ニュース

2018年5月19日 (土)

news「星由里子死去」

  

星由里子さん、今年春に肺がん判明も映画2本撮影
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 映画「若大将」シリーズのヒロイン役などで知られる女優の星由里子
(ほし・ゆりこ)さん(本名・清水由里子=しみず・ゆりこ)が
16日午後11時5分、心房細動と肺がんのため、京都市内の病院で亡くなった。
74歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行い、後日、お別れの会を開く。
今年に入って肺がんと分かったが、入院はせず、3月まで新作映画の撮影に
参加するなど、最後まで女優を通した
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2018年5月19日7時29分  日刊スポーツ
 
 
星由里子さん、急死 3月には元気に映画撮影も…
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 映画「若大将シリーズ」のヒロイン・澄子役で親しまれた女優の星由里子さん
(本名・清水由里子)が心房細動及び肺がんのため、16日午後11時5分、
京都市内の病院で亡くなった。74歳。18日、所属事務所が発表した。
葬儀は身内で営み、後日「お別れの会」を開く。

 星さんは「東宝シンデレラ」の出発点ともいうべき「ミス・シンデレラ娘」の
第1回優勝者。当時を知る関係者は「星さんの活躍があったから沢口靖子らが後に
続くことができた。星さんなしに東宝シンデレラの成功はなかった」と明かす。
以後、華やかさと清楚(せいそ)さを併せ持つ東宝の看板女優として活躍。
「若大将」シリーズの澄子役は星の代名詞となった。
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2018年5月19日6時0分  スポーツ報知



 「清楚」という言葉がこれほど似合う人も稀だろう。

星由里子が出てくると、"安心"・"平穏"とい空気が画面に醸し出される。
だが、星の魅力は、ただそれだけではないという点にもあったのではないか。

 特撮映画、SF作品との相性が良かったのも星由里子の端正な姿勢にも
あったのではないか。


「斬る」(1968)
「千曲川絶唱」(1967)
「世界大戦争」(1961)
「妻として女として」(1961)


 フランス映画の諸作品に見られる人の内面に斬りこんでいき人間としての
"形"が顕になっていくような作品に出演したとすれば星由里子という人は
きっと輝いて演じられたのではないか。

 鑑賞した作品の中では「千曲川絶唱」での彼女はとても輝いていた。

 清楚で、男に阿らない、正義と道徳を知っていて、ユーモアも持ち合わせてる。
そんな役を演じられただろう。そんな作品には、生涯で出会えたのだろうか。

 これからも星由里子と作品を通して出会いたい。

 お疲れ様でした。ありがとうございました。 

 

[星 由里子]
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星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日[1] - 2018年5月16日)は、
日本の女優。東京都千代田区鍛冶町出身。身長164cm。千代田区立今川中学校
を経て精華学園女子高等学校卒業[1](吉永小百合は1年後輩)。
所属事務所は東宝芸能。

成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品から
アクションまでをカバー。

世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない
庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さん
イメージを代表する1人とされた。同路線の先輩には司葉子がおり、
映画衰退期に差し掛かったこともあったが、怪獣映画にも出演したことから
子供たちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。
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(ウィキペディア日本語版)[2018年5月19日 (土) 04:38 UTC] 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年7月29日 (土)

news「堀禎一監督死去」

  
 

東大卒の映画監督・堀禎一氏47歳で死去…腐女子のラブコメディ
「魔法少女を忘れない」など
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 東大卒の映画監督の堀禎一氏が18日午前にくも膜下出血のため
東京都新宿区の病院で死去したことが19日、分かった。47歳だった。
今月公開された「夏の娘たち ひめごと」が遺作となった。

 堀氏は03年にピンク映画「SEX配達人 おんな届けます」で
監督デビュー。腐女子のラブコメディ漫画を実写化した「妄想少女オタク系」
などがある。また静岡県内の集落の製茶工場などを定点観測した
ドキュメンタリー作「天竜区」シリーズがある。
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2017年7月19日17時48分  スポーツ報知

 

 傑作に出会う時の自分的な前振れは、「(面白いであろう)確信」ではなくて、

『何となく、どうにも気になる。』

である。

 ポレポレ東中野で7月1日より同月21日まで行われた「堀禎一特集」は
将にこれまで通りにマイ・アンテナが"前振れ"て六月の終わりに三回券を2枚
購入し滞りなく観に行けるように仕事の調整にも入っていた。
(実際にはいつも通りに滞ったが、譲れない作品は何とか観れた)

