書籍・雑誌

2015年9月17日 (木)

漫画「親父衆」

漫画「親父衆」

 
 

 漫画。

というよりも、

 漫画エッセイ。

といういうよりも、

 これは、、、

 『漫画論考』

とでもゆーような、他に類を見ない実に画期的なマガジンだと思う。

内容と指し示した方向性の意外性としては、
「発明」と言っても過言ではあるまいと思う。

 何が画期的かとゆーと、

『親父(オヤジ)』というキーワードと世界中に溢れる愛すべき、
または忌むべき、オヤジ達を対象(素材)にはしているが、

 その素材(=オヤジ)をどう料理すべきかは、究極に完全に
各作家陣に委ねられ『自由』なのである。

 同じキーワードをこれほどまでに自由に、しかもこれほどまでに
各作品がクオリティ高く、ほとんど全ての作品が繰り返し繰り返し
読むに値する作品集は絶後と言ってよいのではあるまいかと思う。

 そして、どこまでも賞賛すべきは、その作家達の視点の格調の高さ、
人としての『人』というものへの"根源的な賛歌"(←超大事)により、
下品な、下衆な、自分を棚に上げて、他者(オヤジ)をただ貶め、
ただ嘲笑うものには微塵もなっていない点であろう(いや、少しは
なってはいるが(^^;))。

 生きとし、生ける者は皆ことごとく老いる。

どんな美男子も、男はいずれ皆皺くちゃのオヤジになり、
どんな絶世の美女も、女も皆いずれ皺くちゃのオバハンになり果てる。

 そんな自分たちを戯画化して、巷を悠然と闊歩するオヤジ達を
少しデフォルメし、いずれ、あるいはすでに同じ位置にいる自分たちと
共に応援する。

 彼ら、彼女らは、皆必死に生きている。他人の視点なんぞは
かまってはいられない。

 そう、それは、実は老いも若きも全ての世代に共通する

エゴ

であり、世の"オヤジ衆"はそんなエゴを隠すことをすっぱり潔く
(あるいは悪く)止める代償として家庭で、外で、店内で、あらゆる
場所・時で後ろ指をさされ、小馬鹿にされることを潔く(あるいはどこまでも
往生際悪く醜態を晒して)受け入れた

 そんな彼らを作家達の眼は鋭く見抜く。

 彼らの浅墓な、表面的ではない生命としての『美しさ』

 だから、本書は、笑い、ニヤケて、何度も何度も読み返しているうちに
やがて考えさせられ、やがては泣けてくる。そして、、感動する。

 昨日まで、電車で、道端で、見かけていた親父達に抱いていた
自分の気持ちがとても恥ずかしくなる。

 「自分とはどこまでも関係ないのだ」という偽りの排他的な気持ちを。

 掲載されている作家陣で個人的に嵌った(笑った)作家は以下。

中川いさみ
すぎむらしんいち
吉田戦車

上記三人は自分としては自己の客観視としての笑いの「質」と作品としての
練りこみがかなり高いと思う。

 勿論、他のまでじ豪華すぎる執筆陣も漏れなくグッジョブです。

 「老いる」ことをこれほどまでに作品として昇華し、肯定してみせた
あなた方の仕事に、世の親父衆に乾杯そして、惜しみない拍手!!

 

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「親父衆 」
親父&おばはんorそのどちらかの予備軍漫画家33人著
集英社



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年10月21日 (火)

ンムゾビな夜 2014

 
 

 2007年11月に書いた記事を旧ブログからお引越し。てっきり、
とっくに引越し済みかと思っていたがまだであった。友人Mさんより

「ゾンビの語源を知っているか?」

との問い合わせメールが届き、自分の過去記事にアクセスして、
かいつまんでご返信。かいつまみ過ぎたような気もしたが、少しは
役立った模様で良かったというところか。

 さて、2007年当時、以下の記事に書いてあるように

「ンムゾビ」

なる言葉はネットの大海で"一件もヒットしない"という超レアレア
謎の言葉であった。勇んでネット上に史上初めての一歩を記した
(かもしれない)拙ブログ以外は。

 

あれから7年。。

A long long time ago..

 

 今や、ネットは、膨張に膨張に膨張を続け、携帯とすっかり融合し、
携帯を駆逐し、SNSとスマフォが逆にネットを侵食するという逆転現象が
起きて久しい。

 そして、目出度く?「ンムゾビ」も幾つものサイトがヒットするようになった。

 それは、つまり、ゾンビというものがより、我々の"身近"になった証拠でも
ある。それは、つまり、例の恐るべき伝染病とも無関係ではない(かもしれない)。

 それは、つまり、ほら、窓の外に見える人影(のようなもの)をよくごらん。
ほら、もっとよく、、ほら、扉を弱弱しく叩く音。ほら、、階段を不器用に
上がってくる音、、ら、ほら、すぐ後ろに、、ほらあぁぁぁぁぁ!!(゚д゚) 
以上、「ホラー」の起源でした。m(_ _)m (←嘘です)

 
 

以下↓ 
--------------------------------------------------- 
読んだ本(二)「魔獣境図書館 -菊池秀行のあと書き読本」

