テレビ番組

2011年5月30日 (月)

細野晴臣 音楽の軌跡

  

ETV 「細野晴臣 音楽の軌跡」

  

・細野晴臣についてはよく知らないのだが、というか
音楽全般についてどうしようもなく疎いのだが、
この番組の内容はなかなか良かったと思う。

細野晴臣の音楽が消失してしまうかもしれないという焦燥感は
自分なりに分かる気がした。震災が起こる遥か前から始まっていた
何もかもが底無し沼に吸い込まれて、決して戻ってこないような
気持ちの悪い何かとそこから来る絶望感。震災以降、その正体は何となく
見えてきたが、その吸い込まれていく感じは寧ろ加速しているようにも思う。

細野晴臣や坂本龍一等のYMOが何やら大変だ!(=凄い!)と騒いでいたのは
自分の周辺では、少し上の世代だった。自分はまだお子様で
音楽の何たるかを掴むまもなく、ビートルズだのJPOPだのの洗礼を
浴びる前にスターウォーズだ何だと映画の方に自分は向かっていった。
YMO(イエローマジックオーケストラ)の"YM"が何を意味するのか、
今回Webで検索して今更ながらに初めて知った。YMは充分世界に効いたといえよう。 

細野晴臣がデビュー後まもなくして結成したというバンド"はっぴいえんど"の曲
「風をあつめて」が番組内で紹介されていたが、歌詞もメロディも今聴いても
新しいように感じる。寧ろ、その後のYMOによって造られた音よりも。

東日本大震災を経てその前後より後延々と続いている"大人災"の中で、
細野晴臣の自分は音楽をやるしかなく、その事が絶対的に幸福な事なんだ
という決意表明に強く共感するものがあった。

自分は"耳"を駆使する音楽ではなく、"視覚"を駆使して「見る」
ということにエネルギーを費やして生きてきた。だが今しばらくは、 
余り使ってこなかった耳を使って音楽を探してみようと思っている。
細野晴臣やYMOの面々、松本隆といった人々の作品とまた
どこかで出会うことだろう。

ところで、番組全体のナレーションと前半の細野晴臣の聞き手となる
原田知世の変わらない美しさはとんでもないものがある。
流石に時を駆けただけのことはある。あれは実はフィクションではなかったのかも。

地に足が着いたような安心感をこの番組を通して得られた気がして、もの凄く久しぶりに
これまで録画してきた様々な人々の姿もまた見たくなってきた。 少しだけ元気でました。。

 
 

僕等はただ、音楽を聴いたり、奏でたり、
映画を観たり、作ったりして生きていきたいだけなんだ。
どうして、これほどまでに呼吸することすら困難な時代に
なってしまったのだろうか。誰かの許可を得なければ
本当に何も出来ない時代がもうすぐそこまで来ている。
どうしてこんな絶望的な事になってしまったのだろうか。
今ならまだ引き返すことができるかもしれない。
自分達がやりたいことに必死にしがみつけばいい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
   

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2011年5月14日 (土)

大河ドラマ2012「平清盛」

 
 

来年のNHK大河ドラマ「平清盛」は『傑作』になる予感がする。
多分、いや間違いなく傑作になるとここに断言する。
NHKは恐らく本気で「秀吉」(1990)越えを狙っているものと思える。
(「秀吉」は竹中直人主演で"平均視聴率"30%越えで伝説となった大河ドラマ)
今のところ死角無し。

 
 

○キャストが凄い

以下は決定しているキャストの中で
独断で要注目な人物を挙げてみる。

松山ケンイチ (平清盛)
中井貴一      (平忠盛)
小日向文世   (源為義)
三上博史      (鳥羽上皇)
ARATA         (崇徳天皇)
山本耕史      (藤原頼長)
阿部サダヲ    (信西)
・・・

ビシっと締まった感じがいい。
特に三上博史とARATAの芝居は
とても楽しみ。


  