 堀禎一という人と、名前を知ったのはその時が最初だった。

 最初に観た作品は「笑い虫」(2007)だった。期待通りの発見があった。
監督自ら入口で一人一人に丁寧にお辞儀をして前口上も務めていた。

 「物静かな人だ。」堀監督の第一印象はそうだった。しかし、ゆっくりと発言される
一つ一つの言葉に何とも言えない力強さを感じた。

 次に観たのは「魔法少女を忘れない」(2011)だった。

 『新しい』と思った。若者達の描かれ方、構築されている"大気"は自分の
描いてほしいと思っていた「それ」にかなり近かった。いつまでもそこに居たいと
思った。自分の高校生の頃を思い出して数日間幸せな気分に浸れた。

 日本には凄い監督がいたんだと思い感激した。

 次に「憐 Ren」(2008)を観た。少しだけ退屈だった。しかし、その日の堀監督の
トークは冴え渡っていた。「魔法少女を忘れない」について熱弁を奮った。何度か
爆笑した。堀監督は幾つかの重要なキーワードを繰り返し口にした。

 「なるほど。そういう考え方もあるのか。」と得心した。

 ずっと「忘れない」だろうと思った。

 新作「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)の予告編を観た。傑作のオーラが
終始画面に出まくっていた。その日は新作に主演している西山真来さんも
観客として来場されていた。画面上よりもさらに素敵な大人の女性を感じさせる
雰囲気を醸し出していた。

 感動して友人にメールを出した。これからまだ数日通うのだと思うと嬉しくなった。

 静岡県浜松市にある集落を定点観測した連作ドキュメンタリー「天竜区」シリーズ
を観た。どれも傑作だった。傑作である自分的鉄則の定義

 『いつまでも観ていたい"絵"』

 が延々と続いていた。そして、監督の天竜区に住む人々と犬への眼差し
(犬の監督達への眼差し)の執着と暖かさに満足した。

 遂に「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)を観た。完成された世界が広がっていた。

 諦観と、嫉妬と、憎しみと、愛情の渦巻く「ごく普通のこの世界」が余りにも自然に
描かれていて感動と同時に畏怖した。

 「今後、手伝えることが自分にあれば手伝いたい。」

 「堀禎一作品が上映していればいつでも観に行こう。」

 そんな事を考えながら帰宅する日々だった。

 幾つか見逃したが、 これからさらなる新作も作られるだろうし、特集上映で
観る機会もあるだろう。何十年も活躍してほしい。活躍するだろう。きっと現代の
巨匠となるだろう。

 ロビーで話しかけて欲しそうに立っている堀監督に軽く会釈をして劇場を
後にした。

 また今度、きっと話す機会もあるだろう。堀監督は40代後半でまだまだ若いし
気さくな感じだし、トークショーの感じでは精力も体力も存分にあり、体調もすこぶる
良さそうだった。急ぐ必要はない。

 そう思いつ日程は終了し、リアル社会に復帰した。
 
 

 堀監督が亡くなっている。凹凹凹 

 

 友人から来たメールは俄かに信じがたかった。

 意味が分からなかった。

 そんなはずはないじゃないか。

 とても元気そうだったし、思慮深く、慎重に生きている雰囲気もあった。

 しかも、快濶に話されていたのはほんの一、二週間前のことだ。

 何かの間違いだろうと思いたかった。

 自宅に帰って、慎重に検索すると、果たして亡くなられていた。

 恐ろしく、不覚にも

 「夏の娘たち ~ひめごと」(2017)

 「Making of Spinning BOX 34DAYS」(2012)

 を驚嘆と嬉しさが何度も交錯の中で夢中で観ていたその時にはもう堀監督は
冥府に旅立たれていたのだ。

 日本の映画界はこれで少しは安泰だ。 

 堀監督は、現代の成瀬己喜男になれるかもしれない。

 既に堀禎一のいなくなった世界に生きている事も知らずに、そんな事を考えて独り
満足していた。  
 
 
 堀監督、そりゃ、ないよ。

 余りにも早すぎる。 

 たった一ヶ月前に現れて、永遠に去っていくなんて。 
 

 早すぎるよ。堀さん。

 寂しい、つまらない世界になるよ。 

 でも、頑張ってみるよ。 
 
 
 ありがとうございました。 

 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2017年7月17日 (月)

news「ジョージ・A・ロメロ監督死去」

  
 

「リビング・デッド」のロメロ監督死去 ゾンビ映画の原点
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ゾンビ映画というジャンルを確立したジョージ・A・ロメロ監督が16日、死去した。
77歳だった。肺がんと「短く、しかし激しく戦った」末に眠りながら亡くなったと、
マネージャーが明らかにした。

マネージャーのクリス・ロー氏によると、ロメロ監督は妻と娘に囲まれ、
自宅で「一番大好きな映画の一つ」の「静かなる男」の音楽を聴きながら
亡くなったという。ロー氏が米業界紙バラエティに語った。

