独り言

2021年10月14日 (木)

2021年10月14日木曜日

 

  

  
Интересно, когда наступит рассвет.

 

  

 

 


 





























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































|

2021年8月 2日 (月)

2021年8月2日の風景「Kia kaha」


 東京オリンピック サッカー 日本対ニュージーランド戦
PK戦の末、日本が勝利した。ニュージーランドチームが
ロッカールームに残した言葉(英語と日本語)がちょっとした話題。

-----------------
 
 Thanks kashima Tokyo 2020

 We had a great time and heading home too soon.

 Best of Luck Japan(JFA)

 NZ Football

 Kia kaha.

 
 ありがとう 鹿島・東京2020
 
 素晴らしい時間を過ごせました。

 日本代表の幸運を祈っています。

 頑張れ!

 ニュージーランド フットボール

-----------------

 heading home too soon は「もうすぐに家に帰ります」

 Kia kaha (KIA KAHA キア カーハ)「一緒に頑張ろう」「強くあれ」
などの意味でニュージーランドで一般的に使用されている語句とのこと。

 こういうことが「粋」と言うういうのではないかと思う。また
オリンピック精神と言っていいのありオリンピックや国際試合をする意義
なのだろう。
 
 教科書に載せて伝えていっていい事例。

 ニュージーランド フットボールチームの皆さん、お疲れ様でした。

 残りの日程に携わる全ての選手、関係者の皆さん、KIA KAHA!

 NIPPON KIA KAHA!!


  

 

 


 





























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































|

2021年6月26日 (土)

2021年6月26日の風景「終わりの始まり」

 
 いつもの喫茶店に行き、いつものオーダーをする。
かなりの期間、営業時間が短縮してしまっていて通う習慣が
消えそうになっていたり行く時間帯もまちまちだったので
対応する人が違ったりしていたがようやく落ち着きを取り戻す。
 
 「お久しぶりです」と言わなくてもよくなる。
いつもの週刊誌に目を通し、とある記事を読む。

 とある歴史上の問題提起がされているがこれまで同様に違和感
感じる。アウトプット(結果)からそのアウトプットに至る一つの点を
クローズアップしているがそのアウトプットに至るには他にも多くの
重要な点があるに違いなくそもそもまだ明かされていない、明かされて
いてもきちんと検証されていない項目があるのだがそれらについては
「存在しないこと」にされている。今までもこれからも。
 
 「今回の『禍』によく似ている」と読んでいて思う。何十年も何百年も
前のことも最新の出来事も多くの重要項目が無視されて前提が疑われる
こともなくごく特定のことだけがそれだけしか問題がないかの如く
扱われる
そして、往々にしてそれらは重要かもしれないが後世の
世の中がより良くなることには貢献できそうもないことが多い。
 
 ある人とも結構久しぶりに話しをする。「痩せたね」と言われる。
確かに少し痩せたかもしれない。相手のその人は少し老けたか。
とりあえずお元気そうで何より。

 某先輩からは電話を頂く。"禍"には全く関係ない件で。らしくない事を
言っていたので少し叱責する。そのうちに会うだろうから続きはその時に。
 
 随分と久しぶりの友人からも連絡をもらう。あともう少し"禍"が落ち
着いたら会う算段を取ることになるだろう。ただ会って飲むだけでは詰まら
ないので何か考えることにする。
 
  
 「終わりの始まり」が来たと漠然と思う。
 
 もういい加減、終わって欲しい。新しく始めよう。

 

  

 

 


 





























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































|

2020年3月22日 (日)

2020年3月22日の風景

 
 今回の世界規模の危機は経済的側面としてはリーマンショック(2008)と
連日のように比較されてきたが大きな違いは
 
 リーマンショックは単なる金融危機であり、今回の騒動に端を
発した経済の大停滞は実体経済そのものの損失であるという指摘に同意。
 
 システムの危機はそれが復仇して資金が再流入さえすれば
急速な回復が見込めるが経済全体の構造にヒビが入ってしまった
今回については修復には時間がかかるだろう。そして、
元に戻る事はない。
 