○スタッフもかなり期待できる。

作: 藤本有紀

「ちりとてちん」(2008)は主演の貫地谷しほりが
とても可愛かったけど物語も肩の力が抜けていて手堅く良かった。

音楽:吉松隆

個人的には未知数であるが実力・実績共に充分の方のようなので
期待したい。初の完全デジタル放送と時代劇の"融合"を音楽で
魅せてくれることだろう。

制作統括:磯智明

「気骨の判決」(2009)のチーフプロデューサーを務めている。
同ドラマは小林馨主演で重厚な演出がとても良かった。
"新しい時代劇"を作ってくれるかもしれない。

 

演出:柴田岳志

「坂の上の雲」のスタッフ。
同ドラマの成立過程には大きな異議を唱えたいが、
たまに見るとドラマそのもののテンポや構成は悪くないと思う。
磯智明との"累乗"の仕事を是非期待したい。
「秀吉」の演出も手掛けているので期待◎

 

本気で作ろうぜ。
本気で観るよ。

 

才能もスキルも無いくせに出しゃばりで偏狭な人間は退場させて
来年は政治・経済・娯楽まで日本復活の年にしましょうや。 

 
 
 
 

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NHK大河ドラマ
平清盛
2012年1月より毎週日曜日夜8時

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2011年4月 2日 (土)

「TAROの塔」第3話

NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」第3話

 

泣けた。
今回の"主役"は常盤貴子演じる岡本敏子。
元々は岡本太郎の取り巻きのような存在だったが、
秘書のような立場から、精神的なパートナーとなり
後に養女となる。

世に広く認知されるようになる『岡本太郎』という実体は
厳密には存在せず、それは岡本太郎という一個の人間と
後に養女となる平野敏子との"合作"であったということを
事実がどうであるかということは余り関係なく松尾スズキと
常盤貴子がワンカットワンカット丁寧に演じて、製作スタッフとも
一丸となっている雰囲気も強く感じられて総合的な全体の
作りの完成度の高さとして感動的な回であった。

熱烈なファンとして、岡本太郎を支えようと誓う平野敏子が
当然ではあるが、女として認められたいと知らず知らずの
内に願望を持つことの葛藤と、その葛藤を完全に見透かした
上でわが道を行く太郎への愛情に裏打ちされた憎しみ、、
常盤貴子の演技は"抑制の美"が体現できていて素晴らしかった。

 
 

馬鹿野郎!
可能性があるんだったら今だってある
今ないんだったら将来もない

 

全くその通り。
よく考えましょう。
どこからだって
何だってできる。
"ここから"出来ないのであれば
どの段階からも出来やしない。
人間そのもの、一切合財が芸術であり爆発であるはずなんだ。


 

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NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」
2011年2月26日(土)より毎週土曜日夜9時
[全 4回]

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2011年3月 6日 (日)

「TAROの塔」第2話

NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」第2話

 

やはりこのドラマは『傑作』だった。
kuroneko流[傑作ドラマ認定の法則]
というものがございまして、その第一法則に

「傑作ドラマは、オープニング(OP)とエンディング(ED)
のどちらかまたはその両方が秀逸である」

という法則がある。

「TAROの塔」はOP,EDの両方ともに秀逸である(特にEDが素晴らしい)。

∴傑作ドラマである。
q.e.d

ご自分の好きなテレビドラマや映画にこの法則を
当て嵌めてみて欲しい。かなり高い確率で適用できる
のではないだろうか我が第一法則は。

さてドラマの方であるが第2回の今回は岡本太郎の青年期に
おけるパリ滞在時代と万博開催が迫る現代とのオーバーラップで
展開する。多分今回か最終回のどちらかが"最高の回"と
なるのではなかろうか。