米国出身のロメロ監督は1968年、ゾンビ映画シリーズの第一作となる
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を製作。公開当時は残酷だと
批判されたが、カルト的人気を得て、その後のホラー映画やゾンビ映画のひな形となった。
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2017年07月17日 13:16 BBCニュース

 

 『ゾンビ映画』と言えば、自分にとっては諸作品よりも"大学時代の友人君"が
先に思い出される。

 学生時代の某日、友人君が貸してくれたのは多分、 

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968)だったと思う。

 バイト漬け徹夜明け同然で観たことに加えて、鑑賞直後の電話越しの友人君の
"熱すぎる"解説が作品を鑑賞した記憶と並走に自分の脳内メモリーに記録されて
いることと、その解説は自分にとってはかなり正鵠を射ていたため作品自体はよく
覚えていないまま現在に至る。

 「観た?感動でしょ?」と友人君は熱く電話口で語り続けた。

 「うん。最高だった。」自分は答えた。

 友人君が最も感動した点は、『資本主義社会への反逆』といった視点だった。

 それは、後日、拙宅で改めて友人君が語った「ゾンビ映画」への賛辞においても
同じだった。

 そう、ロメロ監督の作品のテーマは『反逆』であり『革命』でありある種の『下剋上』
だったのだろう。

 死んでいる者が生きている人間を喰らう。脳を吹き飛ばす以外に倒す方法はない。
これほどの現代科学社会への反逆もあるまい。

 そして、生きている人間はこれ幸いにとゾンビ狩りを口実にマン・ハントを
お互いに始め、あらゆるルールと法を『ゾンビの覚醒』を理由にして拒否し始める。

 初期の作品「THE CRAZIES」(1972)において、主張したい事は全て描けていると
いってもいいだろう。しかも同作品のオープニングの数分においてロメロの
"主張の全て"は集約されていると言っても過言ではないと思う。

 大人になって、満を持して一つ一つのシーンを冷静に鑑賞した「ゾンビ」(1978)は
一言で言えば、「美しい作品」だった。

 ゾンビ達のステップは優雅なダンスそのものに見えた

 人々は「社会構造のひずみ」をそのまま自己が狂人と化すことで存分に責任転嫁
していた。観客は溜飲を下げている自分を観察せざるを得ない事に向き合うことになる。 

 元人間に対して、予備ゾンビ(=自分達)に対してもどこまでもどこまでも際限なく
残虐になれる人間達。逆もまた然り。

 『内省的になる』事。

 『鑑みる』事。

 死者を蘇らせ続けたロメロの希望はこの一点に尽きるのではないだろうか。

"自宅で「一番大好きな映画の一つ」の「静かなる男」の音楽を聴きながら
亡くなった"というのは誤解を恐れず言えば、幸せな最期だったと言えるのでは
なかろうか。

 好きな音楽を聴きながら、或いは、好きな映画を観ながら、死ねるとすれば
それに越したことはないように思う。 

 お疲れ様でした。ありがとうございました。

 合掌。

 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2016年10月28日 (金)

news「三笠宮さま逝去」

  
 

三笠宮さま逝去=100歳、昭和天皇末弟-歴史学者として活躍
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昭和天皇の末弟、天皇陛下の叔父で、古代オリエント史の研究者としても知られる
三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、心不全のため、
入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。100歳だった。
皇位継承順位は第5位で、明治以降の皇族では最高齢。
--------------
 1915年12月2日、大正天皇の四男として誕生。称号は澄宮(すみのみや)。
学習院初等科、同中等科を経て陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業。成年を迎えた
35年に三笠宮家を創立し、41年10月に子爵・故高木正得氏の次女百合子さまと
結婚。太平洋戦争中の43年1月から1年間、支那派遣軍総司令部参謀として
中国・南京に赴任し、終戦時は陸軍少佐だった。
--------------
 戦後、東大文学部の研究生となり、古代オリエント史研究者の道を歩んだ。
日本オリエント学会の初代会長を務め、東京女子大や青山学院大の講師、東京
芸術大の客員教授などとして教壇に立ち、テレビやラジオなどにも出演。歴史学者の
立場から、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で廃止された紀元節復活の動きに
反対したほか、戦争末期の44年に陸軍を批判した文書が後に見つかり、反響を
呼んだ。

 中近東文化センター名誉総裁、日本・トルコ協会名誉総裁などを務め、国際親善を
はじめ、さまざまな分野に貢献。ダンスにも親しみ、普及に尽力した。著書は「帝王と
墓と民衆」「古代オリエント史と私」「わが歴史研究の七十年」など多数。 
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2016/10/27 19:02 時事通信社
 
