独り言

2019年6月 1日 (土)

2019年6月1日の風景

 
 
 国内、国外問わず痛ましい事件・事故が続く初夏。

 昨日、職場で間食用にかなり久しぶりに買った激安の
スティックパンが美味しくなっていたので素直に感動する

 量は減ったが表面のサクサク感と中のシットリ感が
どちても向上していて素晴らしい結局、昨日は食さずに
今朝の朝食用に摂ったが、十分いける。これまでは金欠の時に
「仕方なく」買っていたが格上げ。

 最近は、安価な食べ物が美味しくなったと感じる時が多い。
実際に質が向上しているのか、自分の舌が適応しただけ
なのか。。前者であることを信じて生きていく。
 
 安くて美味しい物を提供する事ほど素晴らしい
社会貢献が
あるだろうか。関係諸氏は誇りを持ってやって
いって下さい。消費者はきちんと選択して喜んで買っている
のだから。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年5月 3日 (金)

2019年5月3日の風景

 
 
 GWに働いている人、及び、過剰に働いていると自覚している人。

 その気持ちを抑えずに、吐き出していって欲しい

 今後、世の中がどうなっていけば良いのか思いつくままに
発信していって欲しい

 メカニズムを非難しながら、状況をより悪化させてしまう人たちの
主張の矛盾欺瞞を見抜き、与さないで欲しい

 その人達をこそ非難して欲しい。

 あなた方が次世代を、これからの人々の労働条件を、
令和の世を
良くする人達です
  

 また明日から始まる。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年4月27日 (土)

2019年4月27日の風景


 
 今年の春は花が奇麗に見えた。毎年、桜よりも梅の方が綺麗だと
思うのが常だが、今年の桜は例年よりも色合いも咲き方も"潔さ"が
感じられて美しかった。元号が変わることも見る側の気持ちに影響を
与えているのかもしれない。
 
 平成が終わるということで平成の始まりの時についても思いを
巡らす日々。終わりは始まりでもあり、始まりは終わりでもある。
個人的にはとても良いタイミングでの切り替わりとなった。
新元号も悪くない。というか良い。全体の手際も受け止める側の
評価も概ね良かったように思う。
 
 忙しく仕事をしている最中に速報をいち早く知った人間が
ホワイトボードに『令和』という言葉を書きつけた瞬間に職場に
流れた驚きと意外さの入り混じった新鮮な空気は長らく忘れることは
ないだろう。その言葉はスケジュールや諸事が連日書き込まれては
消えていく中で数日間に渡って消されることはなかった。
 
 平成は、後年、国内的には稀有な長期の平和を謳歌した時代として
評価されることだろう。だが、昭和の次の時代の文化・文明の担い手
として機能したかと言えば、厳しい評価を下されることもまた間違い
ない。新陳代謝を起こして、新しい事を始められたとはとても言い難い
次の時代が繁栄できないとすれば、平成の世の在り方に問題があった
のだろう。
 
 何が問題であったかと言えば「再生産と安易な見込みの結果に甘え
ていた」という点が挙げられると思う。チャレンジすることの大切さ・
重要性が全体としては軽んじられたように思われる。次世代への
代償は相当に大きいものとなるだろう。
 
 リスクを良い意味で恐れず、結果を出してきた人が希望を持って
生きていける。成果が出せず苦しんでいる人を応援して結果が出せる
ように促し、その結果を正しく享受できる。そんな時代になって欲しい
ものだ。また、そうならなければ、結局多くの人間が詰まらない思いを
することになるだろう。
 
 知恵を出し合い、失敗を恐れず、試行錯誤を繰り返して、真の意味での
リソースの共有を大切にしていく時代となること、少なくとも向かおう
とする時代となる事を切に願う。
  
 また明日から始まる。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2019年3月31日 (日)

「平成」の終わりに「昭和」を思う。

 

 『平成』が終わる。
  
 『平成』の終わりに、『昭和』の始まりと終わりについて
ほんの少しだけ、全く取り止めもなく思いを巡らしてみよう。

 平成最後の桜を眺めつつ。

(下記の事実関係の記述については基本的にウィキペディア日本語版の
情報に寄っている)

  
 昭和の終わり、それは誰もが
「本当に終わるのか」
「元号が変わるとはどういうことなのか」と
呆然としていたというのが自分から見た世の中の雰囲気だった。
 
 何しろ『昭和』は、1926年の12月25日から始まり、1989年の
1月7日まで約63年間も続いた。
 
 「昭和の始まり」つまり大正の終わりの出来事を概観しても
現代の我々の共通意識に直ぐになりそうな出来事は最早見つけにくい
のかもしれない。前年の1925年に治安維持法が公布されているとか、
その同年にアドルフ・ヒトラー「我が闘争第1巻」を公表しているとか、
昭和2年となる1927年に国内においては田中義一内閣が成立し、
軍の統制が取れなくなっていく様が加速度的に顕著になっていく。
昭和の始まりとは、将に20世紀の激動の時代の幕開けと呼ぶに
相応しい時代だった。そんな時代に昭和天皇が即位したのは若干
25歳の時だった。
 