岡本太郎の青年時代の役を務めた濱田岳の熱演、
万博の会場施設デザイン全体を仕切る小日向文世演じる
丹下健三と岡本太郎の熱過ぎる"一騎打ち"、
何よりも松尾スズキ版岡本太郎が俄然乗ってきた。

濱田岳は私は今回初めて知ったが、現在まだ22才の若さで
キャリアを確実に積んでいてこれからがとても楽しみな役者だ。
小日向文はかなり前から好きで評価してきたけどとてつもない役者
になったもんだ。今回のクライマックス、丹下健三(丹下健三)と
岡本太郎(松尾スズキ)のいよいよ全容を現した太陽の塔の"大きさ"
を問題の発端とした電話での応酬のシーンを見て
「ドラマを見ている悦び」
で涙した人はきっと全国で多数いることでしょう。

製作者側は面白いものを作って提供し、
観客側は"それ"をしかと受けと止める。

当たり前のことであり近年の日本では秒間隔で失われていっている
(国と地方自治体が総力を挙げて日本の過去も現在も未来も
全てをぶち壊してゴミ屑にしようとしているから仕方が無いが)
稀有なことが成立している。

丹下健三については、山手線に乗るときはいつも車窓から
なぜか凝視し続けてしまう代々木第一体育館が彼の仕事で
あったことは何となく知っていたけど今回しっかりと再認識した。
電車から見える代々木第一体育館の屋根は見るほどに
その立体構造は複雑であるがとても有機的なデザインで、その
"雄姿#に龍を想像してみたりいつも異なる架空の物語を連想
させたりと何かを常に思い起こさせる。これからは、窓から見える
度に丹下健三という建築家と岡本太郎という芸術家であり思想家
そして太陽の塔の「時代」を思い起こすことだろう。言わずもがなでは
あるがせっかくなので言っておくと「広島平和記念公園」の中心に
位置する慰霊碑から原爆ドームが見えるように慰霊碑と公園全体を
設計したのも丹下である。さらに蛇足であるが自分は数年前に
広島市を事実上初めて訪れて原爆ドームと広島平和記念公園一帯を
丸一日歩き倒した。

確信犯的に社会全体に警鐘とも喧嘩とも取れる挑戦的な発言をする
岡本太郎を演じるときの松尾スズキは多分、他のシーンの時よりも
世の中に対する自分の思いもより篭めているのではなかろうか。
常盤貴子演じる秘書役の平野敏子(後に岡本太郎の"養女"となる) 
の存在感も心地よいテンポで着実に高まってきて見所満載の回となった。

脚本の大森寿美男(おおもり すみお)の功績もまた大きいだろう。
やはりドラマや映画は何と言っても脚本が"要"である。

秀逸なドラマであれなあるほど、そのコンテンツに丸々寄りかかって
他のこと(報道ニュースの質と量の大幅な向上)を疎かにする局の
全体としての姿勢の悪さもまた浮かび上がるというものである。
お金を面白いことと社会正義のためにきちんと使いたまえ。
社会正義というのは巨悪を暴き人々の生活と心の安定に役立つ
情報を提供することではあるまいか。

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NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」
2011年2月26日(土)より毎週土曜日夜9時
[全 4回]

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2011年2月26日 (土)

「TAROの塔」第1話

NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」第1話

 

第1回は岡本太郎の少年時代と大阪万国博覧会(1970)
の時代を交互に交えながらの展開。全体的にまあまあ
手堅い出来で満足。製作スタッフが一丸となって作っている
感じがして非常に心地いい。

松尾スズキの岡本太郎は予想通りなかなか興味深い。
彼なりのリサーチとモノマネに堕ちまいとする役者根性と
業界に沢山いるであろう芸達者な後輩達への先輩としての
意地とか勝手に妄想ながら芝居を見るのは面白い。

今回は岡本太郎の父親岡本一平を演じる田辺誠一
がなかなか安定感があって良かった。妻であるかの子
(太郎の母親)の愛人を自宅に住まわせて一緒に暮らす
「奇妙な夫婦生活」をかの子が急死するまで"全う"
したという複雑な思考を持つ男を卒なく演じている。