 
 顔の容と目に昭和天皇の面影がある。昭和天皇は生物学者であったことは、今や
広く周知されていることだがこちらも研究熱心だったとの事。そして、どちらも軍政に
引っ張られていった戦前の日本を憂慮して、三笠宮においては軍の規律の乱れを
厳しく批判し、終戦工作を図るなど行動としてのエピソードが具体的に多く遺る点も
似ている(昭和天皇は実情を覆い隠そうとする戦中の内閣官僚を時には叱責し、時に
は疎んじた。)。平和を重んじ、正義感に篤い点も同じだ。
 
 
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「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた
世の中を、私は経験してきた」と自らが生きた時代を振り返っている。

「文藝春秋」の1951年(昭和26年)12月号でのイギリス女性との対談では
「天皇への敬礼は強制さるべきではなく、各人の判断のままでよい。頭を
下げる人、手を振る人、あるいは知らん顔をしたり、最悪の場合には『赤んべえ』
をしていても、ちっとも構いません」
と発言。
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ウィキペディア「三笠宮崇仁親王」の項から。
 

 この二つの御発言だけを見てもいかに人格者であり、高い見識を持った方であった
かが窺える。
 
 
「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と
罵られた世の中を、私は経験してきた」
 
 

 残念ながら今でも充分に通じる言葉であり、我々は常に念頭に置いて、考え続けて
よい言葉ではないだろうか。 
 
 
 お疲れ様でした。どうか安らかに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 




 

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2016年9月 3日 (土)

news「松山善三死去」

  
 

松山善三さん死去=映画監督・脚本家、91歳
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「名もなく貧しく美しく」「典子は、今」など社会派の作品で知られる映画監督で
脚本家の松山善三(まつやま・ぜんぞう)さんが8月27日午後8時41分、老衰のため
東京都内の自宅で死去した。

 91歳だった。神戸市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は養女の明美
(あけみ)さん。

 1948年に松竹入りして木下恵介監督に師事し、「荒城の月」で脚本家デビュー。
55年に女優の高峰秀子さんと結婚。61年、聴覚障害者の夫婦の暮らしを描いた
高峰さん主演の「名もなく貧しく美しく」で初監督を務めた。

 サリドマイド症の被害者本人が出演した81年のセミドキュメンタリー映画
「典子は、今」は、障害者の社会参加を描き話題を呼んだ。他の監督作に
「ふたりのイーダ」「虹の橋」など。

 小林正樹監督の「人間の條件」シリーズの他、「乱れる」「恍惚(こうこつ)の人」、
一般公募に名乗りを上げて選ばれた「人間の証明」など数多くの映画脚本も手掛けた。 
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時事通信 9月2日(金)17時53分配信

 

 「典子は、今」(1981)。自分がこれまで観てきた『映画』の最初期の記憶の一つに
この作品が色濃く刻まれている。タイトルを聞くと今でもちょっとドキっとする。

 子供心に何とも言えず「とても心に痛く、重たかった」作品だ。

 「人間の條件」(全六部作)(1959)。オープニングの荘厳さと作風全体のスケールの
大きさに引き込まれた。シリーズ全作を初見にして一日で劇場で観れたことは今でも
とても幸運な事だったと思う。この作品の鑑賞によって、邦画は十分にパワフルで
面白いもの(面白く作れるもの)なのだと自覚を新たに持てた。

 「乱れる」(1964)。男女の情念というものがあざとくなく描かれ、且つ人生の脆さを
巧みに描いた名作だと思う。成瀬の作品の中でも常に上位に位置し語られていく作品
だろう。

 「ひき逃げ」(1966)。"ひき逃げ"を隠し通そうとする人間と、それを暴こうとする
人間の駆け引きと弱さと強かさ、やがて炙り出されるそれぞれの「業」。地味なテーマと
寧ろ小さいと言える制作規模の作品が最後の瞬間のシーンまで終始スリリングに
描かれ、映画の醍醐味を味わった。この作品において"松山善三"という人は面白さを
保証する作品を提供してくれる人なのだと認識した作品だった。

 「カルメン故郷に帰る」(1951)も、映画固有の面白さに圧倒された作品だ。
映画館で心から拍手を送った最初の作品だったかもしれない。

 「典子は、今」はここ数年のうちに再会する作品だろうと期待し、また確信していた
作品の一つだったが出会うことはなかった。しかし、仮に鑑賞する機会があったとしても
相当に躊躇しただろうというのが正直な気持ちだ。今日以降はきっと観たい。

