロニカ・カートライト,サラ・ジェシカ・パーカー

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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