東京漂流某日

2015年5月15日 (金)

東京漂流某日(十七)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter17: 飛翔(2) 墓標

 
 

 黒猫は黙々とキーボードを打ち続けていた。必要のないデータは
削除し、使えそうな資料は引継ぎ用のフォルダーに移す。入社した
ばかりの時には、ただの一行も理解できなかったコードやシステムの
説明資料が、今やすっかり手垢がつき、懐かしくすらあった。

 最後の大きな不要データをゴミ箱に移し、さらに完全に消去して
[Enter]キーを押すと、黒猫は天井を見つめて深呼吸を一つした。

 今日、黒猫は鼎での最後の出社日を向かえていた。鼎はもともと
10人にもみたいない小さな会社だったが暫時的にリストラを行い、
今では出向にも出せる人間は全て出していた。今日はまるで休日に
出社したかのようにオフィスにはほとんど誰もおらず静まり返っている。
というより、ひっそりとしていた。速目は、近頃では会社を休みがちに
なって余り出社しなくなっていた。

 「駿君が去って、黒猫君も辞めて、これで、わが社も終わりですね。」 

 犬鷲が黒猫に近づいてきて話しかけるでもなく独り言のように呟いた。

 肯定も否定もせず、黒猫は黙って聞いていた。

 「きっと、そうなのだろう。」 

 黒猫は特段奢ったわけでもなく、率直にそう思った。たとえ、仕事が
来たとしても、残っている今のメンバーではとてもこなすことはできない。
出向にも出せないスキルの未熟な人間を食わしていくことも相当に
難しいだろう。

 だが、、 

 「思えば、君が入社して、駿君と連日のように議論していた時。
あの時が、わが社の最盛期でした。

 かつて、皆で大量のコードの紙を並べて品評会のように意見を述べ
合った大きな丸いテーブルに犬鷲は近づいて続けた。

 確かに、あの時の活気が今ではまるで嘘のようだ。それから、しばらくは、
逆に出向の社員を受け入れることもあって、彼等は毎日朝早く出社して
掃除をしてくれたり自分の机まで丁寧に拭いてくれたりしてくれていたっけ。
確かに、設立して何年なのか知らないが鼎のほんのひと時の"栄光の時"
を黒猫は体験できたのかもしれないと思った。

 犬鷲は、社長と二人だけになって、またきっと何かしらの事業を
続けていくのだろう。もしかしたら、この二人は昔からそうやってきた
間柄なのかもしれない。

 黒猫は漠然とそう思った。駿も、速目も、自分も、他の従業員も、
まさか、誰もこの会社で定年を迎えようなどとは洟から思っちゃいない。

 社長は犬鷲という人間に自分の会社を託し、犬鷲は黒猫を含めた
人材をその時々に集め、仕事を回し、一時の隆盛を得て、そして瞬く
間に落日を向かえ、会社を恐らくは畳もうとしている。そんなことはお構い
なしに黒猫は駿達に出会い、駿は去り、黒猫もまた次のステージへと
旅立つ。

 この会社に集った人間で大きく得をした人間はいなかったかも
しれない。だが、大きく損をした人間もきっといなかっただろう。

 何かの偶然で集まるべくして集まり、そして、必然として、
去るべくして去るのだ。黒猫にとって、「今日」がその日である。

ただ、それだけの話だ。

 黒猫はそう思うと、なにやら晴れやかな気持ちになった。

 そして、最後の出社日を向かえて、黒猫はようやくにして思い出す
ことが出来た。犬鷲が一体、誰に似ているのかを。

 それは、ある有名なSF映画に出てくるアンドロイドだ。抑揚の無い
無機質な声と、"真意"がどこにあるのかさっぱり判らない言動。
そのアンドロイドは物語の最後には首を吹き飛ばされるが、それでも、
やはり抑揚の無い声で主人公に延々と語り続ける。犬鷲は、その
アンドロイドに声も、容姿も、喋る内容の質もよく似ていた。

 「貴方が誰に似ているのか、今日やっと思い出しましたよ。

 黒猫は、空いている席のパソコンを所在なく操る犬鷲の後姿を
見ながら、心の中で呟いた。それは犬鷲への別れの言葉でもあった。

 定時が来て、黒猫達はオフィスを後にした。 犬鷲が手配した
居酒屋に行ってみると、すでに貂坂と何人かの社員が先に来ていた。
黒猫は貂とは久しぶりだった。貂坂は千葉方面の会社に出向に出され
ていた。

 黒猫が主賓の送別会のせいか、話の内容は仕事のことではなく
黒猫や貂坂の世代が夢中になって観た80年代の映画の話しで終始
盛り上がった。犬鷲も黒猫が思ったほどには年は自分達と離れていなかっ
たことが最後の日に判った。30代半ばくらいなのだろうか。

 二次会も終わり、犬鷲と貂坂と数名の社員が黒猫の帰る方向の
駅の入り口まで見送ってくれた。黒猫は全員と握手をした。情に厚い
貂坂は涙ぐんでいた。

 「犬鷲さん、お世話になりました。」
黒猫は礼を言って頭を下げた。

 「こちらこそ。君ならどこでもやっていけるよ。」
犬鷲はいつもの笑顔で応えた。

 「貂坂さん、"萌え"ていますか?」

 黒猫は冗談っぽく、いつか語りあった"萌え"を引き合いに出していった。

 「萌えていますよ。黒猫さんは?」
貂坂は涙を拭きながら大きく頷いて、返した。

 「萌えています。」
黒猫は言葉を返して、もう一度握手をした。

 「皆さん、お元気で。」

 黒猫は手を振る皆を振り返りながら、階段を降りていった。暗がりで
影が手を振り続けていた。

 切符を買い、改札を通る時に黒猫は思い出した。数日前に後で
読むようにと速目から渡された手紙のことを。

 鞄から取り出して、開いてみると、短い言葉が綴られていた。

 黒猫は、クスと笑って電車に乗り込んだ。

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年12月30日 (火)

東京漂流某日(十六)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter16: 飛翔(1) インター・ミッション

 
 

 駿のピンチ・リリーフをどうにか、こなしてから一ヶ月が過ぎた。
メガ・システムからは新規の案件は来ず、既に納品した物件に関する
カスタマイズや残務的な処理に黒猫は追われていた。一度、全体像を
描けた仕事でもあるのでそれほど困難な作業ではなかった。

 黒猫は榊とのやりとりを全て犬鷲に伝えていた。特に新規案件を
今の鼎に持ってこられてもこなすのは難しいということを伝えた点に
ついては暈してはならず、本来は越権行為に近いが犬鷲は

「事実だから、仕方ないよね。」
と同意した。

 会社としては明らかに仕事は減り、リストラにより既に何人かは
会社を去っていた。

 

 その日、鼎としては珍しく関西にある会社から客が来てプレゼンを
やるということで、社長から黒猫も出席を命じられていた。

 「何のプレゼンをやるんだろう。」
黒猫には事前説明が無く、内容について見当がつかなかった。

 鼎側は社長と犬鷲と黒猫の三人が出席した。相手側は二人。
社長は、熱弁を振るった。何でも相手型が得意としているデータ・ベースの
構築技術と、それを活用しての保守実績が長くある国内外にある優良な
クライアントをネットワークで結ぼうということらしい。

 「一体、誰がこのプロジェクトをやるんだろう。。」

黒猫は、社長のやや具体性には欠けるものの、勢いは感じられる
熱弁をまるで他人事のように聞いていた。

相手の二人も半信半疑のようだ。

黒猫は、来社している二人の横顔を見ながらそう思った。

 「わが社においては、このプロジェクトを黒猫が担当します。

黒猫は耳を疑った。

 「、、、何を、、言っているんだ?社長は。」

メガ・システムの納品がいかに薄氷を踏む思いだったのか。
幾つかの幸運によって救われた結果に過ぎなかったのか。
駿の基礎作業の成果に多くを負っていたのか。。

黒猫は、犬鷲にも社長にも正確に伝えたはずだった。
今の鼎には、自社開発は当面は無理だということも。

 昼食を挟んで、午後も社長のプレゼンが続いた後、相手方は
「持ち帰って、前向きに検討します」との言を残して去った。

 黒猫と犬鷲は二人を見送った。

 「プロジェクトの進展は、ないな。」

 黒猫は、二人の自分達への挨拶の態度と、去り際に話して
いた雰囲気から悟った。

 隣りで見送っていた犬鷲も同様の気持ちであることはその表情から
読み取れた。黒猫は不思議な安堵の気持ちになった。

 

 「スゴイじゃない。黒猫!

 速目は、帰り道でいつもの屈託ない調子で黒猫に言った。
黒猫は、何かを思案しながら黙って歩き続けている。

 「、、、アンタを中心に会社が回り出したんだよ。嬉しくないの?