 松山善三と、その妻となった大女優の高峰秀子(2010年逝去)。この二人がいなかっ
たなら、邦画界は随分と寂しく、全体の景色も違っていたかもしれない。自分の映画の
見かたと傾倒もまた違ったものになったことだろう。前半生の心持ち、人への接し方も、
人の見かたすらも違っていたかもしれない。

 これらのいずれの作品も自分にとって得難い出会いであり、これからの生き方に
影響を与えてくれることだろう。今後も自分を支えてくれる血肉となるだろう。

 松山善三さん、高峰秀子さん、佳作・秀作・傑作・大傑作の娯楽作品の数々を
ありがうございました。これからも愉しませて頂きます。

 お疲れ様でした。ありがとうございました。

 合掌。
 
 

 「典子は、今」(1981) 監督・脚本:松山善三

 「ひき逃げ」(1966) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「乱れる」(1964) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「妻として女として」(1961) 監督:成瀬巳喜男 脚本:松山善三

 「人間の條件」(1959~) 第一部~四部,完結編 監督:小林正樹 脚本:松山善三 他

 「カルメン故郷に帰る」(1951) 監督:木下恵介 (松山善三は助監督) 

 

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松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は映画監督、脚本家。

神戸に生まれ、横浜で育つ。
1944年、横浜第三中学校(現・神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校)卒業後、岩手医学専門学校
(現・岩手医科大学)に入学するが、1946年中退。雑誌社でアルバイトをしているときに、
斎藤良輔門下の脚本家と知り合い、映画に興味を持つ。

1954年、川口松太郎の原作を映画化した『荒城の月』で脚本家デビューする。
その前年に書いたオリジナルシナリオ『美わしき歳月』も1955年に小林正樹監督で
映画化された。この作品以来、一貫して叙情性豊かなヒューマニズムが持ち味となる。
同年、女優の高峰秀子と結婚する。以後、成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』、
川島雄三監督の『接吻泥棒』、渋谷実監督の『好人好日』、小林正樹監督の
『あなた買います』など多数の脚本を手がける。
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(ウィキペディアより) 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2016年5月15日 (日)

news「元子役、逮捕」

 

元子役、逮捕「警官が彼であることに気付き…」
2016/5/14 13:32
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1986年のディズニー映画「ナビゲイター」でデイヴィッドを演じていた元子役の
ジョーイ・クレイマーが、カナダで銀行強盗を働き、逮捕された。ジョーイは
4月28日、肩までのカツラをかぶり、濃い色のジャケットを着て、カナダの
ブリティッシュ・コロンビア州にあるスコシア銀行を襲ったという。変装して
いたものの、別の事件でジョーイと関わったことがある警官が彼であることに
気付き、ジョーイは5月1日に逮捕された。
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[http://ima.goo.ne.jp/word/72369/
%E5%85%83%E5%AD%90%E5%BD%B9+%E9%80%AE%E6%8D%95?from=gootop_side]

 

 「ナビゲイター」(1986)は10代の頃、大好きだった作品の一つで、上京してからも
人にも勧めたこともある作品だ。子供向けの作品としては、演出全般に無駄がなくて、
映像も音楽も洗練されていた秀作だったと思う。もし今、手元にあればきっと懐かしい
だけでなくて普通に楽しんで最初から最後まで鑑賞することだろう。そして、関心して
ブログに感想を書くことだろう。

 今回、記事自体は残念な事件なのだが、懐かしく思い出しつつ作品情報を改めて
確認すると音楽は何と「バック・トゥ・ザ・フーチャー」他多くの大ヒット作を手掛ける
アラン・シルヴェストリだった。「ナビゲイター」という作品は知らなくても、恐らくこの
作品のサントラの音を耳にしたことがある人は割といるように思う。一度聴いたら
忘れることのない且つ作品の世界観と調和した優れた仕事であった。

 浦島太郎状態となった主人公が人類に友好的な宇宙人が乗ってきたUFOを一緒に
駆って飛び回るシーンや他のCGの出来も当時としては充分に及第点で、心地よい
音楽と飛行シーンの爽快感を味わいたくて少年の当時時折観たものだった。

 同作品の監督を務めたランダル・クレイザーは自分と同世代の人間は恐らく必ず
観ているだろうブルック・シールズ主演の「青い珊瑚礁」(1980)を手掛けていてもしか
したら子供が好きなのかもしれない。

 さて、逮捕されてしまったジョーイ・クレイマーは少年の頃のキャリアから次の
ステップアップが出来なかった末の顛末のようだが、映画やテレビの子役が堕ちていく
(堕ちた)ニュースは日常的であり、最早、一つのカテゴリーを成しているといっても
いいだろう。子役時代に得た所謂代表作なりヒット作なり以降、経済的な苦境に陥った
わけでもないのに人生を転がり落ちていく人もよく目耳にするところが興味深い。