正確に言うと「読んだ」ではなくたまにペラペラめくって
気に入った箇所だけ読んでいる本。

菊池秀行氏の諸作品の著者自身による「あと書き」のみを
延々と収録している本である。数ヶ月前に古本屋で購入
したけどこれは個人的にクリーンヒットとなった書籍だった。

ほとんどの稿で菊池氏の映画の感想(主にホラー映画)や取材
旅行の体験談等等について触れていてコラムとして完成度が
高くて実に面白い。

さらに本書を刊行するにあたって掲載しているあと書きの
全てにちょっと驚くほどの量の著者自身による脚注が追加
されていてサービス精神に溢れていて且つこれがまた読ませる。

興ざめさせるような後書き以外の余計な記事が一切なく見事な
『企画意図の勝利』と宣言していい本である。拍手\(^^)/

さて、本書の巻頭にあるあと書き(ヤヤコシイ(^^;))では
J・カーペンターという映画監督の作品に触れたあと

"ゾンビ"は本当は"ゾンビー"じゃないのかと述べていて
さらに脚注では

-----------------------------------------------
"本当の語源はンムゾビ。ちゃんと調べたのだ"
-----------------------------------------------
(本書 「魔界都市 <新宿>」あと書きの脚注)

と語っている。
秋の旅行の際に見つけたとある京都の雑貨屋の店主さんは
ホラー映画を含むB級映画全般についての造詣が実に深いので
運営するサイトに"ンムゾビ"について書き込ませて頂いたところ

"ンムゾビ"なんて検索してもHitしないぞーとのお答え。

自分で検索してみるとなるほど一件もみつからない。

「世界は検索で回っている」と言っても過言ではないこの
ご時勢に

大家が断言した名詞が一件も見つからないなんて天邪鬼
な私は逆に面白れーってなもんで検索しているうちに
いくつかのサイトがHitした。

-----------------------------------------------
「ゾンビ」の語源は「ンザンビ(Nzambi)」である。
(中略)
そして奴隷たちによってアフリカから持ち込まれた
「ンザンビ≒ゾンビ」という言葉は 「霊」「お化け」といった
意味となり、ゾラやハーンの話に登場している。
-----------------------------------------------
Fantapedia~幻想大事典のゾンビ(zombie)の項

まずゾンビは zombie と書くと。菊池氏の"ゾンビー"ではないか
という指摘には私は同意。でも末尾伸ばすのは面倒くさいので
日本語では"ゾンビ"でオケでしょうとも思う。

問題は"ンムゾビ"で、どうも菊池氏は"Nzambi"という単語を
見つけ、単純に"Nmzabi"と見間違え

"Nmzabi" = ンムザビ(?) = ンムゾビ(?)となったと思える。

もしかしたら単語を見つけたのは苦労して蒐集したボロボロの
小さな辞書か何かで

"Nmzobi"

とでも見えたのかもしれない。

菊池氏のあげ足を取りたいわけでも、また別に間違いを指摘したい
わけでもなく(恐れ多い!)webが普及する前にほとんどニアピンで
「ゾンビの語源」を自己調査して言及している氏にまずは敬意を評し
たくて書いてみたのと、、

今この瞬間もあらゆる情報がwebという人類が産んだギザ巨大(^^)
な蜘蛛の巣に"菊池氏の「ンムゾビ」発言"について述べている
サイトが[一件も見つからない]という現状も何やら淋しいので
せっかくだからupしておくしだい。

松尾スズキの言葉を借りると
"世はおしなべてまんべんなくあれ"
というところか(^^)
(松尾氏がこの言葉の産みの親かどうかは置いておく)

とここまで書いておいて本書の単なる"誤植"の線が一番強いけどね(^^;)
ちなみにゾンビの語源についてはこちらも参考になった。
http://www.k2.dion.ne.jp/~dambala/zombie_mac.html

それにしてもゾンビという言葉とは例えば日本人のごく平凡な
家庭に生まれ育った場合は何歳くらいで出会うのだろうか。。

そして果たして何百人(?)が語源のンザンビまでたどり着き
さらに何人(?)が"ンムゾビ"を知っていることだろうか。。

なぜかアメリカ横断ウルトラクイズを思い出してしまった。(^^;)

----------------------------------------------
「魔獣境図書館 -菊池秀行のあと書き読本」
菊池 秀行(きくち ひでゆき)著
朝日ソノラマ

 
 

 これからさらに七年後、、○○フォは、SNSは、ガラケーは、
ブログは、ゾンビは、世界は、そして、ンムゾビのヒット件数は果たして
どうなっているだろうか、、そしてそして、東京漂流日記は"3.0"
進化しているだろうか。リーマン戦記は、、とっくの昔に終わっている
ことであろう(ーー;)

 では、また、七年後。ご機嫌やう。。

 
  

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2013年3月 3日 (日)

本「漫画貧乏」

 
 

 「佐藤秀峰(さとうしゅうほう)という漫画家がいる」

 

と聞いても、日常的に、恒常的に、自覚的に自分で漫画をチョイスして
読んでいない人には

知らないねぇ(一_一)
聞いた事ない(´・ω・`)

 

となるかもしれないが、

 

