漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
気が付いてみれば、上京してからえらい年月が経つが、東京に移住してから
「週間少年ジャンプ」を買ったのは記憶する限りでは二回である。
一回目は、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の最終回前の先週号である。
二回目は、最終回の今週号だ。
因みに、最終回前号は"今世紀に入って初めて買うジャンプ"でもあった。
さらに、もしかしたら、"成人してから初めて買うジャンプ"だったとも思われる。
レジカウンターに持っていく時は何だか緊張してしまった。
だもんで、両さんや、中川や麗子が変わっているか、いないかということは最早
超越している。
最終回"前"号の回は、十年以上ぶりに読む者からすると、両さんの日常については
余りにも変化し過ぎていて
「夢オチなのか?多分そうじゃないのだろうな」
くらいについていけないけれどそれはそれ。相変わらずの"拘りグッズ系(時計)"の
話であったのは、「最終回は大暴れするぞ」という伏線と、作者の「こち亀」への愛着を
示す"真の最終回"ではなかったかと思う。
自分が「こち亀」を一番読んでいたのは単行本で言うと30巻前後ではなかったかと
思う。個人的にはこの辺りでの書き込まれたキャラクターや背景の絵の雰囲気が
自分にとっての「こち亀」である。
白バイ勤務の本田のバイクの後ろに両津が跨り、あちこち走りながら珍妙な店や
人に遭遇していくというパターンが好きであり、自分にとっての黄金律であった。
また、閑話休題として差し込まれる細部まで描かれたバイクと夕焼けとかの組み合わ
せのカットが大好きだった。
「Mr.クリス」とか、たまに発表される書下ろし短編を見ると作者の秋元治は書きたい
ネタを明確に持っていることがよく判り、「こち亀」がいつ連載終了になっても困らない
のだろうなと思ったものだ。
狙い通り?伝説となった「ニセ最終回」の頃(20年前!)はまだジャンプをリアルタイムで
読んでいて、まんまと騙されるという楽しみを味わうことが出来た。
そして、自分のとってはその「ニセ最終回」の頃で「こち亀」からもジャンプからも
実質的に卒業したのだと思う。
今回の『最終回』にあたっては、この一週間、何となく内容を予想しつつ過ごした。
自分の予想した終わり方は、両さんがいつも通り、派出所のいつもの"あの席"に
座っていると、名物キャラクター達が最終回を知って続々と大慌てで駆け付けるが
両さんは喜々としてあくまでも普段通りに振舞って最終ページで「みなさん、さようなら。」
で大団円で終わる。。というベタな展開であるが、「案外、あり得る」と踏んでいた。
実際に迎えた最終回は、「こち亀」らしく、秋元治の陽気な性格を現した"らしい"
終わり方だったと思う。
この終わり方について余りにあっけないと思う人も多いと思うが
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」
という漫画は構成が一話完結形式であり、恐らく作者の構想としては、
両津勘吉
というキャラクターも大原部長等と同じくその他大勢の中の一人に過ぎないということ
だったのではないだろうか。
だからこそ、何でもいれられる容量の充分にあるHDと「こち亀」というシンプルな
OSは40年間、故障もなく、バージョンアップを続け、堅実に稼働し続けたのだと思う。
終わりは幾つかのタスクを終了させて(一時的に)電源オフするだけである。
次ページからの"予告満載"の最終回は
「まさか、また振りか?」
と一瞬思わせられたが一話完結形式の「こち亀」にそもそも終わりはない。
秋元治という漫画家が週間連載という重荷から解き放たれた悦びの叫びに溢れた
次作の予告は製作者も慮る真の読者と同業者をハッピーにする良い企画だったと思う。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を愉しみ、友と笑いと蘊蓄を共有し、新しい
出会いにおいてはお互いを知る恰好のネタとなり、そして、秋元治という優れた
漫画家が同じ時代を共有してくれることの安心感と頼もしさがいつもあったように思う。
そんな「こち亀」の連載が遂に終了した。
連載終了の日に立ち会えたことを素直に喜びたい。
秋元治さん、関係者の皆さん、長期に渡る連載お疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。そして、健康を維持されながら納得のいく素晴らしい
作品がこれからも発表されることを願います。
新作を見つけたら読まさせて頂きます。
お疲れ様でした!!
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」よ、秋元治よ、永遠なれ!!!
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「こちら葛飾区亀有公園前派出所」 秋元治
全200巻 集英社
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