 速目は黒猫の顔を覗き込んだ。

 「そりゃ、嬉しいさ。だけどさ、俺に一体何が出来る?
駿さんは居なくなっちゃったし。社長はいい人だけど、技術的なことは
何も分からないし。犬鷲さんから教わる事も、もうないしさ。
、、今の俺には、何もない。

 速目は、黙って黒猫を見ていた。

 「速目、俺は会社を辞めるよ。この会社で学ぶことはもう何もない。

 黒猫は前を向いたまま、思案していた結論を出して、言った。

 「、、、そうね。私も、辞めようっと。

 速目は、驚いた様子を示したが、すぐに同調して言った。

 「オウ。辞めろ、辞めろ!

 黒猫は、速目の想定外の言葉に一瞬、面食らったが、声を
上げて煽った。

 「私はさー、アンタや駿みたいにゴチャゴチャ議論したり、喧嘩を
したりしなくても、プログラムも書けちゃうし、お電話番でも何でも
出来ちゃうしね。次は何をやろうかな。アイドルになっちゃおうかなー

 「今のうちに、サインを貰っておこうかな。」

 黒猫は、速目の"構想"に今度は逆に合わせておどけて見せた。

 「そうね。アンタにしては、賢明な判断ね。そうしておいた方が
無難よ。今度、会った時はさー、私は忙しくて、アンタの相手なんて
している暇はないわよ。きっと。

 速目は、楽しそうに黒猫を眺めて言った。

 「。。。」

 黒猫は、沈黙している。

 

 「、、、でも、話くらいはしてあげるわ。可哀想だから。

 「ハハハ。」

 「フフフ。」

 二人は笑って、坂を下りた。 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年7月12日 (土)

東京漂流某日(十五)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter15: 峠(5) 畦道

 
 

 「黒猫、大丈夫?」

 「何とか。大丈夫だよ。」
 黒猫は軽く目を瞑ったまま受話器の先の相手に応えた。

 「私さ、昨日、アンタに言われて入社した時に貰ったテキストを
必死で捜したんだけど無くってー。夜中にやっと見つけて、朝、
会社に持って行ったら、アンタもう居ないしー。間に合わなくて
ゴメンね。」

 「ああ、大丈夫。何とかなったから。」
黒猫は疲れのせいか、込み上げる苦笑を堪えた。

 「それで、、犬鷲さんは、居る?」
黒猫は会社に電話を入れた"本題"を速目に伝えた。

 「あ、忘れてた。犬鷲さんねー、今日は営業だって言って出掛けた。」
速目は屈託無く答えた。速目の"何事も無さ振り"が連日連夜
苦闘の連続だった黒猫を少しだけ解放した。

 「分かった。ありがとう。じゃあ、今日は直帰するからヨロシク。」
黒猫は受話器の線を手で巻きながら速目に伝えた。

 「ハーイ。黒猫、頑張ってね。」
黒猫は公衆電話の受話器を置くと、余った小銭がチャリチャリと
返却口から出てきた。黒猫は緊張が解けたのか大きな欠伸を一つ
した。通路を吹き抜ける風が黒猫には心地よかった。

 納品日を翌日に控えて依然として問題が解決しない事にパニックに
なった黒猫は、入社時に必ず配られるプログラムのサンプルコード集の
存在を思い出して速目に持って来るように伝えていた。黒猫自身に
配布されたものは余りにも酷使し過ぎてとっくにバラバラになって紛失
していた。速目は入社当初こそコードを書いていたもののいつのまにか
会社の総務兼電話番のような役割になっていた。コード集もきっと良好な
状態で残っているであろうと予想してのことだった。

 だが、ごく基本的なルールについて書いてあるだけの凡例集が
実務で起こっている厄介な不具合の解決に使えるはずもなく、そもそも
持って来るのが納品の当日では間に合う方が話の"辻褄"が合わない。
黒猫はよほど焦っていた十数時間前の自分に笑いがこみ上げつつ
無為な作業をさせてしまった速目に心の中で詫びた。

 「黒猫さん、ここに居たんですか。フロアに来て貰えますか?」
納品したプログラムのテスト担当主任の出崎が黒猫を見つけて
声をかけた。

 「はい。すぐに行きます。」
黒猫は、ネクタイを締め直しつつ出崎の後を小走りで追った。

 横浜の市街地から少し離れたとある施設に、黒猫は居た。

 鼎の作業担当者が終盤の、さらに終盤に来て駿から黒猫に
代わったことで、メガ・システムの榊も、実際の納品先の担当官達も
最初こそ動揺したが、黒猫の経緯説明で一応は納得したようだった。
今さら、この場に来てシステム・ハングアップもなかろうと、黒猫は
最終実地確認に立ち会わなくてもどちらでも構わないということになり、
極度の寝不足と緊張の連続できた黒猫は失礼を承知で、無理に
立ち会って返って粗相が無いようにと風通しのよい階下の通路に
降り、ついでにと会社に電話をいれたところだった。

 「お、黒猫君。来たね。」
画面を食い入るように見ていたメガ・システム側の責任者の榊が
黒猫に振り返った。黒猫が腕時計を見ると、テストが始まってもう
1時間近く経過していた。

 「大体、OKのようなのですが、処理701系統については、榊さんに
よると鼎さんが主に担当されているということで、幾つか確認したい
点がありますが、よろしいでしょうか?

 「はい、大丈夫です。どうぞ。」
黒猫は、心の中で自分の両頬を強く手で打って気合いを入れ直した。

 「じゃあ、操作して。出崎君。」

 出崎は指示を待つまでもなく流暢なブラインドタッチで画面を素早く
展開させ始めた。駿と連日連夜苦闘した他系統との連動処理の所だ。
寝食の何もかもを犠牲にした数週間のお陰か、黒猫は榊達と一緒に
流れていく数字の羅列を眼で追いながら、動揺も焦りも感じない自分
の姿を観察していた。

 「、、大丈夫だ。
黒猫は、確信した。

 システム全体としてはメガ・システムが完成させた仕組みなので、
黒猫は隣りでそれらしく頷いていれば良かった。榊はそんな黒猫を
試すかのように説明の途中で黒猫に話しを振って来た。黒猫はスポーツ
かシューティング・ゲームのように榊達の最終テストの会話の先を
予想し"ヘマ"をして榊とメガ・システムに迷惑をかけないことに意識を
集中した。黒猫の在籍する鼎はどこまでもメガ・システムの単なる
下請けでしかない。だが、この場では、共同開発者であり、パートナー
でもあった。

 納品の現場に到着した時には、黒猫にとっては眼前の相手は
榊も含めて全て"敵"であり各個に撃破しなくてはならなかったが、
峠を越えて見れば、納品先の出崎達も含めて、ある予算の中で一つ
の目的を達成する仕組み(=システム)を作る為に集まった大所帯の
チームに過ぎない。誰かが何かを「ヘマ」すれば、それは相互に
複雑に関ってくる

「共通の問題」

なのだ。

 黒猫は、巨大なシステムの出口付近を動かす一端と、さらにその
中でごくごく僅かに動くだけの自分達のプログラムに人間の社会と
個人と無数の集団そのものを見る思いがした。

 

 「それでは、こちらの書類をお持ちください。本日はありがとう
ございました」

 黒猫と榊は出崎からそれぞれに納品完了に伴う関連書類を
受け取った。テスト結果は概ね及第点だった様子が相手の表情と
態度から見てとれた。何か、想定外の事が起こり駿の言うような
土下座はないとしても「平謝り」と「即日修正要求」くらいは想定して
覚悟も出来ていた黒猫にとっては穏やかに過ぎた"今日"という
日自体、余りにも出来すぎた結果とも言えた。

 黒猫と榊は揃って施設を出た。

 「黒猫君、こっち行こうよ、こっち。」

 榊は駅に向かう大通りではなく、わき道の方を指差した。

 「ハイ。」

 黒猫に異論があるはずもない。

 首都圏近郊のどこにもであるであろうただの小さな繁華街と駅を中心に
立つビル郡と後は、住宅があるだけだと思っていた風景が一辺して
広々とした田園風景が眼前に広がっていた。よく晴れ上がった陽射し
ととわずかに傾斜のある丘陵が黒猫を慰労してくれているようにも思った。

 大通りを素直に歩いて行った方が恐らく時間的には駅に早く着く
だろう。敢えて畦道を選んで前を歩いていく榊の姿に黒猫は、駿が
榊に心酔していた理由が何となく判った気がした。