 元々上手くいっていなかった国際政治の地政学的なギクシャクは
さらに深刻である。従来と大きく異なるのは各国の指導者レベルの
人間達のトップダウンによる結果の不味さではなく、世界中の人々が
ある割合で所持し続けてきた勝手さ・放漫さ・不寛容
大きな原因があることだろう。

 自分達ではな他人に全部の責任を転嫁できない今回の騒動は
人間を進歩させるだろうか。

 それともあくまでの責任転嫁を通し続け素知らぬ顔を決め込む
のだろうか。
 
 『歴史』はその答えも結末も知っている。

 

 

 

 





























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































|

2019年11月30日 (土)

2019年11月30日の風景

 
 アメリカの決断、香港人権・民主主義法案の制定が
内政干渉であれ、何であれ香港の一定の人々に「希望」
として映ることは間違いないだろう。
 
 「真実」はどうであれ、香港の人々の自由と自治と
権利を守り(それは、アメリカの権益を守ることに他
ならない)、それが何であれ国際秩序の維持に働き、
選挙にも優位に働く。そして、自由と民主主義を国是
とする国に出来ることであり、出来ない国にはそれ相応の
理由がある。 
 
 世界は動いている。人々の意思により。

 

 

 


  

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

2019年7月 6日 (土)

2019年7月6日の風景

 
 ○2000万円問題(勝手に命名)

 1000万円でもなく、3000万円でもなく、
「2000万円」という"額"が多くの人々に「リアルに感じられた」
ことが騒ぎの根幹にあるのではなかろかと個人的には思う。

 1000万円では明らかに足りなさそう。少なくとも充分ではなさそう。
1000万円は多くの人にとっては大金であることに変わりはないが、
100万円の10倍ということでイメージ出来ない金額ではない。

 3000万円は、ほとんどの人にとっては「まとまったお金」として
どう考えても手が届きそうもない数字
 
 2000万円は、手が届きそうもないが、もしも手が届いたらという
最高金額であり、手が届きそうもない故に届いたならば
「これだけあれば、まだ足りないかもしれないが少なくとも困らない
保証が得られそう」というイメージの金額の上限なのではなかろうか。
 

 ○政治

 またしてもキナ臭くなってきた。
 
 "アレ"から七年が経過した。
 
 未だに多くの人々が怒り続けて、絶望の時代だった。
 
 もう決して戻りたくないと思っている"アレ"から
 
 世の中は色々なサイクルがあるけど、政治においては十年くらい
おかしな事を言う(&実行してしまう)人が台頭してしまう、あるいは
台頭する危機が訪れるのかもしれない。
 

 ○経済
 
 結構、ダイナミックな変化が起き続けている。『通貨』の変質
明らかに起こってきている印象。進化なのか退化なのかはまだまだ
判らない。個人的には心地いい面と心地よくない面の両方が劇的に
起こっていると思う。
 
 心地いい面は、お金を工面して何かをしたい人にとってはよい
変質が起こっているだろう。資金が調達し易くなっているのは素晴らしいこと。
 
 心地よくない面は、これまでよりもかえって面倒くさくなることと
経済活動の多様性は壊滅的な危機を迎えているという危惧がある。

 経済の多様性が壊滅するということは、、

とても恐ろしくて悲しいことが既に現実的となっているということ。
 
  
 ○日常

 今年の六月は、梅雨らしい梅雨でよろし。紫陽花や他の花も何となく
綺麗に咲いていた印象。
 
 仕事に自分のこれまで培ってきたイメージを盛り込む機会が有りそう
有り難いので頑張り時。淡々と走る
 
 令和の世になって三ヶ月が経過した。どう過ごしていくか。これまで
どうしてきたか考えるよいタイミングではないかと思う。そう思っている
人も多い気がする今日この頃。
  
 

 多数の人々が何かを考え、その何かを行動に移していけば世の中は変わる。
 
 良い方向にも、悪い方向にも変わる。
  

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

2019年6月 1日 (土)

2019年6月1日の風景

 
 
 国内、国外問わず痛ましい事件・事故が続く初夏。

 昨日、職場で間食用にかなり久しぶりに買った激安の
スティックパンが美味しくなっていたので素直に感動する

 量は減ったが表面のサクサク感と中のシットリ感が
どちても向上していて素晴らしい結局、昨日は食さずに
今朝の朝食用に摂ったが、十分いける。これまでは金欠の時に
「仕方なく」買っていたが格上げ。

