東京漂流某日

2008年9月21日 (日)

東京漂流某日(三)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter3:  フリーター戦記(3)  若さの功罪

黒猫がまだスーパーの惣菜コーナーで毎日弁当を作っていた頃
高卒で正社員として入社したばかりのA君がいた。

彼は自称、頭が良くて進学しようと思えば出来たけど
親の世話になりたくないということで就職したそうだ。

万事卒が無く外見は結構良く、誰に対しても愛想がいい。
そしてそのあまりの弱点の無さと頭の回転の良さから
ベテランのパートの方々の一部からは逆に評判が芳しくなかった。

なぜかA君は黒猫に親しく接してきた。

19才になったばかりのA君からしてみれば、大卒なのにアルバイトとして
時給で働いて時にA君のような若い社員に指図される20代半ばから30代、40代の
フリーター達に優越感もあったのかもしれない。

「女ならいつでも紹介しますよ、黒猫さん」A君はよく行ったものだ。
そしてたまたま帰りが一緒になるとなぜかA君は一緒に歩きたがった。

「今日これからデートなんですよ」
「黒猫さん彼女いるんですか」
「なんで就職しなかったんですか」

A君は好奇心のままに次々と聞いてきた。
そして何故か彼女とまず食事をしてその後どうするのか事細かに
デートプランを説明した。黒猫はそんなA君が微笑ましく、その無邪気さ、
エネルギーに満ち溢れた様が懐かしくもあっても黙って聞いていた。

「一緒に来ますか」
こんなことを言いだす事もあった。勿論黒猫は丁寧に断った。
そしてA君の言動は黒猫が断ることを計算済みであることは明らかだった。
しかし本当に付いていってもA君はきっと彼女に堂々と先輩だとか
何とか紹介してそれなりに彼女や黒猫が苦痛なく過ごせる
時間を演出してみせたことだろう。黒猫はそんなA君の事が
嫌いではなかった。

スーパーの男性の着替え部屋の奥には8畳程度の畳部屋があって
仕事を終えた人や休憩をしている人の調度良い溜まり場になっていた。
黒猫は他人とのコミュニケーションを避けることを目的に
この職場を選択していたのでその部屋に入ることは極力避けていたが
A君は黒猫と同じ時間に終わると決まって残っていくように強く奨めた。

A君はその溜まり場での全員自分より年上の20代~40代までの
社員・アルバイト独身・既婚ない交ぜになった7~8人の集団の
他愛無いお喋りの中でルーキーでいることが愉しくて仕方ないよう
だった。

「黒猫さん、煙草吸わないんすか」
「吸わないよ」
「大人の嗜みですよ、吸わなきゃ」
A君はそう言って笑みを浮かべながら煙草をくわえた。
どこか何も判っていない後輩に優しく教える先輩のような風に。

A君は社会人になったばかりだけど僅かでも給与から貯金の分も
確実に工面して親への仕送りももう始めているという。

20代の半ば(つまり当時の黒猫の年齢)になる頃には今の可愛い
彼女と結ばれてそれなりに組織の中でも中堅の立場になっているはずだ
滔々と説明した。

つまりは万事順調だと。

つまりは全てにおいて
「黒猫さん、僕は(大卒で足踏みしている)貴方とは違うんだ」
ということを言いたいのだろうと思いつつ
黒猫は黙って聞いた。

そんなA君を無用なツッコミで傷つけたくはなかった。

A君は黒猫が自分の説明に感心しきっているように
見えたのか愉快なのが堪え切れなくなったのか押し黙って

クックックックッ

と笑い始めた。彼は顔を両手で覆って叫んだ。

「俺、まだ19才なのに!!」

黒猫はその机上の計算に過ぎない青い計画に疑いを持たない
A君を弟のようにも感じた。

そのまま何もかも上手くいくといいね。

黒猫はそう思ってA君の終わることのない話を聞いた。

それからほどなく、黒猫はスーパーのアルバイトを辞めた。
A君は黒猫が辞める頃には出会った頃の快活さは
消えつつあった。先輩に注意されてる姿や一人で
思いつめた表情をしているところも何度か見かけていた。