 「あそこでもウチのシステム動いているんだよね。今日、寄ろうと
思っていたんだけど、止めておこうっと」
榊は遠くに見える白い建物を指差して笑いながら言った。

 黒猫は質問を思いついたがここまで来てボロが出て榊をガッカリ
させないようにと敢えて控えた。

 もしかしたら、自分の書いたコードも遠くに見えるあの建物でも
動いているのかもしれない。

 今、出てきたばかりの二度と訪ねることもないであろう施設でも
何十年も動くのかもしれない。二十四時間動き続けるのかもしれない。

 もしかしたら、100年後も、、それはないか。

 緊張からの解放と穏やかな風景に感傷的になっていた黒猫は
今日までの日々に不思議な感慨を持ちながら榊の少し後ろを
黙って歩いた。

 ほどなく駅に着いた。

 榊は仕事の関係で首都圏とは反対方向に向かうことを黒猫は
聞いていた。

 「榊さん、今日は本当に、、」
 黒猫は榊に最敬礼しようと向き合うと榊は自分の腕時計を見て
黒猫の動きを遮った。

 「まだ五時前か、、黒猫君は今日は時間あるのかい?」

 予想しなかった質問に黒猫は動揺した。

 「ハイ。大丈夫です。」
黒猫は即答した。

 「無事に納品終わったし。黒猫君、頑張ってくれたし、打ち上げやろうか。

 榊は、今日見せた中で一番穏やかな表情を見せた。

 疲れが一気に溢れたのか黒猫がふと我に帰るとテーブル越しに
榊と向き合いそれぞれの前にジョッキが置かれて、すでに何品もの
料理も並んでいた。

 「じゃあ、黒猫君。今日はご苦労様でした。」
榊はジョッキを持ち上げた。

 「ありがとうございます」

 黒猫は榊という実績豊かな他社のエンジニアとの差し向かいという
別種の緊張感と大きな安堵感に挟まれながらジョッキを上げて応えた。

 話しが進む中で、榊は、駿が突然いなくなった後の黒猫の悪戦
苦闘と鼎の社内での混乱振りを予期し、その後に起こっていた事態
まで正確に見抜いていたことが判明した。そして、犬鷲から駿と同世代
の人間が後を引き継いで頑張っていることを伝えられたことと、ある
タイミングを過ぎてからは納品自体にそれほど心配はしていなかった
こと。メガ・システムに何度も自主的に訪れ、榊に執拗に質問を浴び
せていた駿の熱意や、今日の黒猫の様子に若き日の自分の姿を重ね
合わせていたこと。。

 黒猫は何度も頷き、ただ聞き入った。

 「、、じゃあ、鼎さんは駿君が抜けて戦力ダウンは間違いないのか」
榊は何杯目かのジョッキを空にしながら言った。

 「残念ですが、駿さんの穴はしばらく埋められないのが正直な
ところです。自分も頑張っていきたいとは思っているのですが。。」

 黒猫は、榊が鼎に今後も仕事を発注しようとする意志を見て取り
社内の現在の状況をきちんと伝えねばならないと確信した。今回の
納品は幾つかの幸運の結果に過ぎないことは誰よりも黒猫が一番
理解していた。

 「榊さんの社内では、そのお仕事は出来ないのですか?」
黒猫は、榊が鼎に発注しようとしている"次の仕事"について無礼を
承知で思い切って訊ねた。

 「ダメダメ。ウチの若い奴等なんて。全っ然ダメだよ。何よりも君達
みたいなガッツがない。見習わせたいよ。

榊の表情が急に曇り手を大きく左右に降った。黒猫は勝手に褒め
言葉として有り難く受け取ることにした。駿が聞いていたらさぞ喜んだ
ことだろうと黒猫は思い、やや複雑な心境にもなった。

 時間は文字通り瞬く間に過ぎた。

 榊はやはり、次の仕事の現場に行くと言って黒猫とは反対方向の
ホームに向かった。黒猫は深く頭を下げたまま榊の姿が点になるまで
見送り続けた。

 次に気が付いた時、黒猫はいつのまにか首都圏に向かう電車の
席で鞄を抱えたまま寝ていた。

 黒猫は、暗い窓の外を呆然と眺めた。

 「、、駿さん、勝ったぞ。」

 黒猫は、独り呟いて再び眠りについた。

 そのまま終着駅まで黒猫が起きることはなかった。 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年5月 6日 (火)

東京漂流某日(十四)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter14: 峠(4) 臨界点

 
 

 「、、駿さんですか?
黒猫は努めて冷静に切り出した。

 「黒猫くぅ~ん、元気ぃ?
数日振りに話をする駿は上機嫌だった。恐らくバイクでツーリング中で
駿からこれまでに聞いた話を総合すると、恐らくは北上中だろう。どこかの
路の駅にでも居るに違い無い。今日、この日にこのタイミングで黒猫が
連絡してくることは駿は予想していたに違いない。何度かけても繋がら
なかった携帯が今日に繋がったのが何よりの証拠だ。黒猫はそう思った。

 

 「何で電話してきたのか、分かりますよね?」
黒猫はなるべく言葉を選び、慎重に切り出した。

 「、、、分からないね。」
駿は上機嫌を装った態度をすぐに改めた。駿の返しは黒猫には想定内
だったので黒猫は慌てず次の"手"を進めた。

 

 「メガ・システムの納期が明日なんです。まだ解決していない問題が
幾つか残っています。協力してください。
黒猫は単刀直入に伝えた。

 「、、、嫌だね。
少しの沈黙があってからの駿の回答だった。

 「勿論、全部とは言いません。だから、、」

 「犬鷲に言えばいいだろう。そんな事。もう俺には関係ない。
懇願する黒猫の言葉を駿は刹那に遮った。これも予想した回答では
あったが、堅い決意を感じる駿の言葉に、黒猫はしばらく沈黙した。

 「、、犬鷲さんに出来るわけがないでしょう。」
リップサービスでは無いことは駿にも判っているはず。黒猫はそう思った。

 数分間の押し問答が続いた後で、通話時間+アルファのアルバイト代を
支払うという条件で、駿は渋々ではあるが協力を承諾した。

 「それで実行してみろ。どうだ?」
黒猫は駿の指示通りにコードを修正し、実行してみる。

 「ダメですね。ビープ音が出ます。エラーは解消しません。」
黒猫は、問題が解決しない焦りと、駿がいつ気分を変えるとも
判らない緊張と、睡眠不足に疲れを感じていた。

 「、、、土下座しろ。黒猫。
幾つかの操作を繰り返した後、駿から想定外の言葉が飛び出した。

 「今、何ていいました?
一瞬、黒猫は何を言われたのか理解出来なかった。

 「土下座をするんだよ。『出来ませんでした』って。安心しろ。
土下座なんて、俺は何回もしたことある。」
駿は突き放すように言った。

 「今さら、そんなこと出来ません。もう少しじゃないですか。あともう少し、、
突然に予想外の方向に話が動き出し黒猫は疲れも相まって
戸惑いを隠せなかった。

 「謝っちまえよ。黒猫。そもそも、犬鷲が俺を手放さなければ良かったんだよ!
この仕事は俺抜きでは"絶対に出来ない"のに、俺を引きとめなかった
犬鷲のミスだ。アイツの大ミスだよ!
駿は滔々と続けた。呆気に取られた黒猫は黙って聞いているしかない。

 「メガ・システムの仕事がポシャった鼎に、最早、来る仕事なんてねぇ。
他の仕事なんてとっくの昔に無くなっているしな。仕事が無くなるって
どういうことか分かるか?黒猫。お前も、そして鼎も、もう、お終いって
ことさ。
カ~カッカッカ。あー楽しい
駿の心からの楽しそうな高笑いが受話器の向こうで聞こえた。

 「悪魔だ、この男、、
黒猫は、昔読んだ漫画の台詞を思わず小さく呟いた。

 「駿さん、お気持ちはよく分かりました。分かりましたから、後少しだけ、、
黒猫はここに来て打つ手を無くし、懇願するしかなかった。

 「うるせえ!もう電話して来るな。じゃーな、黒猫。
駿の言葉の後、電話は切れた。

 黒猫はすぐさま掛け直した。数十秒のコール音の後、留守番電話の
アナウンスが始まった。

 ただいま留守にしております。
 発信音の後、メッセージを録音してください。最後に、、
 

 「駿さん、黒猫です。電話ください。お願いします。」
黒猫はメッセージを入れた後、駿からの電話を祈るように待った。

 仕事は完全に頓挫した。黒猫は電話を幾度と無く眺めながらキーボードを
いじたったが集中できるはずもなく、最早なす術も無かった。

 黒猫は再び電話の受話器を上げ、駿の携帯電話の番号を押した。

 お掛けになった電話番号は現在、電源が入っていないか、
 電波が届かない場所にあるためかかりません。

 お掛けになった電話番号は現在、電源が入っていないか、
 電波が届かない場所にあるためかかりません。
 

  お掛けになった電話番号は、、、

 

 「クソッ!!」
黒猫は思わず受話器を叩き付けた。

 「ゲーム・オーバーなのか、、

 黒猫は立ちすくんだ。誰もいないオフィスは不気味なまでに
重苦しく静まりかえって、黒猫はまるで碇を抱えたまま海底にでも
沈められているかのように感じた。疲労と寝不足が追い討ちをかけて
軽い目眩を覚えた。

 いつのまにか黒猫はオフィスを彷徨い出て、階下の自動販売機の
前に立っていた。

 いつもは買わない高めの缶コーヒーを買った。最悪の事態を迎えて
自身が動揺しているのか、それとも、連日連夜キーボードを打ち続けた
疲労からなのか、震える手をもう片方の手で抑えて一口飲んだ。

 「、、旨い。

 黒猫は自分を落ち着かせるかのように暗い廊下で独り呟いた。
こんな状況下にあっても、缶コーヒーを旨いと感じる自分が
可笑しかった。そして、そのたわいない"事実"が黒猫に僅かな冷静さを
取り戻させた。