 最近は、安価な食べ物が美味しくなったと感じる時が多い。
実際に質が向上しているのか、自分の舌が適応しただけ
なのか。。前者であることを信じて生きていく。
 
 安くて美味しい物を提供する事ほど素晴らしい
社会貢献が
あるだろうか。関係諸氏は誇りを持ってやって
いって下さい。消費者はきちんと選択して喜んで買っている
のだから。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

2019年5月 3日 (金)

2019年5月3日の風景

 
 
 GWに働いている人、及び、過剰に働いていると自覚している人。

 その気持ちを抑えずに、吐き出していって欲しい

 今後、世の中がどうなっていけば良いのか思いつくままに
発信していって欲しい

 メカニズムを非難しながら、状況をより悪化させてしまう人たちの
主張の矛盾欺瞞を見抜き、与さないで欲しい

 その人達をこそ非難して欲しい。

 あなた方が次世代を、これからの人々の労働条件を、
令和の世を
良くする人達です
  

 また明日から始まる。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

2019年4月27日 (土)

2019年4月27日の風景


 
 今年の春は花が奇麗に見えた。毎年、桜よりも梅の方が綺麗だと
思うのが常だが、今年の桜は例年よりも色合いも咲き方も"潔さ"が
感じられて美しかった。元号が変わることも見る側の気持ちに影響を
与えているのかもしれない。
 
 平成が終わるということで平成の始まりの時についても思いを
巡らす日々。終わりは始まりでもあり、始まりは終わりでもある。
個人的にはとても良いタイミングでの切り替わりとなった。
新元号も悪くない。というか良い。全体の手際も受け止める側の
評価も概ね良かったように思う。
 
 忙しく仕事をしている最中に速報をいち早く知った人間が
ホワイトボードに『令和』という言葉を書きつけた瞬間に職場に
流れた驚きと意外さの入り混じった新鮮な空気は長らく忘れることは
ないだろう。その言葉はスケジュールや諸事が連日書き込まれては
消えていく中で数日間に渡って消されることはなかった。
 
 平成は、後年、国内的には稀有な長期の平和を謳歌した時代として
評価されることだろう。だが、昭和の次の時代の文化・文明の担い手
として機能したかと言えば、厳しい評価を下されることもまた間違い
ない。新陳代謝を起こして、新しい事を始められたとはとても言い難い
次の時代が繁栄できないとすれば、平成の世の在り方に問題があった
のだろう。
 
 何が問題であったかと言えば「再生産と安易な見込みの結果に甘え
ていた」という点が挙げられると思う。チャレンジすることの大切さ・
重要性が全体としては軽んじられたように思われる。次世代への
代償は相当に大きいものとなるだろう。
 
 リスクを良い意味で恐れず、結果を出してきた人が希望を持って
生きていける。成果が出せず苦しんでいる人を応援して結果が出せる
ように促し、その結果を正しく享受できる。そんな時代になって欲しい
ものだ。また、そうならなければ、結局多くの人間が詰まらない思いを
することになるだろう。
 
 知恵を出し合い、失敗を恐れず、試行錯誤を繰り返して、真の意味での
リソースの共有を大切にしていく時代となること、少なくとも向かおう
とする時代となる事を切に願う。
  
 また明日から始まる。
 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

2019年3月31日 (日)

「平成」の終わりに「昭和」を思う。

 

 『平成』が終わる。
  
 『平成』の終わりに、『昭和』の始まりと終わりについて
ほんの少しだけ、全く取り止めもなく思いを巡らしてみよう。

 平成最後の桜を眺めつつ。

(下記の事実関係の記述については基本的にウィキペディア日本語版の
情報に寄っている)