 若い頃にチヤホヤされて、富と名声を手にしてしまうと、なぜ転落していくことが多いの
だろうか。

 転落せずに、キャリアをきちんと再構築して大人になれている人々は大概は、早くに
自覚的に子役時代の自分と決別することにきちんと時間を割いて対応しているように
見える。

 「社会の一員としての人間」形成を肯定するのであれば、経済的な成功と失敗に
関わらず、次のステップに進むための"カウンセリング"が必要であるということを
"彼ら"の人生の足跡は示しているのかもしれない。

 その"カウンセリング"を専門の人間に任せるのか、友人・知人との暮らしの中で自ら
得ていくのか、もっとアグレッシブな選択をするのかのチョイスは、結局は世間一般の
人間と何一つ変わることはない。

 「ナビゲイター」で主役のデイヴィッドを演じ、時が流れ流れて強盗を働いて逮捕
されてしまったジョーイ・クレイマーは自分を含めた世界中に少なからず作品を
楽しんで、そのことに感謝している人間がいて、誰もが知る大傑作とは言わないまでも、
一個人の人生から比較したら大金と時間と多くの人間の労力が費やされた作品に
関わったことについて今一度冷静に考えて、社会の一員であることを自覚して生きて
いって欲しいものだ。

 

ナビゲイター(1986)
90分 アメリカ/ノルウェー
監督: ランダル・クレイザー
脚本: マイケル・バートン,マック・マクマヌス   
撮影: ジェームズ・グレノン   
音楽: アラン・シルヴェストリ   
出演: ジョーイ・クレイマー,ヴェロニカ・カートライト,サラ・ジェシカ・パーカー

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2016年2月13日 (土)

news「「重力波」、米で初観測」

  
 

アインシュタイン予言の「重力波」、米で初観測
2016年02月12日 00時30分
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米カリフォルニア工科大と米マサチューセッツ工科大などの研究チームは11日、
物理学者アインシュタイン(1879~1955年)が100年前に一般相対性理論で
存在を予言した重力波について「初めて観測した」と発表した。

 これまで直接観測した例はなく、宇宙初期の状態などを重力波で観測する
「重力波天文学」の道を開く成果だ。

 重力波は、物体の重さが時間と空間(時空)にゆがみを作り、物体が運動した時、
そのゆがみがさざ波のように、光速で宇宙に伝わる現象。物体が重くて速く動くほど、
強い重力波が出る。

 研究チームによると、米国にある巨大観測装置LIGOが昨年9月14日、
重力波を検出した。質量が太陽の29倍と36倍のブラックホールが13億年前に
合体した時に、太陽3個分の質量がエネルギーとなった重力波が発生し、地球に
届いたとみられる。ブラックホールが合体する瞬間を捉えたのも、世界初の快挙となる。

 ワシントンで11日に記者会見したデビッド・ライツLIGOリーダーは
「我々は重力波を手に入れた」と宣言。会場から、大きな拍手が起きた。
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【ワシントン=三井誠】
[http://www.yomiuri.co.jp/science/20160212-OYT1T50012.html?from=y10]

 

 100年前に一人の科学者が
"それ"がないと説明がようつかないっす。」と提唱して、"それ"は100年後に
無事に観測され、そもそも、"それ"は、なんと13億年前に発信されて我々は
この度、キャッチしたということになる。

 そう考えると、遥か彼方の遥か遠い昔から起こっていたことを、ほんのつい
先日に「多分あるでせうね。ええ。」と説明されて、すぐに準備を開始して捕まえた
ともとれる。

 そうして、我々はいかほどのことも見つけられずに、時空は一瞬にして
遥か彼方に飛び去り、我々が今、日々、親指や人差し指をこねくりいじくり
回している全ての事なぞ自分達ごと瞬時にして消え去っていくのだ。

 それでも、日々の出来事、日々の発見、事実の積み重ね、それに対する
考察と理解への工程は決して無駄ではなく、とてつもなく有益である。

 重力波の発見に携わった全ての人々へ、おめでとう。
そして、有難う。 世の中はまた少し面白くなりました。

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 

 
 


 
 
 




 

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2014年11月18日 (火)

news「高倉健死去」

  
 

<高倉健さん死去>所属事務所のファクス全文
毎日新聞2014年11月18日(火)14:02 
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俳優の高倉健さんが10日、83年の生涯を閉じた。

 高倉さんの所属事務所「高倉プロモーション」から報道各社へ
送られたファクスの全文は次の通り。

 映画俳優 高倉健は、次回作準備中、体調不良につき入院、
治療を続けておりましたが、容体急変にて11月10日午前3:49 
都内の病院にて旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でございました。