 同時代におけるアメリカ合衆国の大統領はカルビン・クーリッジ
(在1923~1929年)で、一般的な知名度は恐らく高くないというよりも
低いだろうが政治家として、歴代の合衆国大統領としての評価はトップ
クラスである。そして、クーリッジの時代、アメリカの経済は大きく
成長し、好景気を謳歌していた。だがその高評価と同時に、後々まで
日米関係に大きな影を落とす排日移民法が成立したのは1924年であり
クーリッジ大統領在任時の時でもある。
 
 さて、1926年の前後の時代に制作された映画で自分が鑑賞している
作品はこんな感じである。

・1925年(大正14年)
「ストライキ」(ソ連)
「戦艦ポチョムキン」 (ソ連)
「ロストワールド」(アメリカ)

・1926年(大正15年/昭和元年)
「掟によって」 (ソ連)
「キートンの大列車追跡」(アメリカ )
「魔術師」(アメリカ)

・1927年(昭和2年)
「キング オブ キングス」(アメリカ)
「三面鏡」(フランス)
 
 次に「昭和の終わり」とは、「手塚治虫(1928-1989)の死」に象徴
されていると見る人もきっと少なくないだろう。平成幕開け直後の2月9日に
死去しているが、昭和の終わりに亡くなっているように自分は記憶して
いた。そう言えば、手塚の死によって昭和が終わった事を実感したとする
記事や、周囲にそんな感想をこぼす友人もいたっけ(最近読んだ
某ムックにも同様の記述を見つけた)。

 手塚が大友克洋に大変な脅威を感じたことは有名であり、氏が原作を
手掛け自ら監督をした余りにもエポック的作品で且つ1990年代の幕開け
を強く感じる「AKIRA」(1988)が昭和の終わり、そして80年代の終わりに
公開されている事実は何となく興味深い。
 
 激動と騒乱の時代となった昭和の幕開けの種は当然であるが、
それ以前に上記の通り既に撒かれており、映画という興行作品もまた
時代の終焉と次世代の幕開けは当然のようにリンクしている。

 昭和の終わりは多くの日本の国民はテレビ放映の事実上の中止
(全局、崩御による特番への切り替え)にレンタルビデオ店に走った
ことを記憶しているだろう。平成の終わりが来て、これほどまでに
テレビ・新聞の影響力が弱まることを誰が想像出来ただろう。
 
 自分もまた、ただ茫然と世の中と、テレビを眺め、レンタル
ビデオを借り、平成に入ってからは兄が持っていた長渕剛の
「昭和」のCDを何度も聴いていた。
 
 ショーケンこと萩原健一(1950-2019)の死は、たまたま平成の
終わりと重なることとなったが、若き日の氏が主演している傑作
「青春の蹉跌」(1974)を平成が終わる前に、氏の生前に観れた事は
個人的には幸運だったと感じる。
 
 次世代への希望と混乱の種は、当然であるがこれまでの
『歴史』という名の渦と同様に既に撒かれている。後、数年の内に
世代交代も大きく進んでいくことだろう。
 
 終わりと始まりを体験し、繋げていく。或いは、断ち切っていく。

 案外、一番ほっとしているのは今上天皇である明仁天皇(第125代)
かもしれない。平成の名の天皇に相応しいお人柄であった。東日本大震災が
発生した数日後に今上天皇が読み上げれたメッセージは多くの国民が心を
打たれ今も強く記憶していることだろう。これからも。

 
 『平成』お疲れ様。さようなら。
 
 生きとし、生ける者、生きた者、皆お疲れ様。
 
 新しい元号と時代の幕開けへようこそ
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年12月 9日 (日)

2018年12月8日の風景

 
 

 所用にて都内某所に行ったついでに久しぶりに少し周囲を
歩いてみる。

 風情のある神社に辿り着く。何となく佇んでいると、近くに
納品でよく来るという方と話をする。

 ここは、一時期は人気があって外国人もかなりおしかけたとの事。

 その日は、小雨がパラついていて、静かでった。

 地元の自慢の酒だと言われて振舞われた酒を試飲したり。

 拘りのスープが自慢らしいラーメンを食べてみたり。
オーダーが来るまで店のレイアウトや椅子の配置を眺めて、
集客の状況と顧客の満足度について何となく考えてみたり。

 デザートに食べてみたアイスクリームの濃厚さに唸ったり。

 

 色々と終わった。

 また明日から始まる。


 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年9月24日 (月)

2018年9月24日の風景

 
 