家事や子育てが出来ない母と、母の愛人を住まわせ
稼ぎを飲んでしまう画家で漫画家の父。岡本太郎の
生涯のかなり重要な部分をこの両親の行動が決定付けた
のは疑う余地が無い。しかし、それはマイナス面ばかり
では決してなく両親の常人から見てしまえば奇異としか
映らない行動はその奥底には人間の尊厳や夫婦と
いえども侵せない譲れない権利といったものが潜んで
いて特に岡本一平は表現者の一人として奔放な妻の
振る舞いを"夫"として制限してしまうことを潔しとしない
という闘いを自らに課していたのだろうことは想像に
難くない。多感な太郎はそれを見て何事かをしかと
感じとって育ったのだろう。

因みに少年時代の岡本太郎が父と観戦に来た際にスタンドの
群集の着るシャツが太陽の光を浴びて眩しいまでの
白さを放つ様子を「アルプスみたいだ」と話したのを、父が
朝日新聞に発表したことが"アルプススタンド"の由来だとか。

岡本太郎の生きた時代の雰囲気そのもの
細部のデティールではなくて、当時を生きた人の思考や
時代の空気のようなものも表現したいという意気込みも
このドラマは感じる。最後まで全力疾走して欲しいものだ。

テレビドラマの持つ使命であり矜持のようなもの、それは
観る人々に溜飲を下げさせつつ、製作者が+αの何事かを
乗せること以外には無い。本来は出演者やスポンサーの露骨な
名刺や顔見世"だけ"に堕ちてはいけないのである。

 

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NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」
2011年2月26日(土)より毎週土曜日夜9時
[全 4回]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2011年2月12日 (土)

TAROの塔

TAROの塔
2011年2月26日(土)より

 

何となくwebを彷徨っていて、何となく松尾スズキのツイッター
に行き当たり、少しだけ呟きを読んだ後にさらにwebを徘徊していると、
同氏が岡本太郎(1911-1966)を演じる連続ドラマが今月2月から始まる
ということを知った。

岡本太郎と言えば、1970年に開催された万国博覧会における
"ド"でかい太陽の塔(65m)の製作と「芸術は爆発」の名言で
知られているが、自分としては著書の一つの「沖縄文化論」での端正な
文章がメディアで"作られた"氏のキャラクターとは大きく異なっていて
驚いた時の印象が強くあり、その著書で見せている氏の姿が
"本当の像"なのだと思ってきた。

TAROの塔のキャスティングを見ると、製作者側の熱意のほどが
感じられて、世間一般で知られている岡本太郎"ではない"方を
見せてくれるのではないかと期待できる。因みに今年は
岡本太郎誕生100周年の年でドラマはその記念として制作される模様。

キャストはこんな感じ。順番に特に意味はなし。

松尾スズキ
小日向文世
西田敏行
正名僕蔵
嶋田久作
田辺誠一
寺島しのぶ
常盤貴子
カンニング竹山

 

個人的には嶋田久作をテレビで観るのは本当に久しぶり
なので楽しみ。正名僕蔵も上手いし、ここ数年内でのテレビ史上の
事件といっても過言ではない「週刊真木よう子」の第7話においても、
その才能を見せつけている。田辺誠一も嫌いではない。
何といっても主役の岡本太郎を演じる松尾スズキは
同じ"表現者"としての岡本太郎を演じる上で自分なりに
消化した上でそこに"自分らしさ"も確実に加算してくる
はずなのでその辺の調整を見るのも楽しみである。

スタッフに目を向けてみると、

脚本担当の大森寿美男はその一連の仕事を見ると
自分は森田芳光監督の「39 刑法第三十九条」(1999)しか
知らないけども、最後まで面白く観れた記憶がある。
年齢的にはまだ若いといえるが映画とテレビドラマの世界で
空白期間を作らずに着実にキャリアを積んできた実績に期待したい。