『ブラックジャックによろしく』の作者だよ!(`□´)」

 

と聞いた瞬間に、その認知度は桁二桁か三桁は一気に跳ね上がることだろう。
さらに、

  

『海猿』の作者(原作者)だよ!!(`□´)」

 

と聞けば、、もう言わずもがな。

 

 本書は「海猿」、「ブラックジャックによろしく」などのハイパーメガヒット作を
放った「勝ち組」と言ってよい"人気漫画家"が実体験(というよりも自分に対しての
人体実験)を元にして

漫画家がいかに儲からない職業であるか

を原価計算を事細かに記して赤裸々に綴った本である。

 

 漫画が儲からない理由については、佐藤氏は色々と数字を並べ多角的な
視点から述べておりますが、要は

 

1) 原稿料と印税だけで食っていけるかボケェ(゚д゚メ) 

という点と、

2) 漫画家(とアシスタント)が血と汗と涙と不眠で作り上げた
「作品」を単なる収益マシーンのネジの1つくらいにしか見做さずに、
印税と原稿料以外のありとあらゆる収益を漫画家(原作者)に還元せずに
喰らいまくる出版社という「構造」についてのクレーム
っつか

嗚咽叫びすなわち慟哭

に尽きるわけです。

ここ数年、すっかり珍しくもなくなった主にウェブを通して明らかになる
漫画家サイドと出版社サイドとの軋轢や不和やトラブルは、ほとんど上記の2点が
原因であると言える。
そして、上記2点はDNAの螺旋構造のように不可分の関係
にもある(記憶に新しいところでは「テルマエ・ロマエ」の作者が映画化にあたって
貰ったのはたった100万円だったとか)。

 自分で売れていないと自覚している漫画家は「掲載して頂けるだけもアリガタヤ」と
内心穏やかならずも引っ込めるのだろうが、明らかにヒット作を生み出して、世の中
に受け入れられている徴候がありありなのに、生活は一向に楽にならない、、
というよりも
描けば描くだけ、赤字が嵩む!!
漫画家の心境を察するのは難しくはない。

 アシスタントは勝手に雇っているのだから人件費などが入金を超えない
ようにするのは漫画家の(経営)手腕に委ねられる。という理由は
「予算を超えないように(セットを作らずに安い俳優を使って)面白い映画を作れ」
というようなもので問題の解決にはならないであろう。

 問題の根っこはかつてのアニメーション製作の現場と同じようなことでは
なかろうかと思う。漫画業界の市場も業界の人的な規模もまだまだ小さかった
黎明期、漫画なんつーものは描くのが好きで好きで三度の飯より好きな人間
だけが描くもので、対価云々はおこがましい、または描く方も本を出す側も、親戚
同然か友人のような"付き合い"の中で収益構造についてシビアな話し合いと
業界としての適切なルール作りを後回しにしたまま、いつしか市場は世界規模
になってしまい、入ってくる側は、入ってこない側に比べれば無尽蔵に
入ってくるようになってしまった。某大手出版社は入社して数年も経てば
年収が1千万を越えるとか。
アニメーションの現場もしかり。ヒットしようが、
しまいが、還元されない者には一切還元されない。恩恵を受ける側に入れば
文字通り何一つリスクを負っていなくても収益を手に出来る。
自分達が誰に
描いてもらって作品のタイトルが何であるのか何一つ知らなくても。。

 さて、収益構造の問題を自ら明らかにした後の佐藤氏の考えたアプローチ
は、、なかなかユニークというかある意味正攻法というか正面突破と言える方法
だと思う。ズバリ

製作したコストを回収+α(利益)が出るまでとにかく漫画を売りまくる
→佐藤秀峰 on Web の開設
[http://mangaonweb.com/creatorTop.do?cn=1]

という結論だった。本書の後半では、サイトの具体的な操作方法と、
サイトからの購入がどのように佐藤氏及び(有)佐藤漫画製作所の収益に
結びつくのかの説明に費やされている。サイトの開設費用やメンテナンス費用
の見積もりも明らかにしているのは、漫画家だけでなく起業を考えている人
やネットで一定の収入を真剣に考えている人にも有益な情報だろう。

 自分としては、漫画家が現実問題として売れない(ヒット作が出ない)間は
冷や飯を食うのはある程度やむを得ないとして、それなりに知名度が上がり
その人の作品であれば、とにかく手に取って読むよという一定量の固定ファンが
いて、なかなか黒字にならないという現状を打破するには

・作品とそこから派生するコンテンツの価値(値段)を
作者が自分でコントロール出来る

という構造にしない限り抜本的な解決にならないと思う。これは、それほど
難しいことではなくて

・漫画家は自分の描く金額と作品の価値を提示して入札のあった
業者に対して描く(作品を創造する)

というルールを貫徹できればよい。このルールにより、全くの無名であっても
巨万の富を一気に手にするチャンスが生まれる。入札する側もまたしかり。
業界ルールなんて何一つ知らなくても、それこそ内容や描く人間について
何一つ知らなくても「コイツはきっと面白い漫画を描くぞ」という"勘"1つで勝負
できる。出版業とは本来、そういうものだったのではないかい?