 缶コーヒーを一気に飲み干してオフィスに戻り、大きく深呼吸を一つした。
黒猫は壁の時計を睨みつけ長く沈黙した後、目を瞑り、改めて考えを
巡らし始めた。

 

 「今は午前二時半だ。解決していない問題は後、四つある。ただし、
一つは最重要課題が解決すれば自動的に解消するはず。残りの二つは
概ね解決方法は見えているから夜明けまでには何とかなるだろう。
だから、問題は『ただ一つ』と考えていい。

 「納品準備は昨日までで一応完了しているから、仮にソースコードが
完成してしまえば大して準備に時間はかからない。30分もあれば充分だ。」

 「遅刻や乗り過ごしは絶対にマズイので朝の8時には会社を出ないと
納品先に間に合わない。ただし流石に二日貫徹はまずいので睡眠は
取らないと厳しい。1時間は寝ないと体がもたないだろう。そうすると、
最終デッドラインは6時半。。

 黒猫は、さらに瞑目し続けた。

 「最終テストに1時間以上は取らないと絶対にマズイ。と、すれば
5時半には全て完成していなくてはならない。完全に解決してはいないが
既に峠が越えている問題は二つ。それでも、それらのコード作成には別途
1時間は必要。。」

 黒猫は目を見開いた。

 「四時半だ。核心的な問題部分を解決するのにかけていい時間は
後、二時間。『四時半』までだ。四時半までに"それ"が解決すれば、、
駿さん、俺の勝ちだ。」 

 ロードマップは、出来た。 

 「残り二時間半に、、俺の"全て"を懸ける

 黒猫は、誰も居ないオフィスで独り叫んだ。

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年11月 4日 (月)

東京漂流某日(十三)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter13: 峠(3) メルト・ダウン

  
 
 

 お世話になりました。本日をもって会社を辞めることとします。
 自分の担当分の作業は終わっています。
 皆さん、お元気で。さようなら。

 p.s. 捜さないでいください。

 駿

 
 

 「黒猫君、一体どういうこと?
犬鷲は駿の残したメモ書きを何度も眺め、黒猫に聞いた。

「駿さんは、、、"駆けたかった"んだと思います」 

黒猫はメモに目線を落としつつ力無く呟いた。

 「まさか、本当に辞めるなんて、、

 メガ・システムの仕事の頂上が見えた矢先の駿の余りに
突発的な行為に黒猫は呆れと若干の怒りを禁じえなかった。

 「メガ・システムの仕事、どうする?
犬鷲は物事の優先順位を冷静に把握していた。今は、駿という
大きな戦力の喪失を嘆くよりも、目前に迫っている納品が暗礁に
乗り上げたことの「認識」とその「克服」が何よりも最重要課題である。

 「駿さんのメモ置き書きに書いてある通り、駿さんの直接の担当を
含めて大体は一応は終わっています。ただし、全体を繋げるにあたっては、
まだ課題が無いこともないです。何よりも、作業の全工程に駿さんが
"いること"が大前提
でここまで来たので、その点が一番マズイですね、、」

 黒猫は自身でも必死に善後策を思案しながら犬鷲に答えた。

 「どうする?謝っちゃおうか?」

 犬鷲は黒猫の表情をじっと眺めながらさらに聞いてきた。 

 「謝って、それで済むものなのだろうか?そんなわけもないだろう

 黒猫はそう思った。犬鷲の提案が実行された後の会社と自分の姿が
想像出来なかった。それに、ここ数ヶ月の文字通りの苦闘が"無"になって
しまうこともまた黒猫には考えられなかった。

 「最初から白旗を揚げるのと、やるだけやって敗北の判定を受ける
のでは、雲泥の差だろう。どちらを取るかは明らかだ

 黒猫はそう結論付けた。しかし、まだ経験不足の域を出ない黒猫は
"降伏しないこと"を自ら宣言するには気が引けた。

 「一応、メガ・システムに聞いてみるというのはどうでしょうか?
八割は完成していることは間違いないので、全く納品できないことは
ないわけですし」
黒猫は少し落ち着きを取り戻して犬鷲に提案した。

 「判った。電話してみる。榊さんだったけ?」

 「そうです」

 榊というのは、メガ・システム側の担当者の名前だった。黒猫は
面識は無かったが、駿と二人で作業している時には何度も出てきた
名前だ。駿の話しから推定すると50歳前後のベテランであり、能力は
非常に高く、メガ・システムの主要幹部の一人だった。鼎が受けた
仕事はシステム全体としては、メガ・システムも主要な何社かある内の
一つにすぎないが、榊がメガ・システムからの参加の代表者として構築に
あたった範囲は大きく、黒猫は駆け出しながらもシステム・コードの
見易さと明快さには作業をしつつ驚くと同時に仕事自体が勉強にも
なっていた。

 駿はこれまでメガ・システムに何度も出向き、榊から指導を受けながらも
その人間性にすっかり心酔していたようだった。駿の犬鷲や鳶沼に
対するどこか小馬鹿にしている態度とは大きな違いである。

 駿によれば、榊は若手には会社内外を問わず厳しく当り、ダメな奴は
ダメ、ダメな仕事はどこまでもダメとはっきりした態度で臨む人間という
ことだった。ダメな対応をした場合には冷たくあたり、仕事が良く出来た
場合には飲みにも誘ってくれ、横柄な態度もなく飲みながら細かな点に
ついて注意をしてくれるということだった。

 駿は、なあなあな人間や、自己保身から来る謙虚さというものを徹底的に
軽蔑していた人間であり榊は駿にとって、例外的にリスペクトすべき"大人"
だった。

 「俺は何度か奢ってもらったことがある。お前なんて、到底ダメだよ

駿はいつものように"根拠のよくわからない上から目線"で徹夜の作業中に
黒猫によく言ったものだった。

 「榊さんは、果たして何と言うだろうか?」

 黒猫は、今後の事態の展開を読みかねていた。はっきりしていることは
今現在の仕事を、出来ようが出来まいが、駿抜きで納品しなくてはいけない
ということだった。

 黒猫は、仕事内容そのものの困難さよりも、駿がいないという絶対的に
不利な状況に対してに不思議とファイトが沸いてきた。

 駿が"失踪"した翌日、何とか気分を立て直し、作業を再開した黒猫の
席に犬鷲が近づいて来た。

 「メガ・システムに電話してみたよ」

 「どうなりました?」
黒猫は即座に反応した。

 「どうしても、ダメならば引き受けますってさ」
犬鷲はいつものように抑揚の無い声で答えた。

 「どういうことですか?」
黒猫には、"つまりはどうすれば良いのか"判らない返答内容だった。

 「"そのまま頑張ってください"ってこと」
犬鷲は切迫している状況をどこか楽しんでいるようにも見えた。

 「駿さんの事、榊さんに話したんですか?」
黒猫は立場上そして行きがかり上、なるべく情報を得ておきたかった。

 「緊急の用事でしばらく実家に帰るってことにしておいたよ」
犬鷲は、黒猫の質問の意図を充分に理解しているようだった。

 

今や、駿は去った。

 しかし、黒猫には、感慨に浸っている余裕は微塵もない。バラバラに
作っていた各セクションを"仮組み"までは一応済んでいるとはいえ、
黒猫はあくまでもアシスタントに徹するということで、責任を果たそうと
していた。それが今や棟梁であり、配下は「自分一人」となってしまったのだ。

 犬鷲は当然のように、会社として全面的なバックアップを約束して
くれたが、アシスタントだった自分がことここまで来て誰かに作業を指示
したり分業できるはずもなかった。最後まで一人でやるしかない

 これまで通り、他の社員がいる通常勤務時間の間は大規模なテストは
行わず、誰もいなくなる夜間を待ってから、各PCを様々なセクションに
見立て、テストと具体的に迫ってきた納品の期日に向けての「本組み」を
開始した。

 A系統とB系統をストレートに繋いでみる。

 B系統とC系統を繋いでA系統を呼び出す。

 D系統からA,B,Cを立て続けに呼び出してみる。。

 最もクラッシュする可能性の『低い』操作手順(つまり、通常では発生しない
であろう機械的手順)では、まずは大きな問題はなく黒猫は大きく安堵した。

 「『納品が出来ない』という最悪の事態は、無さそうだ」

 黒猫はいつものように独り言を呟きつつ自分のキーボード操作で社内の
何台もの画面が同時にスクロールする様を見て、何も判らずに駿の
後を追ってきた日々を思い感慨に耽った。

 自分の担当している箇所は、仕様の許容範囲内でコードの細分化を図ることで、
これまで問題を乗り越えてきたが駿の残したコードは表記技術のレベルが高い
だけでなく難解であるがゆえに、時間が無いなかでの改変は危険で、実際に
自分のコードと同じように対応しようとするとすぐにアチコチの箇所で問題が発生した。