辞める日、黒猫は職場の人々に挨拶を終えたあとに
A君をみかけた。

自分が辞めるということはとっくに知っていることは
雰囲気から明らかだった。

「じゃあね、A君」黒猫は表情で別れを言った。

A君はダンボールに拳を叩きつけて黒猫を見た。
その表情には非難とも怒りとも取れるものがあった。
「なんで俺に黙って辞めるんすか」
彼の目はそういっていた。うっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。

黒猫はその表情を見て満足した。

話しを聞き続けた黒猫の「労働の対価」はA君自身の
その表情によってきっちり補填された。

そう、
その素の表情をもっと早く見せてくれればよかったね。
そうすれば、一緒に飲んでもよかったのに。
これから君に起こるであろうことを少しだけ告げて
あげても良かったのに。

でも君はきっと幾多の困難も乗り越えていけるだろう。
黒猫はA君に微笑んだ。

 

 

 

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2008年3月30日 (日)

東京漂流某日(二)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter2:  フリーター戦記(2)  有明の花火

黒猫はスーパーのアルバイトを辞めた翌日
ウェイターのバイトをしているレストランにでかけた。

昼のバイトが無くなったので夜だけでなくあらゆる時間帯
に入れてもらうように支配人に頼むためだ。

そのレストランにはいつも活気が溢れていた。
アルバイトがシフトに入れるかどうかは完全実力制で
支配人が直接一人一人と面接して決めた。

ベテランでも仕事にあぶれることはあるし
入ったばかりの新人にもいつでも昇給とリーダーになる
チャンスがある。だからその店ではいつも全員がそれぞれの
持ち場を取られまいと一生懸命だった。

黒猫はこの職場では勤務時間のほとんどは皿洗いだったが
自分の評価はともかくとして実力本位の雰囲気は割と
気に入っていた。

「黒猫さん、こんな時間に珍しいですね」

入った当時仕事を教えてくれた斉藤君が声をかけてきた。
斉藤君は靴職人を目指してイギリスに留学する資金を貯める
ためにこの店で働いていた。

「仕事増やそうと思ってさ」黒猫は答えた。
「僕も今、支配人に掛け合ったけどダメでしたよ」

自分よりも若くて、自分よりも格段に仕事が出来て
自分よりも客にも従業員にも愛想がいい斉藤君が希望の
時間に入れない。。

黒猫は絶望したけど念のため掛け合ってみた。

「昼の仕事が無くなったので全時間帯どこでも入りたいのですが」

「いいよ、わかった」支配人はなぜかあっさりOKした。

あまりのあっけなさに拍子抜けしたが、単純に有り難かった。
数日後から勤務時間を倍増する確約を得て店を出た。

店の駐車場では職場で黒猫を慕ってくれている年下のアルバイトの
金田と小暮がバイクをいじっていた。小暮は調理担当で
金田は黒猫と同じウェイターだが職場内での立場は黒猫より格上だ。

「黒猫さんじゃないすか、俺たちのバイク見て下さいよ」
小暮が黒猫を見つけて呼び止めた。

バイクは二人とも新品なのに金田の方にはタンクに傷があった。

「もう転ばしたのかよ」
黒猫は笑って金田に言った。
「黒猫さんバイクやってたんでしょ。腕前見せてくださいよ」
「いいよ」
「じゃあ今から海まで走りに行きましょうよ」
「俺、バイク無いよ」
「俺のバイク運転してくださいよ」金田が言った。