  
 昭和の終わり、それは誰もが
「本当に終わるのか」
「元号が変わるとはどういうことなのか」と
呆然としていたというのが自分から見た世の中の雰囲気だった。
 
 何しろ『昭和』は、1926年の12月25日から始まり、1989年の
1月7日まで約63年間も続いた。
 
 「昭和の始まり」つまり大正の終わりの出来事を概観しても
現代の我々の共通意識に直ぐになりそうな出来事は最早見つけにくい
のかもしれない。前年の1925年に治安維持法が公布されているとか、
その同年にアドルフ・ヒトラー「我が闘争第1巻」を公表しているとか、
昭和2年となる1927年に国内においては田中義一内閣が成立し、
軍の統制が取れなくなっていく様が加速度的に顕著になっていく。
昭和の始まりとは、将に20世紀の激動の時代の幕開けと呼ぶに
相応しい時代だった。そんな時代に昭和天皇が即位したのは若干
25歳の時だった。
 
 同時代におけるアメリカ合衆国の大統領はカルビン・クーリッジ
(在1923~1929年)で、一般的な知名度は恐らく高くないというよりも
低いだろうが政治家として、歴代の合衆国大統領としての評価はトップ
クラスである。そして、クーリッジの時代、アメリカの経済は大きく
成長し、好景気を謳歌していた。だがその高評価と同時に、後々まで
日米関係に大きな影を落とす排日移民法が成立したのは1924年であり
クーリッジ大統領在任時の時でもある。
 
 さて、1926年の前後の時代に制作された映画で自分が鑑賞している
作品はこんな感じである。

・1925年(大正14年)
「ストライキ」(ソ連)
「戦艦ポチョムキン」 (ソ連)
「ロストワールド」(アメリカ)

・1926年(大正15年/昭和元年)
「掟によって」 (ソ連)
「キートンの大列車追跡」(アメリカ )
「魔術師」(アメリカ)

・1927年(昭和2年)
「キング オブ キングス」(アメリカ)
「三面鏡」(フランス)
 
 次に「昭和の終わり」とは、「手塚治虫(1928-1989)の死」に象徴
されていると見る人もきっと少なくないだろう。平成幕開け直後の2月9日に
死去しているが、昭和の終わりに亡くなっているように自分は記憶して
いた。そう言えば、手塚の死によって昭和が終わった事を実感したとする
記事や、周囲にそんな感想をこぼす友人もいたっけ(最近読んだ
某ムックにも同様の記述を見つけた)。

 手塚が大友克洋に大変な脅威を感じたことは有名であり、氏が原作を
手掛け自ら監督をした余りにもエポック的作品で且つ1990年代の幕開け
を強く感じる「AKIRA」(1988)が昭和の終わり、そして80年代の終わりに
公開されている事実は何となく興味深い。
 
 激動と騒乱の時代となった昭和の幕開けの種は当然であるが、
それ以前に上記の通り既に撒かれており、映画という興行作品もまた
時代の終焉と次世代の幕開けは当然のようにリンクしている。

 昭和の終わりは多くの日本の国民はテレビ放映の事実上の中止
(全局、崩御による特番への切り替え)にレンタルビデオ店に走った
ことを記憶しているだろう。平成の終わりが来て、これほどまでに
テレビ・新聞の影響力が弱まることを誰が想像出来ただろう。
 
 自分もまた、ただ茫然と世の中と、テレビを眺め、レンタル
ビデオを借り、平成に入ってからは兄が持っていた長渕剛の
「昭和」のCDを何度も聴いていた。
 
 ショーケンこと萩原健一(1950-2019)の死は、たまたま平成の
終わりと重なることとなったが、若き日の氏が主演している傑作
「青春の蹉跌」(1974)を平成が終わる前に、氏の生前に観れた事は
個人的には幸運だったと感じる。
 
 次世代への希望と混乱の種は、当然であるがこれまでの
『歴史』という名の渦と同様に既に撒かれている。後、数年の内に
世代交代も大きく進んでいくことだろう。
 
 終わりと始まりを体験し、繋げていく。或いは、断ち切っていく。

 案外、一番ほっとしているのは今上天皇である明仁天皇(第125代)
かもしれない。平成の名の天皇に相応しいお人柄であった。東日本大震災が
発生した数日後に今上天皇が読み上げれたメッセージは多くの国民が心を
打たれ今も強く記憶していることだろう。これからも。

 
 『平成』お疲れ様。さようなら。
 
 生きとし、生ける者、生きた者、皆お疲れ様。
 
 新しい元号と時代の幕開けへようこそ
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

|

より以前の記事一覧