もう一つ、現実的な解決作の1つとしては

・あるコンテンツ(作品)に関る人間の受け取る対価の比率を厳正・公正に
割り出して、きちんと払う

であろう。アニメになり、映画になり、世相を作り出し、ファッションを作り出せば
それだけとりあえず作者には累乗的に沢山入るのが筋というものだ。あくまでも
契約をきちんとした上での話であるが。

 佐藤氏のアプローチがどのような結末を"描く"のか、ジャンヌ・ダルクかドン・
キホーテになるかメデタクご自分の望んだ形でのリッチ・マンになるかは5年後か
遅くとも10年後には明らかになる
が、個々の漫画家の志・行動に任せていないで
心を痛める関係諸氏がいれば率先して動いてあげたら良いと思う一般人は
当然のことながら面白いと思ったら漫画を購入して、作者のwebサイトにアクセス
して本人の声を聞いてあげることだろう。

 1000円ちょっとで漫画大国日本をより良く出来るきっかけ程度にはなれて
勇気ある声を挙げた佐藤氏(や同じ悲鳴を挙げている多くの漫画家諸氏・諸嬢)を
応援できて、
心ならずも(?)いびつな収益構造に浸っている人々に初心に還って
頂き、反省と適正で公正なシステムへの構造改革を促し、才能ある漫画家さんに
潤って頂き、さらに面白れー漫画が読めれば安いものじゃああ~りませんか。

 非常に読み易くて随所に笑い(と涙)を誘う内容になっており、半日もかからずに
佐藤氏を含む漫画家の相当数の人々が陥っているであろう深刻なスパイラルを
理解できる上に佐藤氏の「漫画道」も楽しめてしまう大変お得な内容となって
おります。
是非ご購読を( ̄∇ ̄)

 下手すると(面白い)漫画を描く人マジでいなくなるでえ他人が心血注いで
作ったコンテンツを「提供する側にいる」というただそれだけで何千万、何億も
得て安穏に生きている人々はそれでいーのかもしれないけどね。
 

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「漫画貧乏」
佐藤秀峰 (さとうしゅうほう)著
PHP研究所 \1,200円
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年4月17日 (日)

雑誌「文藝春秋」3月特別号

 
 

雑誌「文藝春秋」3月特別号

政治家・小沢一郎に生前葬を

元内閣総理大臣(第76代・77代)である海部俊樹が間近で見た
小沢一郎という男について手記を寄せているので書いておきたいと思う。
海部俊樹については特に深い印象を持っていなかったが、この号に掲載
された手記は非常にわかり安い平易な文章で書かれており好感を持てる。
一方、小沢一郎という男については自分は政治家としては認めない。
権力のパワーバランスの均衡をコントロールして自分の地位を保全してきた
この男は今後も日本に害悪以外何ももたらさないであろう。
2011年4月時点での現在の日本の深刻な問題は、国民が幾度も
レッドカードを渡しているにも関らず政権の座に居座っている
愚連隊による機能麻痺"だけ"が原因であるといっても決して
過言ではなく思想信条、党派を越えて良識ある日本国民の
常識となりつつある事実である。

この度の震災によるものではなく、政治的機能麻痺による明治維新以来の
(太平洋戦争よりも遥かに今回の方が深刻な危機である)最大最悪の
人災による危機の中で小沢一郎はまたしても人心を巧みに利用して
自己保身に走ろうとしている。ほとんど故意である政治的な機能不全
による国家システムのメルトダウンに加えて小沢一郎という男に
今以上の権力を握らせてしまえば数百年の時を育んできた
「日本」という国家概念は根本から解体されてしまうだろう。

と、長い前置きになったが以下は海部俊樹による手記から
汲み上げる小沢一郎という男についての羅列他である。
海部俊樹については「墓場まで持っていかない」として2010年
に出版された「政治とカネ」も読んでみたいと思う。

政治家・小沢一郎に生前葬を (P106-P115) から要点抜き出し

・"私"は海部のこと)
・太字は私kuronekoがより重要だと思われる点
------------------------------------------------

○ 小沢氏は政界から潔く身を引くべきである。

○ 小沢氏の権力を維持する手法は旧態依然としている。

○ 「政治とカネ」の問題を解決しない限り日本の政治は前進しない。

○ 三木武夫(海部の政治の恩師)の口癖は
  「政治家のもっとも大切な資質は、一億国民の倫理観に耐えうること」
    だった。

○ '72年、三木武夫と田中角栄等が自民党総裁を争った際には
    当時クリーンと思われていた三木も各派に金を配った。

配られる金の出所は官房機密費からの場合もあった。

審議を拒否する野党に審議に応じてもう為に金を配られる場合もあった。

○ '91年小沢氏の幹事長辞任により海部の政治改革法案が頓挫する。
  『彼のその後の態度を見るにつけ、「やれなかった」のではなく
  「やらなかった」のだと痛感しています。』(P108)