音楽担当の蓜島 邦明は「世にも奇妙な物語」の
"アノ"音楽を生み出した人らすい。
チャララララン
チャララララン
チャララララン
チャララララ~ン
きっと大丈夫だろう。

 

自分が注目して見るテレビドラマは恐らくは
アナログ放送としてはこれが最後となるであろう。
関係諸氏の頑張りを期待したい。

 

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NHK土曜ドラマ
岡本太郎 誕生100年企画「TAROの塔」
2011年2月26日(土)より毎週土曜日夜9時
[全 4回]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2008年12月21日 (日)

M-1 2008

○ 決勝進出者(決勝出番順)

1. ダイアン
2. 笑い飯
3. モンスターエンジン
4. ナイツ
5. U字工事
6. ザ・パンチ
7. NON STYLE
8. キングコング
9. オードリー(敗者復活)

○ 個人的期待順

1. モンスターエンジン
2. ダイアン
3. U字工事

○ 個人的に良かった順

1. モンスターエンジン
2. NON STYLE
3. オードリー
4. ダイアン
5. U字工事

○ ファイナル進出者(高得点順)

1. オードリー(敗者復活)
2. NON STYLE
3. ナイツ

○ 優勝

   NON STYLE

○ 個人的に今後期待したい順

1. モンスターエンジン
2. NON STYLE

というわけで
イマイチ乗り切れなかったとはいえ
モンスターエンジンをあっさり落として
ナイツに思いのほかの高評価を与えた時点で
今年のM-1はいろんな意味で終わった
と思ったが

NON STYLE
オードリー

に色んな意味で番組は救われたと思える。
そして
NON STYLEをファイナルに送り込んだ審査員も
その多くはすっかり富を最優先して汚れていまっているとはいえ
"お笑い"というものを捨て切ってはいないのだと思った。

敗者復活は十分メディアに露出している"オードリー"
というのもどうなんだろうか。
いかに去年の"サンドイッチマン"の登場が事件であり
ある意味で視聴者が期待する真っ当な本来の姿だったかが判る。
オードリーは「笑いの実力」というよりもとにかく場数をこなしてきた
安定感が彼らに有利に働いていたと思う。

"面白い者"がメディアに出てきて勝つ。そして芸を見せる。
つまらない者はさっさ消える。

それだけでいいはず。
 
 
NON STYLE 優勝オメデトー!!
先輩達を決して見習わずに。芸を今後も見せてください。
 
 
  
 
 

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2008年12月14日 (日)

「篤姫」第五十話(最終回)終了。

・第五十話「一本の道」終了。

・全話終了。

まずは現場のスタッフ・キャストの皆様お疲れ様でした。

さて、
前回の第四十九話「明治前夜の再会」はとても良かった。
大体において連続ドラマといいうものは最終回の直前は
いい出来であることが多い。最終回を前にして現場の一体感が
最も増す時であろうし、最終回の視聴率向上に向けてどの回
よりも気合を入れるであろうことも容易に想像できる。

「篤姫」においても中盤以降の主舞台であり「主役」でもあった
"大奥"の終焉が描かれ女達の別れと個人的に今回の大河で楽しみ
にしていたシーンの一つ、主を失った大奥に官軍が踏み入って
来るシーンは全編の中でほとんど唯一及第点を上げたいシーンだった。
篤姫と小松帯刀の碁を打つシーンは特に感慨なし。

***  以下はネタばれしてます ***
(一応最終回なので書いておきます)

 

最終回は少し期待して録画しながら見たけど、、
とりあえず内容としては70分拡大版にする必要は全く無かったと思う。

今回の大河の基調そのままにただ単に登場人物達の"その後"が
延々と流されるだけだった。小松帯刀の最期も全くもって台詞
多すぎ。シーン自体も多すぎ且つ長すぎ。最後の最後の台詞も
何だか未練がましい平成の人間っぽい残念な台詞だった。

