旅/歩く/走る

2016年7月30日 (土)

夏を歩く

  

 用事でバスで二時間ほどかけて、とある城下町に降り立つ。事実上、
初めての街。

 時間に余裕があるので散策をする。その前に早めの昼食。

 駅から出てすぐに目に着いた自家製の麺が自慢らしい蕎麦屋でざる蕎麦
大盛を食す。トッピング二種類を追加して1000円近くいってしまい、量も
多すぎて無理かとやや後悔して食べ始めたが看板に偽りはなく、蕎麦も、
トッピングのかき揚げも、唐揚げも美味くて、全くくどくなく完食。無理して食べた
わけでもないので関心。接客がやや尊大で今イチだったのだが、これだけ
美味しければ許す気分に。許す。

 裏通りの廃れた商店街をブラブラと歩いていると古本屋を発見して入店。
十数分立ち読みして映画関連の書籍を二冊購入。重たいので観光で来ている
旨を伝え取り置きして貰うことに。

 路上に設置されている案内盤の地図を確認すると、すぐ近くを川が流れており、
地形的に面白味がありそうな予感を感じつつ歩く。

 ちょっとした広さの公園があり、自衛隊の方々が広報活動をしていた。
装甲車が何台か並べられていて、テントを設営して、国内外の救済活動等の
スチールが並べられていた。関連グッズも販売されていてなかなかの活況。
層としては若い女性の子連れや友人同伴が目立つか。

 なかなか無い機会なのでしげしげと展示されている車や物品を鑑賞。
暑い中を隊服を着てにこやかに人々を眺めて立っていた隊員の一人と
話しこむ。

 「、、ところで、専属は何ですか?」と尋ねると

 「斥候です!」と笑顔で即答。小隊長をしていらっしゃっるとのこと。世間が"自衛隊"に
抱くイメージと、市民の理解が昔とは文字通り雲泥の差があり、今日のように
広報活動を通して市民と"普通に"交流する日が来たのが信じられないとのこと
だった。

 「まるで、夢を見ているようです。」

 隊員達と一般市民の和やかなで活気あるひと時の広場の様子をとても良い表情で
眺めながら言った。

 「もう、この流れは変えられないのと違いますかねー。」

 素直に一市民としての感想を述べると小隊長さんは

 「そう願うばかりです。」と力強く頷いた。

 「頑張ってください。」と握手をして、その場を離れた。

 美術館を見学してから、さらに散策を続ける。

 川がほど近いところを流れているようであるが、景色には入って来ず、ひたすら歩いて
いるうちに道に迷い、駅がどの方向で自分がどっちに向かっているのか判らなくなる。

 湧き水を汲んでいたご老人に話しかける。

 「駅に行きたいのですが、どう行けばいいでしょうか。」

 「、、耳が遠いものですみません。」と老人。

 耳元近くでもう一度尋ねてみる。

 「駅ですね。そこの道を右に曲がって、真っすぐ、真っすぐ行ってください。
そうすれば、駅です。」

 ご老人は満面の笑みで答えた。落ち着いた雰囲気のこの街に誇りを持って生きて
いるのだろう。東京から来て歩いていたら道に迷ったというと意図をご理解された様子
で嬉しそうに悦ばれた。

 「この水は美味しいですよ。是非、味わっていってください。

 「ハイ。ありがとうございます。」

 お歳を尋ねようと思ったが、聞こえないと悪いので会釈をして別れた。九十才は
超えているだろう。

 その笑顔には、残りの人生で会える人の数を知っているような"覚悟"を感じた。
自分は、お爺さんの長い長い、とても長い人生の中でもしかしたら知人を除いたら
最終コーナーで出会った一人だったのかもしれない。

 湧き出ている水を一口飲んでみると、なるほどクセが全くなく美味い。
水量も安定していて豊富らしく案内の看板には取水に当たっての規制らしい言葉も
書かれていなかった。
 
 「いい街だな。」と感じた。

 位置関係が判らなくなったので一回、駅のすぐ近くまで戻り、把握してから古本屋に
本を取りに行く。さらに二冊ほど購入。平均値よりは高い買い物客だったのだろうか。
少しまけて頂いて気のせいか御礼も篤く感じた。揃えている本はわりかし読んでみたい
ものが多くこの街にいたら毎日のように通っていたことだろう。また、来ます。

 所用を済ませて、高速バスで東京に帰る。バスの中では子供たちの一団と遭遇し、
途中、引率の大人に何かしらの注意喚起をしたいところを堪えつつ彼らのヒエラルキー
と価値観を観察しながらウトウトしながら帰京。

 時間は短かったが、「旅」になった一日。

 
 
 
 




 
  


 
 
 



 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年12月31日 (木)

旅2015 「東京~豊橋(三)」

旅2015 「東京~豊橋(三)」

 東京から、豊橋へ向かって短い旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。。

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11月15日(日) 晴れ  第3日目 豊橋~上前津~東京
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 昨日までの天候とは一転して穏やかに晴れた朝を迎える。
「昨夜はゆっくり眠れたよ。」とFさん。駅まで送ってくださるとのことで
所有のローバー・ミニで到着。荷物をまとめて、既に懐かしい
"グラインドハウス"を後にする。

 「気分的には、このままどこかに繰り出してもいいんだけどね。」
とFさん。だが土日連続では流石に申し訳なく、日曜日の今日は
家族サービスもあるだろうからそのまま駅に向かう。

 今後、また今回のように豊橋で皆で会うこともきっとあるだろう。
Fさんと豊橋で合流して京都に向かうこともあるかもしれない。
グラインドハウスにバイクで唐突にお邪魔して映画談義をすることも、
もしかしあたらあるかもしれない。それは、半年後の事なのかも
しれない。一年後の事なのかもしれない。。

 「また、会おう。」
 駅前でそんな会話を交わして、Fさんは車で去っていかれた。

 二晩の間に話し合った幾つかのアイデアは何かの形となって今後
進展するかもしれない。そこから、Fさんの映画と「ある人」との巡り合い
について、幾つかの"謎"について、解明をみるかもしれない。自分は、
自分の生まれた時代背景との相関についてより理解する日が来るの
かもしれない。

 "その日"は、きっとやって来るだろう。

 お疲れ様でした。ホスト役ご苦労様でした。グラインドハウス快適でした!