○ 小沢氏の政治手法が原因で羽田内閣は総辞職に追い込まれる。

○ '94年私が党首、小沢氏が幹事長という体制で新進党が結成される。

○ '95年12月に小沢氏が新進党の党首になるが同志が次々と離党する。
    '95年末に小沢氏は唐突に解党宣言をする。

○ 「自自公連立」が安定してきた頃、小沢氏は連立離脱をいい始める。

  『私は「今度ばかりはそうするな」と説得しましたが、彼は「それでは
  相手になめられてしまう」というばかり。』(P109)

○ 最後まで民主党にしがみつくのではないか。仮に離党することに
    なっても小沢氏に従って党を出るのは20人くらいではないか。

○ 「政治とカネ」の問題にけじめをつけると大見得を切った管直人は
    小沢氏を切るべき。

○ 内閣改造(第二次管内閣)では小沢と関係を絶った藤井裕久に 注目。

○ 札束は最低三百万はないと"立たない"。

  『竹下さんや金丸さんから「海部、選挙の前は立つほどやれよ、
   立つほど」と言われました。』(P112)

○ 私は自分で集めた金を配ったが小沢氏の配る金の大半は
    天下の公金(税金が原資の政党助成金)である。

小沢氏は理想を掲げて政治を行う政治家ではなく、
    権力を維持するのが自己目的化している政治家である。

○ 総理在任中にゴルバチョフ大統領と北方領土問題について
    交渉していたが、小沢氏がモスクワに行ったが海部に対して
   電話で 「会えなかった」の一言で終りにした。

  『モスクワの小沢氏から夜晩くに電話がかかってきてた。
      「総理、悪かったけど、あの話はなかったことにしてください」
   「どうしてだ」と聞くと、「会えませんでした」という返事だった。
  要は話が通っていなかったのです。しかし、これだけ重要な
  案件を電話で伝える神経もわかりませんでした。
』(P115)

------------------------------------------------

最後の北方領土の返還交渉に関する記述は特筆に値する
であろう。海部内閣は四島が返還されれば280億ドル(1ドル90円と
すると2兆5千2百億円)もの経済援助をする段取りだったと
海部は述べている。「金で買ったのかと批判されても構わない」
というのは将に政治的決断で、その真意や是非は別としても
2011年4月現在のロシアとの交渉の余地の無さから思えば
遥かに評価されて良い。
それをたった電話一本で「ダメになった」
と伝えてオシマイとする小沢一郎の"軽さ"は今の政権与党の姿勢
と全くもって同じものだ。疑わしきは果たして、小沢氏はモスクワで
本当に北方領土返還に向けた交渉の糸口を見つける為に奔走
していたのだろうか?実際のところモスクワで一体何をしていたの
だろうか?

政治家にとって「言葉」はとても大切なものである。また、不言実行でも
有言実行でもどちらでもいいのだが「行動」もまた等しく大切である。
しかして言葉は綿毛よりも軽く、その行動は国民の為でも日本の為
でもありえず自己保身の為でしかない小沢一郎と現政権与党には
やはり国政の場を去って頂かなくてはならないだろう。















 
 
 
 
 
 
 
 

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2011年2月19日 (土)

小説「苦役列車」を読む

小説「苦役列車」を読む

  

西村賢太の第144回芥川賞受賞作品「苦役列車」を読む。
文藝春秋はたまに買って読む雑誌の一つであるが、芥川賞の
受賞作を読むことを目的にこの雑誌を買うのが今回が初めてだ。
これまでは目的の記事が目当てで購入する号がたまさか芥川賞
受賞作品の掲載号だとしてもほぼ全く興味が湧かず読むことも
なかった。ただし厳密に言えば今回の号では他にも読みたい
記事があったので今回はごく単純に自分にとってはお買い得の
号ではあった。

作者の西村賢太は60年代後半の生まれでごく普通の家庭に育ったが
10歳前後の頃に父親がとある罪を犯してしまうことにより人生の
流転が始まる。父親の罪状の影響の大きさによる精神的及び
金銭的な困窮により高校進学は出来ず肉体労働で生計を立てて
生き、西村自身にもまた逮捕歴があるという受賞作のタイトルその
ままの人生を歩んでこられた模様。20歳過ぎで小説家の藤澤清造
(1989-1932)の作品と出会い文学の道に本格的に傾倒して今回の
受賞に至る。

人生におけるハードパンチを浴びてきた人間の作品を汲み上げる
ことが出版界の責務の一つであると思う。昨今の『出版不況』なる
ものの一つは一重に業界の人間が『オモシレー人間(or 作品)』の
発掘と育成をほとほと放棄して特権的地位の濫用と作品の供給
による果実だけを貪るようになったからに他ならないと私は思う。
西村賢太はこれまでにすでに作品を幾つか公に発表しており、
それなりに知られていた存在であったようだが今回のような形で
世に出てくることは作品そのものの外における文学というものの
一つの健全な姿であるように思う。

また、西村のこれまでの生き様と発言と今回の受賞作である
「苦役列車」を読んでヒエラルキー社会としての底辺に生きた
経験さえ持てば何事かを著してスポットライトを浴びれるのでは
ないかという蔑むべき期待をとりあえず氏は暗に否定してくれて
いる点もまた評価したい。地獄も天国もあらゆる人間が分相応に
味わうものであり、分相応の地獄なり天国なり、どちらでもない
苦悩なりを提供できる者(だけ)がエンターティナーとして拍手を浴び、
そのことで富と名声を得て欲しいものだと思う。