「沢山の人に会えて幸せでした」(というような台詞)
こういう気持ちは台詞じゃなくて演技と演出とセットと
これまでの観客に与えてきた瑛太版小松帯刀が一年かけて演じて
積み上げてきたsomethingで台詞に頼らないで真っ向勝負して欲しかった。。

天璋院と静寛院(掘北真希)の仲睦まじいシーンそのもはまあ
いいけど彼女達を取り巻いた環境の激変そのものの描写が
寂しい限りなので表面的な確執と和解それだけのものでしかないのは
観ていても寂しいものを感じた。

クライマックスで主役である天璋院の悟ったように語る台詞も残念ながら
冗長だった。ひたすらダイジェスト的にしか物語を描いてこなかった
代償とも思える。

脚本の内容からすれば最終回である今回は通常の長さ+5分くらいで充分だったが
視聴率もいいこともあって70分の拡大にすることはきっとすんなり
決まったのだろう。それに見合うだけの"物語の緩急"がもっともっと欲しかった。
最後まで内容自体の方向性と全体の枠、製作現場の最前線がチグハグな印象は
拭えなかった。

最もガッカリしたのはエンディングが何度か言及している
2004年の大河「新選組!」(以下「!」)と何から何まで瓜二つだったことだ。
メインテーマに合わせて主人公(と主要登場人物)の軌跡を時系列に追って
いくというだけなので「!」の方をことさらにオリジナル扱いする気は
さらさらないけど、「!」を知っっている人は何だか手抜きのようなものを
感じただろう。「!」のエンディングを知らない人は機会があれば見てみたらいいと思う。

そんな細部まで拘らなくてもいいじゃん。
ってことなんだろうな。結局。
歴代大河ドラマで長く人々の記憶に残る作品はラストもやはり
拘っていると個人的には思う。

最終回のタイトル「一本の道」は本編でそれなりの存在感を
放ち個人的に高く評価したい松坂慶子演じる幾島が何度か
印象的に口にした台詞だけどその幾島が最終回に出てこない
のもとても残念だった。明治以後も天璋院と幾島は交流が
あったらしいが。

総括すると

・セットや小道具は要所では豪奢で良かった。
・俳優陣とキャスティングは相当良かった。
・音楽もまあまあ良かった。
・物語の展開は時系列に並べただけ感が終始漂った。
 緩急も弱かった。

個人的に高評価したい俳優(評価したい順)
・宮崎あおい (篤姫)
・堺雅人     (徳川家定)
・原田泰造   (大久保利通)
・松坂慶子   (幾島)
・稲盛いずみ (滝山)
・掘北真希   (和宮(静寛院))
・瑛太       (小松帯刀)
・玉木宏     (坂本竜馬)

録画して且つしばらく消去しないだろう回
・第二十二話「将軍の秘密
・第四十九話「明治前夜の再会」

主役の宮崎あおいちゃんは収録完了後や
その後のスタジオパーク出演時などで何度か号泣したというけど
その涙の理由の細かいところをいつか聞いてみたいものだ。

NHKだけの話しではないけど、
いい俳優は確かに世の中にはいるし各セクションで優れた手腕を持つ
人材もいる。しかし最終的な「面白さ」になかなか
結実しない。それはあたかも決定力不足を克服できない
サッカー日本代表の姿に似ていなくもない。
国民病とはいいたくない。
組み合わせをちょっといじるだけで格段にレベルアップ
するであろうこともまた信じて疑わない。

来年の大河ドラマは今の所とくに興味なし。
 
 
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2008年11月23日 (日)