 病名 悪性リンパ腫。「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」。
83歳の命を全う致しました。

 治療に携わって下さいました病院スタッフの皆様から温かい涙とともに
お見送り戴き、故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました。

 これまで、お励まし戴きました皆様、心より深く感謝申し上げます。
有難うございました。

 今は、お一人おひとりの心の中に宿る故人の笑顔に、静かに祈りを
捧げて戴けますことを願っております。

 尚、勝手ではございますが、供花、供物などご遠慮させて戴きますこと、
あわせてご了承下さいますようお願い申し上げます。

                      合掌。

 2014年11月18日 高倉プロモーション
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【評伝】高倉健さん、全人生を役作りにささげる…“昔ながらの俳優”体現
産経新聞2014年11月18日(火)15:23
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役作りのために全人生をささげ、のめり込む。そんな“昔ながらの俳優”を
体現した。高倉健さんは、公私ともにわれわれがイメージする「高倉健」の
ままの人だった。

 「健さんは撮影現場で休憩中、いすに座らない」。そのストイックさを
象徴するエピソードを披露したのは、親交の深かった映画監督でタレントの
北野武さんだ。当の高倉さんは「たけしさんの話が広まったせいで、本当に
いすに座れなくなったじゃないか」と照れた表情で否定していたが、共演者や
スタッフを気遣う姿勢は徹底していた。

 高倉さんを時代を象徴する映画スターとしたのが、「網走番外地」などの
任侠(にんきょう)路線シリーズだ。東映の元プロデューサー、日下部五朗さん
によると、東映側は任侠ものへの新作への出演を当然期待していたが、
現場で高倉さんの熱意は衰えていたという。

 「人一倍正義感が強い高倉さんは暴力団が美化される風潮に嫌気が
さしていた。それで急遽(きゅうきょ)、私が新たなヒット作を作るために
企画したのが、『仁義なき戦い』だったんですよ。本当はもっと高倉さんと
映画を作りたかった」と日下部さんはつぶやいた。

 「酒もたばこもやらず、控室にはコーヒーを準備。一日20杯ぐらい飲んで
いたんじゃないかな」。華やかな銀幕の裏で人知れず努力を重ねた名優が
逝った。
(戸津井康之)
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日刊スポーツ2014年11月18日(火)11:45

 
 

 「狼と豚と人間」(1964)
 「いれずみ突撃隊」(1964)
 「網走番外地」 (1965)
 「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970)
 「新幹線大爆破」(1975)
 「幸福の黄色いハンカチ」(1977)
 「南極物語」(1983)
 「ブラック・レイン」(1989)

 どの作品にも、どこまでも「人間臭い」健さんの"顔"があった。
少年期、青年期、上京以降、どの時代でも出会った作品での
健さんと作品にクラクラするほどの衝撃を受け、時には、涙し、
時には、友人と夜通し語り合い、満足した。あるいは、自分の
不甲斐なさと未熟さに呆れた。

 

 「行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

比叡山大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたこの言葉を
座右の銘にして大切にしていたという。

 健さん、本当にお疲れ様でした。 

合掌。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年10月 5日 (土)

news「オバマ氏、異例の徒歩外出」

  
 

オバマ氏、異例の徒歩外出 共和党に譲らぬ姿勢強調
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オバマ米大統領は4日昼、バイデン副大統領と共にホワイトハウスから歩いて
サンドイッチを買いに出かけた。徒歩での外出は異例。一部政府機関の閉鎖が
長引き、アジア外遊を中止したオバマ氏だが市民の声援を背に、閉鎖に至った
責任が共和党にあると強調。譲歩しない姿勢を示した。

 一方、暫定予算案の承認を拒否する下院共和党は同日の協議で、徹底抗戦を
続ける方針を確認。ベイナー下院議長は記者会見で、事態打開に向けた交渉に
応じないのはオバマ氏の方だと批判した。政府機関の閉鎖は4日目になったが、
歩み寄りは見られない。

 オバマ氏の外出は事前に発表されていなかった。汗ばむような強い日差しの中、
オバマ氏はジャケットを脱いで近くの店に向かい、驚いた通行人らは「正しいのは
あなただ」とエールを送った。(共同)
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2013.10.5 [sankei.jp.msn.com/world/news/131005]

 
 
 

 パフォーマンスと言われようと何と言われようと構わないというオバマの姿勢と
決意が見られて何とも言えず「良いニュース」だと思う(内容からではなくて"ニュース"
そのものとして)。記事と写真を何度も眺めてしまった。