小暮は彼女を乗せて、黒猫は金田のバイクで金田を乗せて、
小暮の友人が合流し入店したばかりの16才の女子高生を
乗せて3台のバイクで有明に向かって走った。

久しぶりに運転するバイクは心地よかった。
黒猫以外は10代か20才になったばかりだ。
そして黒猫以外は皆やたらハシャイデいた。小暮が何か大声で叫んでいた。

海が見える有明の公園に着いた。

小暮の彼女の貴子と女子高生のミサキが花火をやろうと言い出した。
皆でコンビニに花火を買いに行った。

「黒猫さん、今いくつですか」小暮が買った花火を皆に分けながら聞いた。
「25だよ」黒猫は花火を受け取りながら答えた。

「私と10才も違うの!オッサンじゃん」ミサキがおどけた。
「9才だよ」黒猫は苦笑しながらミサキの計算を訂正して言った。

「"オッサン"て言ってもいい?」
ミサキはさらにおどけた
「いいよ」
黒猫はそう答えるしかなかった。
ミサキの邪気の無い笑顔が黒猫には微笑ましかった。

オッサン!」

ミサキと貴子が仲良く笑いながら唱和した。

「黒猫さん、大卒でしょ。就職しないで俺らと一緒にウェイターの
バイトしてるけど何か目指してるんすか」小暮がさらに聞いた。

「いや、何も」

黒猫はミサキが振り回す花火の閃光を見ながら答えた。

レストランには役者志望とか斉藤のように留学を目指して資金を貯めて
いるとか何かしら目的があって働いている若者が多かった。

「黒猫さん、俺と貴子が結婚する時呼ぶから来てくださいよ」
小暮は隣りの貴子を見ながら言った。貴子は黙って笑っている。

二人と出会ってたった数ヶ月しかたっていない、どこに
住んでるとも知らない無職の男を結婚式に呼んでくれるという。

勿論小暮も本気で言ってるわけでは無いのは黒猫には判っている。
小暮の他意の無さが黒猫には単純に嬉しかった。

「いいよ、行くよ」黒猫は笑顔で言った。

安物ばかりの花火はあっという間に終り
黒猫達は暗くなり始めた公園の海岸で海を見つめた。

「黒猫さんオッサンなのに私達とバイクに乗ってこんなとこ
で花火して何やってんだか。楽しいの?」ミサキが絡む。

「ああ、楽しいよ」黒猫はミサキの肩を冗談ぽく抱いた。
ミサキは照れたのか急に黙った。

小暮達だって何も考えなくてすむのはあとほんの一年
くらいだ。いや、もうきっと彼らなりに真剣に将来の進路に
ついて考えているのだろう。だから逆に数年先を生きる黒猫
が"同じ場所"でウロウロしていることにある種の共感を覚える
のかもしれない。ミサキだって貴子だって。。

精神的にも金銭的にも意地を張る余裕の欠片も無い
見たままの自分を慕ってくれる彼らが黒猫には有難かった。

それにしてもなぜ斉藤君はダメで自分はOKなのか。。

そんなことよりも来年の今頃、俺はどこで何をしているだろう。。

黒猫はすっかり暗くなった海を行く遠くの客船を見ながら
とりとめもなく考えていた。

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2008年3月23日 (日)

東京漂流某日(一)

東京で大した野望も無くどうってことなく生きる
或る男の漂流記・・・

chapter1:  フリーター戦記(1) バーンズよ、さらば。

黒猫は大学を卒業してしばらくの間フリーターをしていた。

理由は単純に就職活動をして内定も幾つか貰ったけど
本当に働いてみたいと思う職場が見つからなかったからだ。
大学を卒業してからは昼はスーパーの総菜コーナーで弁当を作り、
夜はレストランでウェイターをした。
今日で黒猫はその昼の惣菜コーナーのアルバイトを辞める。

朝、黒猫は職場のすぐ近くの駅のホームでバーンズと出会った。
バーンズは同じスーパーの生鮮肉のコーナーで働く男だ。

社員なのかアルバイトなのかは黒猫は知らない。

黒猫もバーンズもお互い決して目は合わさない。
目は合わせないがバーンズが目線は合わせずに自分を睨みつけている
ことは黒猫には判っていた。

黒猫は粗野なバーンズを内心軽蔑し、そのことは
職場の人間もバーンズ自身にも周知の事実でもあった。

バーンズというのは黒猫が勝手に付けた名前だ。
映画「プラトーン」に出てくるトム・べレンジャー演じる
小隊を牛耳る男。物語の終盤、隊を二分するリーダー格の
エイリアスは本来仲間であるはずのバーンズに非情にも撃たれ最期は
ベトコンに蜂の巣にされる。。