「篤姫」第四十六話終了。

・第四十六話「慶喜救出」終了。

・徳川慶喜大阪城脱出。

クライマックスだけは今回の大河では初めてちょっと感動した。

しかし、この感動は撮影現場で作られたものであってつまり
役者と演出と現場スタッフの結晶であって脚本の力ではないん
だよな。

サクサクっと鳥羽伏見の戦いが描かれるけど「錦の御旗」が
翻ったから薩長の勝利に終わったのは単なる結果論にすぎない
のだからそこばかりクローズアップして西郷さぁにまで

「さあ錦の御旗じゃあかかってこんかいおんどれら。
 歯向かう者はドイツもコイツも賊軍じゃあ!!」

と絶叫させるのは許し難い。(セリフはこんなんじゃないけど)

本当、このドラマは製作現場に近いスタッフのレベルは一貫して
高いのだけど主張がとて酷い。

どうしてこれほど何でもかんでも貶めなきゃならんのか。

恐らくは当時の人間の多くは心のどこかで徳川時代の終焉を
強く感じていたはずで270年かけて作り上げてきた巧妙で精巧な
徳川の支配システムにより諸藩のほとんどは慢性的且つ深刻な
窮乏に陥っており(今の県と国の関係と同じ)満足な戦いなぞ
出来るはずもない。

薩長は共に関ヶ原の戦いに敗れた恨みを延々と脈々と継承し続けて
さらに江戸幕府から遠いことをいいことに薩摩は密貿易などで蓄財を
続けて世界の動向も探り武器を購入して反抗の"刻"を待ちに待ったので
あるから強いのもある種当然である。

しかし当然鳥羽伏見の戦いは薩長にとっても賭けだった。
"錦の御旗"が最も効果を表したのは付和雷同したもともと日和見
で生きた多くの人間達にとってだ。

慶喜は賊軍になるのが嫌だったのは間違いないのだろうが
それよりも将軍でありながら幕府の未来を見限った(機構全体の
老朽化を的確に見切った)極めて現代的な最高経営者の一人だったに
過ぎない。

錦の御旗が出た瞬間に将軍も含めて皆逃げ出すって
どんだけ幼稚なロールプロイングゲームなんだよ。

小松帯刀の非戦論が終始坂本龍馬の賛同?を拠り所にしているのも
実に見苦しい。人として卑しい。

坂本龍馬が"平和の使徒"であったかのように描き彼に肯定的
に関った人すなわち善とするのは歴史への冒涜のなにものでも
ないだろう。錦の御旗の描き方と全く一緒で幼稚だ。

脚本書いている人ってもしかして10才くらいのゲーム好きの
世間知らずで歴史漫画ばかり(表面的にしか)読んでいない
少年なんだろうか。

小松帯刀という一個人の人間の苦しみぬいた挙句の個人的な
知識の集積の果ての非戦論であってそれを描かなくては
ならないはずなのに。

そして薩摩の人間でありながら公然と?西郷達を批判するならば
当然の如く龍馬と同じ運命にならなくてはならないだろう。

北大路欣也の勝海舟も他の出演者同様、露出は多いものの
演じる余地もたいして与えられずもてあまし気味で気の毒だ。
天障院に面会するように慶喜に促すシーンでも

「とにかく何でもいいから会ってみろ」

ってもう脚本いらんじゃん。
本当に脚本ないのかもしれないな今回は。

皮肉にも時代の終焉の混乱と登場人物達のアイデンティティの
所在の圧倒的な描写不足とが相乗効果を起こしてあと数回の
展開を見届けたくなってはきた。

見ながら適当に脳内で同時進行的に編集してセリフも変換して
対応することにしよう。

テレビドラマとは言え、こんな歴史の矮小化を一年もかけて
やるならせめて受信料を半分にしてくださいませ。
エヌエイチケーさん。

 
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2008年10月13日 (月)

「篤姫」第四十一話終了。

・第四十一話「薩長同盟」終了。

・薩長同盟成立。
TVドラマ史上稀に見る薄っぺらさ全開の西郷さんの描かれ方に脱力(ーー;)