 とあるサイトに書いてあったこと。
 
 
 資本主義」と「民主主義 」が喧嘩を始めた。

 は、現代の社会情勢を言い得て妙である。

 資本主義でも民主主義でもどちらでもない、どちらかに似ている
(かもしれない)、あるいは全く異質な主義がその喧嘩の隙をついて
支持を、あるいは、勢力を伸ばしているという構図で、ある程度の
ことは説明できそうである。

 それらのどれを支持するのか支持しないのか、
結局は、世界中の民衆の意思が決定していく。

 資本主義だけでも、民主主義だけでも上手くいかない。

 現時点での他の主義の実践の結果は一体どうだったかは、
「書物」に刻まれている(現代社会は書物を根本的に捨てよう
ともしている)。

 民主主義と法の統治は、資本主義をコントロール出来るだろうか。

 それとも、このまま何もかも呑み込まれて混迷の時代が
続いていくのだろうか。
 
 
 ゴヤの描くところの「我が子を食らうサトゥルヌス」そのままに。

 

 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年7月28日 (土)

2018年7月28日の風景

 
 
 

 copy and paste
 コピーアンドペースト
 複写と貼付け
 が年々しにくくなっている。

 

 世の中の生き辛さ、

 悪い意味での混沌。

 

 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年7月14日 (土)

形 18.07.14

 
 

 巷の人々の呟きを何となく日々見ている。

 「本気」で政治家を目指している若者がいる。その人の「本気」とは
政治家になることがゴールではなくて、世の中を安定させることにあるように
思う。今は普通にサラリーマンをして仕事について呟いているが、その姿勢にも
一貫性が感じられる。頑張ってほしいものだ。
 

 鬱病を発症して、そのうちに入院した人がある。その人の呟きは数ヶ月で大きく
波があって「本当に同じ人間なのか」と思うほどに内容が時々により違う。
その事と病気については相関がありそうだが素人判断に過ぎない。ただ、
自分は何者で、どこに向かっているのかということにきっと平均以上の迷い
があり、その迷いの根本については結局「自己の確立」という問題に至るように思う。
この人が元気になるとすれば、治療が済んだのではなく、恐らく「自己の確立」が
出来たという強い自覚が芽生えた時だと思う。こういう人に余り安易に「頑張れ」
とは言わない方がいいらしいので無理しないで努力していってください。
 

 結構面白くてためになる見解をしているのに認知度が必ずしも高くない呟きを
自分が見ているのは面白い現象だと何となく思う。流れ流れてその呟きに自分
という一個人が辿り着いて、その人はこの地上のどこかにいてその人から見える
諸事について見解を述べ、自分という傍点の人間は納得したり関心したりして
影響を受けて生きている。

 
 




 

 
 
 
 
 
 



 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年7月 1日 (日)

2018年7月1日の風景

 
 

 ここに来て

 「設計からやり直した方がいいんでないかい?」
 

と思える事態が巷で日に日に顕著になってきている気がする今日この頃。

 問題はそれ自体が「問題」なのではなく、設計とその機能が現状を想定していない、
または想定しているのかもしれないが十分に使い切れていない、あるいは
全く運用できていないことで起きているように思う

 さしあたって

 「上手く使うようにしよう」ということで回避しようとする気構えが見受けられる。

 設計し直すのは面倒で見識が必要で時間も必要。

 「少しずつ直す」という方向も有りだろう。いずれにしてもまずは『知』が必要で
別に知を無理に集積しなくてもよろし。次に、その知を動かす(駆動させる)
のが肝要
でこちらが成果も問われるのでより厄介ではある。

 SNSがこれらについて出来る役割もここ数年ではっきりしてきたように思う。 

 『知』は割とよく見かける。ごく普通に。その次が大事なのだろう。
 

 "その次"にウェイトを置いてみよう。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2018年6月30日 (土)

2018年6月30日の風景

 
 
 

 扇風機をようやくにして出す。例年よりかなり遅めの出動。特に涼しかった
ということもないが、六月は比較的過ごしやすかった。今年は雨は余り降らず。

 Wカップ一次リーグでの日本が取った終盤の戦略はサッカーというスポーツの
長い歴史から見ると、いや時間の制約が勝敗を決定的にする競技においては
それほど珍しくもないことだと知る。寧ろ常套手段の一つだと。 

 だが、観客の視点から見ると、その競技の純粋性を信じて楽しんでいる
人々から見ればやはり禁じ手であることは間違いない。

 プレーの外の要因で醍醐味が失われるようなことが続けば結局勝ちも敗けも
ない味気ないものにならざるを得ない。

 価値観の倒錯が起こっているように感じられる昨今。"死"の匂いと恐怖が
立て続けに起こってしまっているのも日々のソフト・ランディングが出来ないでいる
人々がいるということなのかもしれない。
 
 集団における緩い共通項を地道に作っていくことが一つの対策としてあるだろう。





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 





 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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