 妙に用心深かった駿であったが、その用心深さがコード作成において、およそ
無意味な難解さを生んでいるのではと読んでいた黒猫は、その予感が的中した
ことと、矛先がまともに自分に向かって来たことに苦笑した。しかし、時間が刻一刻
と無くなっていくなかで、駿の無闇やたらなセキュリティの高さは怒りへと向かい、
何よりもシステムを理解出来ないまま作業責任者となったことを棚に置いて、
感情を高ぶらせてしまう自分の未熟さへの苛立ちともなった。

 駿のコード・パーツを自分で判るように今から分解して修正するか、別のサブ・
パーツを作り、難を逃れるか、、どっち着かずの作業を進める中で黒猫は自分の
やっている作業が判らなくなりつつあった。

 数日が経過し、納期はいよいよ翌日に迫った。

 すでに三日三晩徹夜に近い作業が続いていたが、黒猫にとっては納品が
無事に済めば連日の徹夜は問題ではなかった。

 黒猫はこの日もこれまでのように昼間は正式納品に向けた雑多な作業を準備し、
誰もいなくなってからの"最終作業"に備えた。

 残る数箇所のエラーが「どこで」、「なぜ」発生しているかという点においては
連日連夜の作業でクリアーになっていた。

 これまで幾度繰り返したか考えたくもない「エラーを発生させる手順」を改めて
冷静にコマンドを操って故意にシステム・ダウンさせ、PCの画面がブラック・アウト
したことを確認し、黒猫は疲労の蓄積もあってソファに深く身を沈め、しばらく天井を
見つめた。

 「万事休す、、か

 黒猫の目に涙が流れた。

 「まだ負けとは決まっていない。夜明けまで、まだ時間はある
 
 涙は敗北確定の悔しさではないという自己への確信が黒猫を奮い立たせた。

 窓の外には、月が出ていた。

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年9月16日 (月)

東京漂流某日(十二)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter12: 峠(2) "倍返し"の日

  

 「じゃあ、次。B支店いくぞ。よし、送った。どう?」
駿は、手馴れたキータッチで素早くコマンドを入力して黒猫に聞いた。

「えっと、OKですね。。いや、ダメですダメ。来てないです」
黒猫は向かい側のパソコン画面を睨みながら駿に応えた。

「おっかしーな。これは、どう?」
駿は次のコマンドを打つ。

「全然ダメですね。」

「あ、まただ。"死に"ました

黒猫は、強制終了を示すブラックアウトした画面に食傷気味に答えた。

 黒猫と駿は、かれこれ数週間に渡って"メガシステム"社の仕事に取り組み
続けていた。社内で空いているパソコンは総動員して、実際に稼動している
仕組みの数千・数万分の一の規模の模擬システムを構築して、納品に向けて
テストとコード作成をひたすら続けていた。

単体で作ってその範囲だけが動けばそれで完成

というこれまでの"代物"とは大きく異なり、「外」のフレームから不定期にやって
くる情報の仕様が完全にはわからない信号と同期させなくてはならない。流石の
駿ですらも経験不足から来る理解の不足から、マニュアルの意味の判らない
ところが多数あり、細部だけでなく全体の理解が二人とも覚束ないがゆえに発注
元のメガシステムに安易に質問するのは憚られた。

 犬鷲やメガシステムの担当者に極力頼ろうとせず、あくまでも自力で解こうと
作業に没頭し続ける駿の集中力と探究心に黒猫は関心すると同時に、自身の
理解力の無さと、駿に頼らざるを得ない非力さに日々打ちのめされていた。

 黒猫と駿は、同じ年齢であることがお互いに判ってからは、日々仕事をしながら
世の中の政治・経済・文化・風俗・歴史等々の諸事について屈託無く語り合うようにも
なっていた。

 駿に言わせると、この世に理解できない物など何一つなく、駿はそれを"知る"側
人間の一人なのだという。黒猫は、この世界を大いに知るべきであるという方向性は
駿に強く共感、且つ同意をしながらも、

 何人たりとも、結局は『知る』ことなぞはおいそれと出来はしないのだ。

と思い決めているところが、駿の主張とは決定的に異なり、どんな話題から
話し始めても、最後には誰かが心配して止めに入るほどの激論になるのが
常だった。

 周囲の心配を他所に、二人が極めて似ているところが一つだけあるとすれば、
黒猫も駿もお互いの会話が口論同然にエスカレーションすることをまるでスポーツ
のように楽しみ、寧ろ、心のどこかで望んですらいるということだった。それは、相手に
"ぐうの音も出ない"ように完全に論破するべくお互いにカウンターを虎視眈々と
狙っているということの裏返しでもあった。

 行きつ、戻りつの作業は次第に昼夜の区別はなくなり、平日・休日の区別すらも
無いかのように二人は没頭し続け、作業はどうにか前に進んでいった。

 晩秋を迎えたその日、二人は深刻な原因不明の事態に陥った。これまでに乗り
越えてきた幾つかの処方を施してみたが、お手上げだった。頂上がようやく見えかけ
てきただけに黒猫よりも、寧ろ駿の方が落胆と自身のプライドから来る怒りは大きく、
エラーを意味するビープ音が鳴る度にディスプレイを叩き付けた。

 「これは、どう考えてもシステム側のバグだよ。俺たちじゃどうしようもない

 駿は両手を挙げて"バンザイ"の仕草を取ると、椅子に思い切りのけぞり、眼鏡を
外して拭きだした。窓の外はすっかり暗くなっていた。日曜日だというのに、黒猫達は
お構いなしに連日連夜の作業を続けていた。

 黒猫は、画面を改めて食い入るように見つめた。駿が白旗を揚げたことでかえって
ファイトと好奇心が猛然と沸いてきた。

 「よせよせ。俺に解からないのに、お前に解かるわけないだろ。無駄だよ。無駄。
駿は上から目線を感じるいつものアクのある笑い顔を作った。

 「駿さんがお手上げなら、我が社はメガ・システムに対して即"デッド・エンド"
なんだから、逆に俺がココで突入しない理由が無いじゃないですか。そうでしょう?
黒猫は自虐と皮肉を合わせた笑いを"返す"と、問題の箇所のコードを眺めながら
キーボードを敲き出した。

 「。。。まあ無理だろうけど、やってみれば。俺は風呂に行ってくるわ」

駿は、どのくらい長い間使っているのか聞く気にもならないヨレヨレのタオルを
いつものように肩にかけて、オフィスを後にした。

 その日、駿はそのまま戻ってこなかった。社則など、知ったことかと、連日バイクで
通勤していた駿はきっと、気分転換にどこかに走りに行ったのだろうと黒猫は画面を
見つめながら思った。

 黒猫は静まり返ったオフィスでストップしたままの画面を見ながら感慨に浸った。

 

 とうとう、駿にも突破できない大きな『壁』が二人の眼前に出現した。 

 

 それは、今、黒猫と駿はこの『壁』の前においては「完全に対等である」ということに
他ならない。すなわち、、

 黒猫は、独り笑みを浮かべ、静かにキーボードに手を置き入力を始めた。

 月曜日の朝を向かえた。黒猫はいつものように宿泊したことは極力悟られ
ないようにして(黒猫と駿が連日連夜泊り込んでいることは周知の事ではあったが)、
社員達に挨拶をして向かえた。

 駿が"出社"して来たのは、皆が退勤しようとする夕暮れだった。駿は問題が解決して
いない事への苛立ちを隠していなかった。勤務体系は最早サラリーマンの体(てい)を
成していなかったが、犬鷲も社長も働き振りを見て黙認するしかなかった。

 

「駿さん、ちょっとよろしい?」
黒猫は"続き"を始めようとする駿に自分の席に来るように促した。

 「これを見てもらえますか。」
黒猫は、二人が作業の中断を余儀なくされた箇所の改良したコードを見せた。

 複数の問題が同時に発生していたコマンドを黒猫が入力してみせると、
次の工程に進んだ。二人から離れた席に模擬的に支店としてセットしている画面が
連動してスクロールしているのが見えた。

 雲っていた駿の表情が直ちに一変した

「どうやった?」
駿は黒猫に間髪入れずに訊いた。黒猫はこれまでの二人とは初めて逆の位置
関係になったことに緊張しつつも説明を始めた。

 「問題を完全に解決した訳ではありません。理由はわかりませんが、信号のスルーは
やはり発生してしまうようです。だから、視点を変えてみたんです。正攻法で受け止めて
制御しようとするのは止めて、"要"の部分は言ってみれば、装甲でしっかりと固めて
表面は逆にオブラートするだけで、受け流すようにしました。

 黒猫はこれまでと異なる処理を施した該当箇所のコードをマウスで指しながら、
説明を続けた。 

 「とりあえず想定されうる全パターンをテストしてみしましたがこの対処方で、大丈夫
なことは確認済みです。この現象に限っては本質的に我々の関与すべき問題ではない
ですし、少なくとも、納品には支障はないと断言できます。勿論、理由がわかって完全に
解決出来れば、それにこしたことはないですが。もう納期まで日も僅かしかありませんし、
この方法で行きませんか?