仲間内ではペラペラとお喋り大好きで何か決まれば即酒盛り(つか合コン?)。
仲間でない人(桂小五郎)には何がお気に召さないのかダンマリ且つ
非協力的。しかしお仲間(小松と坂本)の一言さえあればあっさり
手の平返して平身低頭。。人として感じ悪い且つ軽い。

「俺らもしかして幕末のヒーローじゃーん」て感じだ。

こんな図体ばかりでかくて内輪優先で器量の小さな男に着いて
行きたくはないなあ。義憤感じて幕府側に付くなー自分だったら。

後半のここまで来ても相変わらず脚本が無いに等しい。

将軍家茂がせっかく上京しても慶喜が暗躍して(つか的確なトップダウン)
家茂は何も出来ない。

「おーいいじゃん。やっとドラマっぽいよ」と思ったのもほんの束の間。
策謀渦巻くシーンは僅か数十秒で準主役小松帯刀どんの元に何やら
女人が転がり込んでどーしたこーしたと延々と描写。マジすかー(ーー;)

長州側に渡す武器の調達をグラバーに依頼する時も、例えば
坂本龍馬がさりげなーく小松さぁにグラバーを指名してグラバー邸での
売買成立のシーンでは何も知らない小松さぁに対してグラバーと坂本龍馬が
さりげなーく目で通じ合い同席している井上聞多(後の元老井上馨)と
伊藤俊輔(後の初代内閣総理大臣伊藤博文)もさも何事かを知っていそうな、
けどシラを切っているようなシーンをさりげなーく入れるとか小技を効かして欲しかった
(井上聞多と伊藤俊輔はこの時すでに洋行をしておりグラバーは裏で
何らかの形で関与していた可能性が高い。坂本龍馬もグラバーの
斡旋により極秘で洋行していたという説がある)

が、、彼らはただ単に会い、事はスイスイ進み極めつけはグラバーは
"小松さぁだから"
というただそれだけの理由(つか理由になってねぇ)で銃を三百丁
オマケで付けてあげる。。マジすかー(ーー;;)

敵も味方も皆仲良しこよしでイケメンで仲間外れが決して出ないように
セリフをきっちり等分に分け合って、、いよいよもって幼稚園みたい。

坂本龍馬が出てくる意味がドラマ上なんもない。単にお約束で
出てきて喋り散らしてるだけだ(演じる玉木宏はそこそこ健闘)。

恐れていた通り全体の流れの根拠とか伏線とかをほとんど描いてこな
かったから展開に抑揚が全然無い。これまでよりさらに投げやりな
感じでどこを切ってもダイジェスト版でしかなくなってきてる。
もう誰でも何でも何言っても何やってもいいという感じだ。

登場して、出てきた理由をセリフでタラタラ述べて
篤姫か小松帯刀か西郷さぁか露出の多い誰かとお仲間になって
適当に定説通りに有名なエピソード(多くは前後を端折った台詞のみの扱い)入れて
辻褄合わせに適時お亡くなりになればOK。
俳優さん達が何だか余力持て余し気味で逆に不憫だ。

ここまで薄っぺらく描くんだったら俳優陣で相談し合って
オリジナル且つ即興で自分達で演技つけた方が面白くなるんじゃないか
という気がする。小道具や細部の正確さとかなんて資料見ればいいんだから。

現場のスタッフも、俳優陣も、目の肥えた視聴者も、可哀想だ。
撮影設備の消費電力も、絢爛豪華な衣装も、若手達の熱血演技も、、
モッタイナか(-_-)
 
偶然か意図的かこのたまらない軽さは今の世相を映しては、いる。
誰も彼もが未来を正確に予見した幕末のヒーロー気取りで抵抗勢力は特に
根拠も考察もなく自分と仲間(と家族)を除く"どこかのどうでもいい誰か"ってことで。

 
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