---

  

「苦役列車」は作者と同じような足跡を残しつつ生きる19歳の
青年北町貫多の日雇い労働に勤しむ日々を淡々と描写していく。
貫多は世間一般で言う「青春」の一欠片も謳歌できない自分の
人生の惨めさを、父親の犯した罪による一家の転落に起因
させつつも、己の性格そのものの欠陥によるものも充分に災い
していることもそれ相応に自覚して生きている。

読み出して期待したのは、幾つもの理由で"ダメ男"と言える
北町貫多の「世間への果てしない呪詛」と"普通の作品"では
後半に起ころ得るであろう意外な展開(=フィクション世界における
当然の展開)による「悟りと更生」のようなものだったけど、今までも
これからも私小説の世界で生きると断言している作者の西村は
そんな物語的な物語を書く気はサラサラ無いのだと読んでいる
途中から思い知る。また貫多の行状を追っていく文体もまた貫多
でも作者でもない融合した何者かによって記録されているような
独特の視点と語感で語られている点も否応無しに作品世界に
連行されていく機能を果たしている。人生設計の破綻の契機となる
父親の犯罪により周囲(友人達)から突然のシャットアウトを受けて
しまったある日のことを貫多が振り返る描写は、西村自身の経験を
ほぼそのまま投影していると思われ、文章の迫力は突出して高く
澱みが無い。ただし主人公の貫多の境遇や体験する出来事に
ついては西村は「9割以上実際に体験したこと」と述べている。

日当数千円の肉体労働の日々から抜け出たい気持ちは心のどこかに
はあっても一連発起して実行する気"なぞ"は毛頭無く、金銭的な
生活レベルとしての事情が同じような境遇の人間達を遠慮なく
軽蔑し、それでいて孤独であることをいつも気に病み、根拠無く
女性を蔑視しながらも僅かな稼ぎの中から性的捌け口の為の
費用を積み立てることだけはどんな時も金勘定の計算の内から
決して外さない主人公の貫多君に人生という物語を自ら書き変え
ていくことは到底無理と思い知り、中盤から登場する同い年の日下部
なる青年との邂逅による化学変化に託することになるわけだが
日下部もまた悪人ではないものの人間として積極的に肯定したい
要素に著しく乏しい魅力薄な人間であることを読む者はすぐに
理解することとなり、貫多にも日下部にも到底化学変化は何も
起こらないのだと諦めて読む辺りからタイトルの「苦役列車」の
意味を改めて考えるようになった。

主要登場人物の誰にもほぼ全く感情移入できずに、徹底的に
アンチヒーローな貫多よりも寧ろ日下部に何事かの嫌な感じを受け
つつも、大学を卒業してからフリーターをしてそれなりに貧乏生活を
七転八倒で過ごして日雇いに近い交通費も出ないバイトも幾つか
こなした自分としては、北町貫多の食べ物に対する執着だけには
大きく同意して、実人生で味わった"情けない悲哀"を思い出しつつ
その点については楽しむことが出来た。因みに自分のフリーター
時代においては日下部の中に貫多を棲まわしているような人間に
出会って辟易したことを読んでいて懐かしく思いだした。

映画の世界も文学の世界も古今東西の共通の鉄則として
「食べ物と女(男女関係)が描ければ善し」
という揺ぎ無い不文律があるが「苦役列車」における食べ物に関する
描写は確実に合格であると思う。であるから、西村賢太はこれからも
何かしらの作品を遺していくことだろう。ここ数年の作家としての
活動で生活水準は低いながらも上向きのようなので、今回の受賞
を踏み台にして得た収入を酒池肉林にご遠慮なく投下して頂き
青春時代のご自身への未来からの報酬?と列車を降りることを自ら
放棄してしまった作者の負の側面の権化たる北町貫多へのエール?
として存分に酒と女に溺れて、堕ちて堕ちてその先に見えるもの
について我々に見せて欲しいと切に願う。氏の発表済みの作品の
中では「小銭を数える」を読んでみたい。 

 

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文藝春秋 2011年3月特別号
第144回芥川賞受賞
西村賢太作 「苦役列車」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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2009年1月14日 (水)

本「億万長者はハリウッドを殺す」

本「億万長者はハリウッドを殺す」(上・下巻)
 
 
アメリカ創世記から2008年の今現在に到るまで
(本書で取り扱っているのは1980年代レーガン政権まで)
我々を取り巻く世界は「一貫して」一体誰に支配され
続けているのかということを実在の超巨大財閥に巣くう
人間たちの『履歴』を徹底的に洗うことで調べてみよう
というなかなか興味深く且つスリリングな本。

10代の頃読んでいたら大変な衝撃を受けてしまったかもしれない。

というか間違いなく受けていただろう。でも小物の自分は
どちらにしろ「今の自分」に近いところに着地していただろう
とも思い直した。

20世紀に世界規模でおきた大事件の"点"と"点"を若干荒っぽく
ではあるが長大な200年近くに及ぶ『線』に縫合仕立てた労力と
勇気には評価したい。日本人としてもさらに加点しなくては
なるまい。本書はその荒っぽさで永遠に評価は別れっ放しの
一種の奇書であろうが十分手荒に扱われた我々としてはこの
くらい手荒に総括してやってもいいだろう。勿論一方的な
被害者面しているわけでは無論無いが。