 駿は黙って、黒猫の改良プログラムにコマンドを次々と入力した。いずれも澱み無く
処理され、命令に応じた画面切り替えが次々と起こった。黒猫達の席から離れたD支店、
さらに遠くの席のパソコンの画面でも連動しているのが見えた。

 黒猫はさらに続けた。

「駿さんのコードはたしかにいつも全くと言っていいほど無駄がなく、綺麗です。でも、
今回は残念ながらそれが"仇"になって、コード行数をミニマムに抑えることに拘る
余りに"お化け"の出現を阻止できなかった。僕は、駿さんのようにコードを最短の
行数ではまだ書けませんが、今回のように少し見てくれは格好悪く、方法も泥臭い
かもしれないですけど、『動くように』は出来た。無駄の無いことは確かに理想ですし、
良い事かもしれないですが、今回のように必ずしも万能ではないこともありますよ。

 入社以来このかた、駿に言われ放題だった黒猫なりの精一杯の「倍返し」だった。 

 「クッ・・・確かにその通りだ。
駿は呻くよう小さく呟いた。

 「・・・!
駿が誰かの意見に無批判に同意した発言を黒猫が聞いたのは初めての事だった。
しかも、小馬鹿にし続けてきた自分の発言に対して、だ

 駿は、自分の席に素早く戻り、システムを立ち上げ、黒猫のコードといつものように
シンクロさせた。相手に取られた遅れを取り戻そうとするゲーマーのようにすっかり
ボロボロになっている仕様マニュアルを開き、無闇にキーボードを打ち出した。

 「よし。これで、確実に"見えた"な。今夜中に出来るところ、全部やっちまおうぜ
駿は、周囲を全く気にしないいつもの調子を取り戻していた。

 「了解」
黒猫は、言いすぎたかと思ったが、すぐに自分の分担の作業に集中した。

 「それと、今回の山を越えたら、俺は、、、ヤメル!
駿は、視線を画面から微動だにしないまま、小さいがハッキリとした口調で言い放った。 

 数分ほど、自分の作業をしていたようやく駿の発言が黒猫の脳に"届い"た

 「、、今、"ヤメル"って、言わなかったか?」
黒猫は、思わず駿の顔を見た。 気のせいか駿の顔は紅葉しているように見えた。

 「まさか"辞める"って言ったんじゃないよな。まさか、、
黒猫は一瞬、霧が晴れて確かに見えた山頂が暗雲で姿を消すような不安を感じた。

 二人は黙々と作業を続けた。

 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年8月14日 (水)

東京漂流某日(十一)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter11: 峠(1) Early days

 その日も、黒猫は一人会社に残り、コードの作成作業を続けていた。
季節は夏の最中を迎えつつあった。安アパートの自宅に帰っても、ただ
蒸し暑いだけで、何か面白いことが待っているわけでもない黒猫にとっては、
すぐ近くに銭湯があって、安価でそこそこ美味しい定食屋もある会社に
泊まって、プログラムの実務と勉強をしている方が、なまじ帰宅してしまう
よりも遥かに"理に叶って"いた。任されるコードの本数と難易度も着実に
上がり、駿や貂坂や犬鷲という前を走る優れた先輩が何人もいる中である
ということも、黒猫の会社への連日の泊り込みに拍車をかけていた。 
   

Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.

 黒猫が作業に打ち込んでいると、パソコンの画面の下に一行文字が
流れた。

「もうすぐ出来上がるな。風呂にでもいって、晩飯にするか、、」
小さな異変を意に介することなく、黒猫は作業を続けた。キーボードを
操りながら、いつもの定食屋で何を食べようかと思いを巡らしていた。

 

Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.

 

黒猫は謎の文字が視界には入ってきたことには気付いたが、そのさらに
奥に展開している自分の書いているコードに意識を集中している。

「なんだろう、この文字列は、、OSが出しているのだろうか。。」
仕事に必要な事以外、何一つパソコンの設定をいじっていない黒猫には
目の前で起きている現象に心当たりはまるでなく、よって相手にする必要は
ないと判断して引き続き作業を続けた。

 

Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.
Please call this phone number '03-xxxx-xxxx'.

....
....
....
 

「うわっ!!」
画面がいつのまにか意味不明なセンテンスで満たされて、最早、コード作業が
不可能になった時に黒猫はようやく異常に気付いて、手を止めた。

「何だ、これは?一体何が、、??
まるで、SF映画か何かの主人公にでもなったような気分で、黒猫は画面
いっぱいに流れ続ける謎の文字を呆然と目で追った。

 

 ジリリリリリリ

 

突然、電話が鳴り出した。
「!!」
反射的に黒猫は受話器を取った。

「ハイ。もしもし?」
黒猫は、自分が会社にいることを一瞬忘れていた。

「、、"鼎"様でしょうか?」

「ハイ。そうですが」
黒猫は、すぐに我に帰った。

「私、"ハイパー物流サービス"の沢木と申しますが」

「あ、ハイ。"鼎"でございます」

黒猫は相手が告げた会社に来週納品予定のコードを書いている真っ最中
だった。沢木は、黒猫と犬鷲等が納品する時にいつも窓口になっている
二人組のうちの一人だった。

「、、、?!」
黒猫は、この会社のバックアップシステムの一つに直接アクセスして、
コードの作成とテストをしていたことをすっかり忘れていたことに気付いた。
画面に溢れた番号と、電話のディスプレイに表示されている番号が一致して
いる。よくよく考えてみると、パソコンの画面を覆っている電話番号は同社の
番号だった。

「"鼎"の黒猫と申します。いつも大変お世話になっております。すぐに
ログアウトします」
黒猫は、誰もいないオフィスで電話先の沢木に頭を下げた。

「、、、オイ。やっぱりアクセスしてきてるの、"鼎"さんだったぞ」
沢木が同室にいるらしい誰かに報告しているらしい声が受話器の向こう側
から聞こえた。

「あー、犬鷲さんと一緒に来られている黒猫さんですね。どうも沢木です。
こんな遅くまで、ご苦労様です」
黒猫は、沢木が自分の名前を認識しているとわかって、安堵した。

「申し訳ありません。接続しっ放しで作業しているのを忘れていました」
黒猫は正直に沢木に告げた。

「いやー、こちらこそ。作業を続けて頂いても全然構わないのですが、守衛が
もう閉めたいと言い出しておりまして。まあ、我々もそろそろ帰りたいことは、
帰りたいのですが」
沢木はそう言って電話越しで快活に笑い声を立てた。

「流石に規模の大きな会社は違う」
黒猫は"守衛"という言葉に妙に関心しつつ、慌ててシステムを抜ける操作を
受話器を肩と顔の間に挟んだまま手早く行った。相手先のシステム画面が
擬似的に表示されていたのが、"ログアウト"することでいつものパソコンの
画面に戻り、溢れていた電話番号も同時に消えた。

「申し訳ありませんでした。今、抜けました」
黒猫は沢木に告げた。

「ありがとうございます。こちらこそ、せっかくやって頂いていたのに、作業を
中断させてしまいまして、申し訳ありません

黒猫達、"鼎"は沢木の会社の下請けに過ぎず、本来なら注意を受けても、
何も言えない状況であったが、沢木の嫌味の無い誠実な対応に相手先の
会社の堅実さと人材の"厚さ"を感じた。

「こちらは大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。来週の納品、
よろしくお願いします」
黒猫は出来る限り、会社という組織の一員としてのフォローをしたつもりだった。

「そうか、来週でしたね。こちらこそ。お待ちしています。明日は9時より
いつも通りアクセスしていただいて構いませんので。今後はお手柔らかに
"締め"は、午後6時頃で。お願いします」
沢木の笑顔が目に見えるようだった。

 翌週の納品時には、 納品そのものより、"電話番号ディスプレイ事件"が
会話の主題となった。

「あんな時間まで接続して頂いていることを想定していなかったので正直焦り
ました。流石に一方的に遮断するわけにもいかず。まてよ、そちらに文字くらいは
送れるはず、、と思いまして。驚きましたでしょ?
沢木は、楽しそうに犬鷲達に説明した。

「いや、まさか自分に向けたメッセージとは、微塵も思わなかったので、
ずっと無視していました。電話の音が一番ビックリしました
黒猫の回答に、一同は爆笑した。

「全くお恥ずかしい話なのですが、迂闊にも同じアクセス用IDを複数の会社に
配ってしまっていたものですから、相手が判らず。"全角文字"は送れないし
ディスプレイ表示の反応が無いものですから。まずは鼎さんから電話してみようと。
しかし、よく作業を続けてましたね。こちらでは皆で関心していましたよ」
沢木が続けた。

「やっぱり、お前の送った英文のレベルが低すぎたんだよ」
いつも沢木と組んで、黒猫達に応対している林のツッコミに一同はまた爆笑した。

その日は、"電話番号ディスプレイ事件"が奏功?したのか、納品だけでなく、
黒猫達側の独自提案による"改良案"もすんなりと了承された。

 