 政治家という生き物は市井の民の生活と共にする必要は無いが実体を
「知らなくては」いけない。

 すぐ隣りを歩く副大統領のバイデンの

行くんすかー仕方ないっすねー
まさか単身で行かせるわけにもいかないし(^_^;)

という雰囲気もすごくいい。
この場合の副大統領の役目は「たった一つ」しかない。
そのたった一つの目的と現実味をバイデンは充分に理解している。オバマも
最悪の事態を承知している。賢いオバマはどっちに転んでも損はないことを
理解した上での行動であろうがバイデンにとっては"その場合"は歴史に名は
残るが本来の目的によってではなくただの貧乏くじである。であるがゆえに
今回の場合の大統領のすぐ傍を歩く副大統領という構図はとても「絵」になる。

 バイデンは自身の主張を貫く為に所属政党である民主党に反する行動をした
こともあるし、イラク戦争では戦争そのものの遂行は支持するがフセイン政権
打倒には反対を示す等"自分の政策"を持っている実績と気骨のある政治家である。
(バイデンが日本にとってどのような政治家であるかは別)

 対する共和党は共和党でここで妥協すれば支持基盤が大きく揺らぐこと
になり今後の対応には苦慮することだろう。

 - 世界の二大政党制を執る国にとっての範となるべき唯一の超大国の行政が
二大政党制ゆえにこう着状態に陥り行政は機能麻痺、業を煮やした大統領は
副大統領を供に従えて昼食を買いに「街」へ歩いて出る - 
実に映画的展開で「それ」が一大産業であり主要輸出産業である国に相応しい
ストーリーと展開じゃないか!
いまのところ。

 

"世紀のチキンレース"はまだ続きそうだがパックスアメリカーナの一翼以上を
確実に担っている我が国は少なくともこのレースを楽しんでいい権利はある。
勿論、楽しんでいる場合じゃないけどね(ーー;)。。

 因みに私kuronekoは、民主党支持でも共和党支持でもないが、オバマと大統領
の座を争った共和党のジョン・マケインが勝てば良かったと今でも思っている。
マケインは今年の八月に訪日した際に、尖閣の領有権が日本にあることを明言
している。
(オバマ政権はマケイン発言の直後に"どちらの側にもつかない"として
発言を否定した)

 政治とは『結果』であるが、同時に、『パフォーマンス』でもあり、しばしば
『パフォーマンス』でしかない。特に重大な危機が発生する時は常に後者でしかない。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年7月21日 (日)

news「アップル「iWatch」秒読み」

  
 

アップル「iWatch」秒読み 「グーグルグラス」との徹底比較は確実
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肌身離さず身につけることができる次世代の「ウエアラブル・コンピューター」を
めぐり、米アップルがいよいよ腕時計型端末「iWatch(アイウオッチ)」の発売に
踏み切るようだ。日米両国で商標登録を申請したのに続き、実用化のための開
発メンバーを続々と新規採用していることが判明した。
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SankeiBiz 7月21日(日)7時0分

 
 
 

 "ウエアラブル・コンピューター"(以下wrc)に世界中の資金が流入することは
必至の情勢であるが、最終的には「ファッション」の領域に留まるのではなかろう
かと予想する。理由は、wrcの性能そのものよりも、人間側にwrcを使いこなす
だけの「日常」(主に経済的観点での)が恐らくは全体としては、やって来ないで
あろうと思うから。

 10代の頃からずっと考えていた個人的に欲しい「あるツール」が、カテゴリー的には
wrcに属することという認識を今回はっきり持ててスッキリ。もし、そのツールが
出来れば革命的であるし、革命的であるがゆえに作るのは無理であろうと文字通り
頭の中で"お蔵入り"にしてきたが、ここ数年間の流れ

コンピューターの小型化・軽量化

携帯電話のコンピューター化・高性能化・多機能化

タブレット型端末の普及(コンピューターと携帯の融合)

"ウエアラブル・コンピューター"への統合

で培ってきたノウハウを全て注ぎ込めば、自分の欲しい機能の"モドキ"(オモチャ)
は出来る気がしてきた。他にも、数年間温めてきたネタもあるので、この夏は、
少し整理してみようと思う。余り遠出する気も無いし。

 
 
 


ウェアラブルコンピュータ(wearable computer)
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ウェアラブルコンピュータ(wearable computer)とは、身につけて持ち歩く
ことが出来るコンピュータのこと。

小さく軽いデバイスで構成され、腕時計のように普段身につけるガジェットを
利用したものから、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)のように、身につけて出歩く
ことも不可能ではないガジェット、或は、衣類にコンピュータを統合したものまで、
幅広く研究されている。
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(ウィキペディアより)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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