また本書の手法は自分が全く偶然ではあるがかねがね有効では
ないかと考えて実践も考えてた手法そのもの(その人の発言ではなく
あくまで生きて動いた行動の軌跡と出自のみから考察して正体を考える)
なので推理小説同然に楽しく読めた。

映画に長年親しんできて蓄積されてきた邦画・洋画を問わない
ある『疑問』というか『疑惑』は本書によりほぼ『確信』に変わった。

と言ってみても自分もそれなりに擦れた三十路過ぎなので
極論的には

「まあ、偉いこっちゃけど仕方無いわなー我々負けたし
今も負けっ放しやしこの分じゃこれからも多分負けるし」

という程度のリアクションで今後も映画を観て酒飲んで
何か適当に食って適当に働いてどこかの勝ち組とやらに
適当に(といいつつ出来る限り)抵抗して死にます。

本好きでお暇な人は一読をお奨め。
テレビのワイドショーとかお好きな方は。。
あまり鵜呑みされないように。

10代の方は読了後、ご両親や先生、ご学友などなるべく
沢山の意見を異なる方々とディスカッションしてさらに次々と
読書をされていくがようかろうて。

とりあえず自分は残り半分の人生を生きるのにエネルギー補充
された&次の試験の傾向と分析には確実に役立った感じはします。
つまりは
生きるのがより恐ろしくなり、より面白くなった。

映画好きを自認する人にとっては必読の書か。
希代の奇書か、はたまた禁断の本か。

今この瞬間も世界は本書の登場人物達(とそのDNAを継ぐ者達)の
思うがままに進んでいる。。??

注:入手はやや難かも
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「億万長者はハリウッドを殺す」上・下巻
広瀬 隆(ひろせ たかし)著
講談社

 

 

 

 

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2008年11月 8日 (土)

本「中原昌也 作業日誌 2004→2007」

「中原昌也 作業日誌 2004→2007」
 
 
[kuroneko ブック・オブ・ザ・イヤー 2008] 受賞!

読んでいて無類に面白い。時の経つのも忘れる。

本を読んで「無類に面白い」なんて表現が浮かんだのも何年鰤だろ。

著者である中原氏の本当に捨て身の日常のライブ感と
"心を吹き抜ける隙間風"の虚しさに驚愕し恐れ入りそして、正直どこか羨ましく思う。

「だったら代わりにやってみぃや。ボケェ!!」(゚д゚メ)
という著者の罵声が聞こえてきそうだけど(^^;)

帰宅してからちょこっと。寝る前にちょこっと。
数日分ずつを毎日チマチマ読む愉しさったらない。

読み終わってしまう瞬間を思うと今から何やら寂しい。
(やたら惜しみ読みしているので読了は多分年末当たりか)

まあ読み終わってしまったらまた最初のページから読めばいいのだ( ̄ー ̄)
余裕で一年間は枕元にあることでしょう。

毎日読むよ。
繰り返し読むよ。
声に出して読むよ(←ウソ)。

金持ちから貧乏人まですっかり嘘つき&偽善者ばかりが
目立つ社会と成り果ててしまったこの国で著者の無謀な
愚挙の連鎖の日々とその叫びの虚しさは真に賞賛に値する

 
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3月27日
この日記を始めて以来、何もかもが
悪化の一途をたどっているような気がし
てならない。そもそも文筆自体が、自分
の首を絞めているのだ。人から適当に
面白がられ、心の中ではフリークスのよ
うに蔑まされ、貰える報酬なんて空き瓶
拾い以下である。こんなこと何のために
やっているのだろうか・・・
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本書より
 
  
Good job!! 中原さん。絶対にマネ出来ません。。(ーー;)

柳下毅一郎氏のブログでの賞賛
http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-952c.html

第18回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞

「中原昌也 作業日誌 2004→2007」
     

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「中原昌也 作業日誌 2004→2007」
中原昌也(なかはら まさや)著
boid

 

>> 中原昌也トークショー ・ ジュンク堂にて (2008/12/3)    
>> 音_10_05_03 ・ 作業日誌にと共にある某日 (2010/ 5/3)    

    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    

 

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2008年5月29日 (木)

雑誌「PLAYBOY」7月号

雑誌「PLAYBOY」7月号
特集: 誕生80周年 チェ・ゲバラ ぶれない男

月刊PLAYBOYの最近の仕事振りは素晴らしい。
っていつものことかもしれないけど。
こんな雑誌を作っている現場で仕事してみたいなー
雑用でも何でもいいから。

チェ・ゲバラの遺体の写真はちょっと洒落にならない
インパクトがある。(p48,p51)

眠るような安らかな表情の~という写真はよくあるが。。
起きているよ!マジで( ̄ロ ̄lll)

"その姿はまるでキリストのようだ"