 「近頃、駿さんを見かけませんが?」
黒猫は犬鷲に聞いた。

「駿君は、"メガシステム"の仕事をやってもらっているのですが、
なかなか大変なようですね」

"メガシステム"は物流関連ネットワークシステムの開発から保守まで
幅広く提供している中堅の規模の会社だ。メンテナンスと一部機能改良の
仕事をその会社から受注できたのはいいが、作業内容が高度であること
に加えてチェック体制も厳しく、鼎では、駿しか仕事をこなせる能力を持つ者が
いない。流石の駿も大変らしく、社内で擬似的にネットワークシステムを
構築してテストしていても"埒"が明かず、連日メガシステムに直接行って
社内で必要な作業は夜中や週末にやっているようだった。スタンドプレイを
好み、社内では自分が突出して能力が高いと自他共に認める駿にとっては
寧ろ望むべき仕事でもあった。

 黒猫にとっても忙しい日々が続いた。犬鷲の指示の下、貂坂や他の社員と
ディスカッションをしながらコードを書き、一緒に納品に出かける一方で、
ごく自然な流れで駿のアシスタント的な作業を受け持つようになっていった。
黒猫は、より長く複雑なコードを書くという日々にも手応えを感じ始めていた。
駿のように、文法を極限まで削った美しいコードを書くということはまだ出来な
かったが、堅実にバグの発生しないコードが書ければ、まずは、それで良いと
いう犬鷲の方針には、黒猫のスキルはとりあえず及第点であるようだった。

 夏が過ぎようとしたある日、また一人の入社が決定した。

「今日から、働いてもらうことになりました速目さんです。主に電話対応と、
プログラムもできる範囲でやって頂こうと思っています」

例によって、犬鷲が一同に紹介した。その女性は黒猫達と同世代で
あることが何となく雰囲気でわかった。長く黒い髪が黒猫には印象的だった。

「"速目"と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
女性は早い口調でそう言うと皆にむかって頭を下げた。 

「速目、、さん」
黒猫は、小さく呟いた。

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年7月20日 (土)

東京漂流某日(十)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter10:  前哨戦(3) 君は、"萌えて"いるか?

 「黒猫さん、"萌え"って知っていますか?」
貂坂は、屈託の無い笑顔で突然聞いてきた。

"燃え"ですか?"燃える闘魂"の?」
黒猫は訳がわからず、貂坂に返した。

「ヤダナー黒猫さん。違いますよ~。"萌え"です。"萌え"
貂坂はなぜか得意気な表情でまた笑って聞いてきた。

「"モエ"ですか。"モエ"ねえ。。判りません。何ですか、ソレ?
黒猫にはさっぱり意味が判らない。この当時、"萌え"という
言葉はまだ巷に浸透しておらず、普段の会話で使われることは
なかった。貂坂は勝ち誇ったように、"萌え"について熱心に語り
だした。

「、、、つまり、アレですか。"萌え"というのは、可愛いと思う
対象を"愛でる"ということとほぼ同義語なのでは、、」
一通りの説明を聞いて、黒猫は改めて貂坂に応えた。

「違うんだなー。黒猫さん。全っっ然違うんですよ。"萌え"わ!
貂坂は、まるでテレビドラマで見るようなオーバーアクションで否定した。

「まあまあ貂坂君。君の十八番の"萌え"の講義はまた今度で
いいじゃないか」
犬鷲がなかなか前に進まない黒猫と貂坂の会話を止めに入った。

 その日は、月に数回ある作成したコードの納品の日だった。黒猫は、
犬鷲から納品に同行するように指示を受けてから二回目の"納入"だった。
貂坂は、会社の先輩ではあるが、年は黒猫より一つ上なだけだ。
極めて穏和な性格でその点が犬鷲に好かれているらしく、納品の際には
ほぼ必ず同行していた。

 

「今日は、誰がやる?」
犬鷲が貂坂に聞いた。"誰がやる"とは、納品先での作成したコード
内容の説明と、その実演のことである。

「誰がやるって、私はこの間、やったばかりじゃないですか」
貂坂は朗らかに笑った。二人の打ち解けた会話のリラックスぶりに
黒猫は犬鷲と貂坂の信頼関係と付き合いの長さを感じた。

 「、、、じゃあ、今回は、黒猫君、やってみますか?
犬鷲は黒猫に提案した。まだまだ初心者の域を出ていない自分に
"当番"の割り当てが振られることなどあり得ないと端から思い込んで
どこか人事で二人のやりとりを聞いていた黒猫はやや面食らったが、
拒否する理由は何もなかった。

「構いませんが、私で大丈夫でしょうか?もしミスをしたら、、」
黒猫は、犬鷲と貂坂に自分の力と経験値の不足を強調した。

「黒猫さんなら、大丈夫。きっと上手くやれますよ」
貂坂は即座に答えた。

 簡単な手順の流れと"想定問答"への回答の打ち合わせを終えて、
三人は地下鉄を何回か乗り換え納品先の会社に向かった。パソコンと
納品コードの説明書を詰め込んだ重い鞄を持って、ネクタイを締めて、
"製品"の納品に向かって歩いている自分の姿が、つい最近まで昼夜を
問わずウェイターや皿洗いをしていた黒猫には何だか可笑しかった。

 「本日の納品分の説明は、こちらの黒猫が担当します。それでは黒猫君、
よろしくお願いします
犬鷲は、自分達の納品の確認作業を担当するいつもの相手に向かって
挨拶をそこそこにして黒猫に振った。

それでは、始めさせ頂きます。まず、、」
黒猫は、これまで見てきた犬鷲と貂坂の身振り手振りを必死で"コピー"
して説明を開始した。キーボードにタッチする指先が、僅かに震えていた

「、、、以上で本日納品分のコードの機能説明を終りますが、何かご質問は
ございますでしょうか?」
黒猫は、相手の二名に向かって訊ねた。

「そうですね。大体、大丈夫な感じですね」
二人は目を合わせてごく小さな声で囁き合いゆっくりと口を開いた。

「二つ目のコードと、四つ目のコードを、もう一度動かしてみてもらって
よろしいでしょうか?」

「判りました。それでは、」
黒猫は、犬鷲の目と表情を確認しながら、操作を続けた。

「OKです。ありがとうございました」
幾つかの補足の質問が出たが、犬鷲が適時フォローすることで、作業は
無事に終り、正式な契約の履行となった。黒猫は指先の汗をハンカチで
拭い、キーボードにも水滴で光る部分を見つけて同じように拭うと電源を
落とし、パタンと蓋を閉めた。犬鷲と相手先の二人が書類と納品物の最終
受領の為、別室に姿を消すと、貂坂は黒猫の肩をたたき表情で健闘を
讃えた。

 

 「どうして、駿さんは納品には行かないんですか?」
帰りの電車の中で黒猫は犬鷲に聞いた。黒猫の見るところ、駿が犬鷲と
外出するところは見たことがなかった。

「駿君は技術的にはとても素晴らしいのですが、"ああいう場面"には向いて
ない人なのです」
犬鷲は窓の外を眺めながら応えた。黒猫も、それ以上は質問しなかった。

「そういえば、貂坂さん、"萌え"についてですけど、、」
無事に大役を果たして息をついた黒猫は、解決していないキーワードを
思い出して貂坂さんに"問答の再開"を打診した。

「黒猫さん、納品も無事に済んだし、今日はもういいじゃないですか
貂坂は、どこまでも真面目に対応しようとする黒猫の態度に急に恥ずかしく
なったのか、顔を赤らめて笑った。

「じゃあ、軽く反省会を開いて帰りますよ。貂坂君の萌えの講義の続きも
聞きしょう」
犬鷲は、冗談を交えて上機嫌に言った。

 

「、、やっていけそうだな」
黒猫は、そう思いながら、犬鷲と貂坂の後ろを追った。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年7月13日 (土)

東京漂流某日(九)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter9:  前哨戦(2) 真夜中の静寂

 黒猫が"鼎"に入社してから一ヶ月が過ぎた。本来ならば、会社で定めた
規定の研修を経て、正式なコードの作成作業に入るはずであったが(黒猫
以外の他の社員は全員研修済みであった)、犬鷲が黒猫に内定決定の
電話をした時の話の通り、大きな案件が急に受注できたらしく、黒猫は
数週間の自習を事実上の研修期間と判断されて、直接、実地作業へ投入
されることになった。

 各自が指定された本数のコードの提出が全員終わり、犬鷲の手による
全体チェックの最終日がやって来た。

 黒猫は二本のコードを書いた。黒猫にとっては、今後やっていけるのか、
事実上の入社試験の趣を呈していた。

 「皆さん、ご苦労様でした。これから呼ぶ人が書いたコードについては
幾つかの修正をして頂きたい点がありますので、呼ばれた方は、別室まで
お願いします」

 犬鷲はいつもの澱みの無い声でそう告げると、手にしたリストに目を
やりながら、何名かの名前を部屋全体に行き渡る声で読み上げた。
その中に黒猫の名は無かった。"駿"の名も。