バーンズと名付けたその男はスーパー内で何か不祥事が
あると度々名前が出てきた。しかしいつも確かな証拠
は見つからず不問にされている。

バーンズは惣菜コーナーに食材を置いていくたびに軽口を
叩き、出来立ての惣菜を勝手に口に入れて出ていく。
その態度が黒猫には気に障るものがあった。

黒猫が冷凍倉庫に在庫を取り出しに行くときも
バーンズ一派が怠けて涼んでいるのをよく見かけた。

誰もが良くも悪くもバーンズには一目置くなかで
黒猫は毛嫌いして態度にも現していた。休憩室でも
バーンズに遠慮しない黒猫に周りはヒヤヒヤした。

だから黒猫が突然辞表を経営者に提出した時に
話しを聞いた人事部責任者の女性は
暗にバーンズの存在を仄めかしたほどだ。

しかし黒猫が辞める理由は全く別のところにあった。

総菜コーナーでの弁当作りは四十代後半から六十代のおばさん達と
毎日同じ会話をし同じ手順でほぼ同じ内容の弁当を作る。
毎日、毎日、毎日作る。

この単純作業が手順を覚えてしまった直後からは黒猫にとって
壮絶なまでに苦痛な作業となった。

毎日決まりきった同じ作業をすることが黒猫にとっては何よりも絶対的に
苦痛だということをこの時に初めて彼は思い知った。

しだいに曜日も時間の経過も全く意味を成さなくなっていった。
気が付けば同じ角度で同じ動作の繰り返し。少しでも作業に淀みが
あればコーナーの責任者やベテランのおば様から容赦なく怒られる。

生まれて出でて10代中盤からアルバイトという何かしらの
賃金を得る労働に従事してきて黒猫は『辛くて辞めた』
のは後にも先にもこの時の弁当作りだけだった。

「辞めさせてください」

コーナー責任者のK氏に黒猫はある日言った。

「何とか頑張れないのかな?せめて月末くらいまでさ」とK氏。

「正直、もう包丁を握る自信がありません。本当は今日にも
辞めたいのですが週末までは何とか頑張ります」

今日がその週末だ。

「頑張りんさいよ」
作業も終了に近づくと親しかったおばさんが黒猫に声をかけた。
調度自分の息子くらいの年齢の大の若者が大学を卒業して
定職にも就かず惣菜の仕事すらもものの数ヶ月で突然やめること
を不憫に思ったのだろう。

K氏は怒りを隠さなかった。最初は魚のさばき方も教えてやると
意気込んでいたし黒猫は何度かK氏の自宅にも遊びにいかせてもら
っていた。黒猫の態度は"豹変"且つ"裏切り"と見えて失望したに
違いない。

「お世話になりました。使っていた長靴は
どこに置いておけばいいでしょうか」
黒猫はK氏に聞いた。

「そこら辺に」

捨てていけよK氏は作業を止めずに吐き捨てた。

いつも実に"活きのいい"職場のおば様達も彼らのやりとりに沈黙していた。
「皆さんお世話になりました」黒猫は深々と一礼して職場を出た。

「黒猫君」通路で"元"同僚の澤田が声をかけた。
「また会おうよ」澤田は黒猫に自分の携帯の番号を書いた紙を渡した。
「ありがとうございます。澤田さんもお元気で」

裏口から外に出た。
八月の陽が眩しく、心地いい。

気まずい辞めかたになったが明日から包丁を持たなくて
いいかと思うと黒猫は気が楽だった。

ウォォォオ!」

背後から雄叫びが聞こえた。

バーンズだった。
食材を収納する棚を担ぎ上げながら黒猫に向かって突進してきた。

僅かなタイミングで黒猫は避け二人は衝突することなく
バーンズはそのまま走り去った。

バーンズにしてみれば黒猫はいつか倉庫にでも呼び出して
恐怖によって黒猫を屈服させ態度を改めさせるべき相手だったに違いない。

きっとバーンズは猫で自分が狩られるべき鼠なのだろうと黒猫は思った。
鼠である自分は今日でさっさと辞めバーンズはきっとこの職場で
これからもバーンズであり続けなくてはならない。自分という鼠を
狩れなかったという怒りを持ったままここで生きていく男に黒猫は
若干の同情をした。

「さようなら、バーンズ」

黒猫はそう呟いて駅に向かって歩いた。

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