という説明は全く大袈裟ではない。目が点になった。

革命家チェ・ゲバラはキューバを去った後
ボリビアに次なる革命の夢を描こうとするが戦闘後に
捕らえられ時のボリビア大統領バリエントスの命令により
1967年10月10日射殺される。享年39才。
遺体の埋葬場所が明らかになったのは30年後の1997年6月
のことだったという。

ゲバラは日本にも来ていた。
それは1959年7月15日。

当時通産相だった池田隼人(第58代~60代内閣総理大臣)は
15分の約束でゲバラと会いきっちり15分で席を立った。

7月24日、大阪にいたゲバラは広島がそう遠くない
ことを知る。広島に原爆が投下されて多くの犠牲者が
出ていたことを知っていたゲバラは広島に向かい
翌25日に原爆死没者慰霊碑に献花し原爆資料館を訪れた。

資料館を見学中にゲバラは案内役の日本人担当者にこう
言ったという。

「アメリカにこんなにされてなお、君達日本人は
彼らの言いなりになるのか」 (p45)

同日、ゲバラ一行は原爆病院も訪問している。

ゲバラは、
トヨタの製造ラインを見学し、
三菱重工の飛行機製造現場を訪れ、
川崎重工造船所を視察し、
久保田鉄鋼堺工場で農業機械の作られる様を眺め、
耕運機や農薬散布機を実際に動かし、
丸紅・鐘紡を回り、
大阪商工会議所主催のパーティに出席し、
ソニーのトランジスタ研究所を訪れ、
建設機械工場・映画スタジオ・肥料工場・製鉄所・
繊維機械工場などを精力的に回った。

7月27日、キューバ使節団は日本を立った。

翌年キューバと日本の間に通商条約が締結され
現在も継続中(!)。

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特集以外にもドレスデン空爆をテーマにした本邦初翻訳による
カート・ヴォネガットの未発表作品
「阿鼻叫喚の街-戦勝国アメリカの非道」
も短いながらも読ませる。

「・・・どんな手段を使ってもいいから、殺せ。
殺せ、殺せ、殺せ、わかったな?」
新兵たちはぎこちなく声をあげて笑った。 (p74)

wikiによればドレスデン空爆は1945年2月13日~14日にかけて
行われ死者は3万とも15万とも言われている。

いわゆる東京大空襲は1945年3月10日に行われた。
(死亡者8万人以上,負傷者4万人以上,被災者100万人以上)

ドレスデン空爆 -> 東京大空襲 -> 広島・長崎への原爆投下

これら全部をたった一年以内(約半年間)で。。
少しでも知っておいて何ら悪いことは無いだろう。

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「アメリカにこんなにされてなお、君達日本人は
彼らの言いなりになるのか」

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残念なことに今もって、そしてこれからも有効であり続ける問いかけだ。

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2008年4月30日 (水)

雑誌「PLAYBOY」6月号

雑誌「PLAYBOY」6月号
特集: 世界を変えた50枚の写真

写真に詳しい人にとっては見たことのある著名
な作品ばかりかもしれないけれど

写真は好きだけどそれほど詳しくはない。
という人にはとてもお勧め。永久保存版。

レイアウトが素晴らしく。各写真の短文もグッド。
表紙と掲載されている写真のバランスも
よく購買意欲をそそられた。

PLAYBOYは昔から読んでいるけど相変わらず写真
の扱いが上手い。

超有名なロバート・キャパの写真
「崩れ落ちる兵士」
Spain Civil War("The Falling Solidier")(1936)

も掲載されており記事は"ヤラセ疑惑"についても触れて
いるが、疑惑が起こっている理由はこの写真と
同一人物と思われる人間が別の写真でほとんど同じ
服装で全く緊張感なく演習風景と思われる塹壕で銃を
構えてい写真が残っており撃たれる瞬間を撮られた写真
との時間的な連続性に疑問を持たれていることが
理由としてある(二枚の写真はほとんど同時期に撮られている)。
私の意見としては記事でも書いてることだが
例えヤラセだと判明してもこの「崩れ落ちる兵士」の持つ迫真性と
ドラマ性の高さは今後も評価されるべきで何ら写真自体の
価値が堕ちるものではないと思う。

初めて見る写真も少なくないが
中でも以下の二点は特に感銘を受けた。

「ブラジル、セーラ・ペラーダ金山」
セバスチャン・サルガド
Serra Paleda,State of Para,Brazil(1986)

金山で働く人々を高所からダイナミックな構図で捉えて
いて画面から漂う群集のパワーは何だか"叙事詩"という
言葉が浮かぶ。

(ダッハの運河に沈むナチス親衛隊の死体)
リー・ミラー
Dead SS Guard floating in Canal, Dachau,1945'

眠るように河に浮かんでいる男の死体。その死体の表情
の穏やかさとある種の"美しさ"。そしてナチスであるという
事が見る者にこの男が親衛隊としてどのように生きて
なぜ死んで運河に浮かんでいるのかを考えずにはおかない。
生前にどんなに力を行使しても死んでしまっているという
人としての哀れさも。

他の掲載写真も見る度に異なるイメージを抱かせる
傑作写真ばかりで何度見ても飽きない。
グッジョブしてるっす。(*^ー゚)b

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