 コードの修正点の洗い出しも終り、作業者全員がオフィスのメイン
ルームに再度、集合した。犬鷲の表情はいつもの穏やかさを取り戻し、
部屋は和やかな雰囲気になった。それぞれが書いたコードのコピーを
皆で眺めたり、批評し合ったりした。まだ他社員とは余り打ち解けてなく
傍らに立っていた黒猫にとっては、新鮮な光景だった。黒猫も、何枚
かのコピーを手に取りさも確認している素振りをした。

 黒猫は自分で書いたコードのコピーを見つけ、テーブルから拾い上げた。
記念すべき最初の一本目は、ひどく気負ったままほぼ完徹して仕上げた
せいもあってか、印刷されたコードを見ると、自分でもそれらしく出来ている
ように思われた。疲れと数日間続いた緊張から解放されたことによる緩みと、
大きなミスが無かった悦びもあってか、黒猫はつい笑いがこみ上げそうに
なるのを必死に抑えた。

 「黒猫君のコード、F/Kで初めて書いた割りにはなかなかの出来でしたよ
少し慎重過ぎる箇所もありましたが、最初はそれくらいの方が良いでしょう」
黒猫の実質的な初仕事に対する犬鷲の"総評"だった。黒猫は黙って頷いた。

 いつものようにどこか超然とした風であった駿は、黒猫の書いた二本目の
コードが印刷された紙を摘み上げた。

ふーん
駿は、視線を上から下に素早く移してコードを読んだ。黒猫は、駿の様子を
見ていて、子供の頃に自分の作ったプラモデルを友達に見せた光景を漠然と
思い出した。

まあまあだな、黒猫。でも、"まだまだ"だな。コレを見よ!
駿は、そう言って芝居かかった素振りで一枚の紙を黒猫に向かって投げた。

 「、、、!!

 黒猫は、受け取った紙に書かれているコードを見て、思わず目を見張った
そこには、他の人間達の書いた平均的な量の半分にも満たない行数であり
ながら、処理されるであろう情報量は恐らくは倍近いであろう内容のコードが、
よく整理された文体で記述されていた。簡潔且つ明瞭に記述されてる駿の書いた
コードは、"端正"という言葉を黒猫の脳裏に思いおこさせ、その徹底された
無駄の無さは、美しくすらあった

 「じゃあ、犬鷲さん、俺、帰りマース。皆さん、お先に。カッ、カッ、カッ!」
まだ、退社していい時刻までは若干あったが、駿はお構いなしに高らかに
笑いながら、さっさとオフィスを後にした。

 皆が恐らくはいつものように、半ば呆れつつ駿の後ろ姿を見送る中で、
黒猫は、駿から受け取った紙のコードに釘付けになっていた。一文字一文字を
必死になって解読してみたが、黒猫が見てもミスコードが見つかるはずもなかった。

 「やっぱり、我が社内では、駿君の力量は抜きん出ていますね
犬鷲は、まるで常勝を誇る強豪野球部の監督でもあるかのような雰囲気で、
満足そうに皆に聞こえる声で言った。

 「どうやったら、こんなにも短く、正確なコードがスイスイ書けるんだろ、、
黒猫は心の中で呟き、尚も、コードを目で追い解読を続けた。

 「、、、他人の書いたコードは、使ってもいいものなのでしょうか?」
黒猫は、犬鷲に率直に聞いた。

 「構いません。どんどん使ってください。黒猫君も頑張って、早く駿君みたいに
我が社の主戦力になってくださいね」
犬鷲は皆の作業が予定通りに仕上がったせいか、ひどく上機嫌だった。

、、ハイ
黒猫は呆然として、頷いた。

 黒猫にとっての"初陣"から、数日が過ぎた。

 ここ最近、ずっとそうしているように、その日も黒猫は最後まで一人オフィスに
残って自習としてコードを書いていた。知らないことが余りにも多すぎて、やること
は幾らでもあった。ここ数日は、駿から拝借したコードを基にして、すでに納品済み
ではあるが自分の書いたコードを書き直していた。駿の書いたコードの細部の
意味と機能について、本人に聞いても、ただ笑うのみで取り合おうとはしなかった。

 「真似をしたければしろ。ただし、"意味"は教えねぇ。自分で調べろ、黒猫
駿はそう言って、いつものようにカッカッと高らかな笑い声を上げた。

 コードの作成と実行、そして修正を繰り返しているうちに夜中になった。黒猫は
いつも自分で定めている休憩の時間になったことに気付き、湯を沸かしてカップ
ラーメンを作った。

 丑満刻となり、オフィスを静寂が包んだ。

、、、?!
黒猫は、不意に夢から覚めたような感覚に襲われ、誰もいないオフィスを見回した。

「、、、去年の今頃、俺は何をしていたっけ?
思わず独り言を呟いた。暗いオフィス内に声が響いた。

「そういえば、小暮達と海で花火をしたのは調度、今頃だったっけ」
伸びてしまったカップラーメンを食べながら、黒猫は金田やミサキの顔を懐かしく
思い出した。

今夜も、徹夜だ。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2013年7月 7日 (日)

東京漂流某日(八)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter8:  前哨戦(1) Watch the man.

 「それでは、お願いします」 
犬鷲は、そう言って、ディスクケースを黒猫に手渡した。

「ハイ」
黒猫は、返事をして、たどたどしくケースを開けてみると、
眩しい光沢を発するCDの表面には

 F/K Version.3.0

と鮮やかな刻印があった。

一挙手一挙動を、犬鷲は黒猫の背後からじっと見守っている。
黒猫は、優に10以上の眼があるようにも背中に感じた。

「一体、コレをどうすればいいんだろう?」

黒猫は返事はしたものの、内心では戦々恐々とし、表面上では
"いつもの操作"という風を必死で装い、何とかディスクをパソコンに
挿入した。

「、、鴇男の部屋で見たことを思い出せ、、」

黒猫は画面に次々と展開される文字に全神経を集中させた。

accept,
below,
under environment,
..

英単語をこれほどまでに一字一字真剣に読んだのは、いつ以来だろうか。.
黒猫はあくまでも表向きは"何食わぬ顔"で操作を進めていく。 
インストールが始まり画面が暗転した。


「、、うん!大丈夫そうですね

 

大鷲は、背後で満足そうな大きな声を発した。

「、、大丈夫なんだ!?」
黒猫は安堵で苦笑が出そうになったのを必死で堪えた。

 社長から会社の運営を事実上、一任されているらしい犬鷲は日々
何かと忙しく、一日の午後は大概社外に出たままだった。黒猫の
他社員への紹介は延期されたまま日が過ぎて行った。

 まだ何者でも無く、何を聞かれてもまともに答えられないであろう
黒猫にとっては、その方が有り難く、数日間というもの、挨拶以外は
社内の誰とも言葉を交わさず、目も合わさず、犬鷲より渡されていた
初歩的な内容のコード作成マニュアルを黙々とこなし、定時になると、
まるで追われるように会社を出た。

 坂道を早足で降りて、まるで"猫"そのままに後ろを振り返り、大きく深呼吸を
した。電車に乗り、数駅離れた所で一旦降りて所定の喫茶店に飛びこむと、記憶を
頼りにその日見たコードをノートに書き、よく判らないながらも自分なりの注記を
付けていった。

「要するに、"プログラム"というものは,英語と数学の融合なんだな」

鴇男の部屋で"決起"してから、数ヶ月目にしてとりあえずの目的地にどうにか到着
した黒猫は、月面に降り立った探査機にでもなったような気持ちでいた。

何も無い(としか見えない)、広大な大地を静かに進んでいくと、突如して
奇妙なオブジェが眼の前に立ちはだかる。そのオブジェが奇妙なのは、
黒猫が定義の内容と、形の"意味"を全く知らないからだ。そのオブジェの
意味を知った途端、出現するタイミングと様式、全ては厳密なる意味を持ち、
力を放つ。

 一週間は瞬く間に過ぎた。

「では、遅くなりましたが紹介します。今回新しく入社した黒猫君です」
入社して週が代わった月曜日の夕方、いつもの作業が終わった後で
黒猫は在籍社員に紹介された。

「この度、入社しました黒猫と申します。どうぞよろしくお願いします
黒猫は、丁寧に頭を下げた。この時、黒猫はようやくにして、皆の顔を
はっきりと認識した。

「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしく、お願いします」
それぞれ、自分の席から黒猫に向かって言葉を返した。
その中には、面接の時に応対してくれた女性の笑顔があった。

一人だけ、犬鷲による紹介の最中にもまるで意に介さず、場違いな
雰囲気で新聞を読み耽っていた男がモニターの向こうから急に顔を上げた。

「よろしく~」

体脂肪が少なく、痩せ型で、縁の太い丸眼鏡をしてヨレヨレのランニング
シャツが良く似合いそうなその風貌は、二昔も前くらいの典型的な日本人
中年男性の雰囲気を濃厚に漂わせていた。実際には同い年だと言うことを
黒猫は後で知った。

「何でも聞いて。何でも」

男は、そう言うとクルリと椅子を回し背後を向いてまた新聞に顔を沈めた。 
独特な笑い方をする人だと黒猫は思った。

 男の名は"駿"といった。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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