 豊橋から金山へ向かい、そこで荷物を預け、Fさんの指南通り、
上前津(かみまえづ)へ向かった。電車内では、観光と思われる
アジア系の若者達や出稼ぎ目的で日本に来て定住していると思われる
中東系の女性の姿などを見る。何となく海外旅行気分を味わう。

 駅にほど近い目的地の大須商店街は寂れた感じを勝手に想像していたが、
大変な活況と賑わいを見せていた。アーケードの通りは人混みでまともに
歩けないくらい。

 時間に余裕があったので商店街の近くにあるという古本街は少し後にして、
しばらく商店街を歩いた後、昼食を摂るための店を物色。

 旅の最後の食事となるので余りいい加減には決めたくないこともあって
しばらく何店か眺め歩いて、メインストリームの裏通りにある軽食屋に決定。
千円ちょっとの鳥の照り焼きをメインにしたランチメニューをオーダー。

 「当たり」の店を引いたらしく、ご飯やおかずの量はやや少なめ
ながら、お米も肉も材料は全体的によく吟味してあるらしく美味。
持論である「美味しい物は量が少なめでも満足度と満腹度が高い」
立証するような料理だった。

 セットメニューに付くコーヒーは量がたっぷりで、有り難いことに客は
常連と思われる主婦が一人来店しただけで静かな時間が店内に流れる。

 棚にあった名古屋の歴史の写真集を何となく手に取って眺めつつ、
メールを打ちつつ、旅の終わりを楽しむ。写真集は、戦前・戦中の写真が
割と多く載っていて、今年の夏は数は多くはないが長年見たかった戦争を
テーマにした映画を幾つか観れたので振り返るのに調度よく、戦災孤児達の
写真を見て小津安二郎の身勝手な大人達を辛辣なユーモアを交えて描いた
戦後復帰作「長屋紳士録」(1947)や、数年前に観た清水宏の戦災孤児達を
主人公にした傑作「大仏さまと子供たち」(1952)を思い出したり。

 店を一人で切り盛りしているらしい女将に勘定を済ませる時に
ゆっくりできたお礼を言うと素敵な笑顔を返してくれた。

 御馳走様でした。大変美味しかったです。

 この街に来た目的である古本街に向かう。場所を人に聞きながら
辿り着いてみると古本街と言ってもほんの三軒がやや離れてある
ばかりで一軒は昔ながらの雑然と本が所狭しと積んである感じが
好ましく、揃えてある本もこだわりが感じられ客もそれなりにいた。
近くにあればきっと通っていただろう。二冊ほど戦争をテーマにした
本を購入。他の二軒は整理され過ぎている感じが自分には余り面白味を
感じさせなかった。やはり古本屋は雑然さと店主のこだわりが大事
だと思われる。全部で三冊購入。映画パンフレットも欲しいのが
あったが、帰宅するまでに折れてしまう心配があったので買わず。

 ここ数日天候が悪かったこともあって、午後の日射しが歩いていて
心地よくもあったが、早めに街を後にして再び、豊橋に戻り、そして
東京へと向かった。

 新幹線は関東圏に近づき、富士山の緩やかな斜面が車窓から
見えた時に急に感慨が湧いた。こんな夕方の時刻に関西方面から
新幹線で帰ってくるのは初めてかもしれない。夕日に染まる富士を
見ながらバイクに乗っては御殿場方面に繰り出していた学生時代を
思い出した。

 夕暮れ時から闇は急速に濃くなり、東京に着くまでの残り僅かな時間を
眠ろうとした時に、車内の電光掲示板のニュースが目に入った。

 "...死者は150人以上に上る模様..."

 詳細は何も判らなかった。

 「何か事故でもあったのかな。それにしても死者数が多いな。。

 横浜が近づき、ほんの短い眠りに落ちたかと思う間に東京に着いた。
午後6時着。出発してから調度48時間が経っていた。

「48時間の脱獄か。。」独りで呟いた。 

 旅の終わりにはいつも「明日からは少しは何かが違うだろう。」
と思い、「そんな思いはどうせ数日も持たないだろう。」と
もう一人の自分が嘲笑う。

「今回は、多分、違うよ。」

とさらにもう一人の自分が嘲笑う自分を否定した。

 自分の暮らしは表向きは何ら変わらないだろうが、、漠然と思案
しつつ山の手線に乗った。

 「世界」の方がこの日を境にまた一つ大きく変わってしまったことを
この時の自分はまだ知らなかった。

 "9.11","3.11"に続いてまた一つ数字が刻まれてしまったことを。

 だが、それは、チョムスキーの言う
「先進国と自称する国にとっては驚天動地で重大で悪質なテロであり、
戦争行為であるが、そうでない一部の国や人々にとっては、ごく日常的に
否応なしに繰り返されてきた出来事に過ぎない」
事でもあった。

 世界はこの日から、より野蛮で、より過激な暴力の応酬と、
その口実作りにいそしむことになる。

 48時間の旅、ささやかな"プリズン・ブレイク"は終わりを告げた。 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年12月30日 (水)

旅2015 「東京~豊橋(二)」

旅2015 「東京~豊橋(二)」

 東京から、豊橋へ向かって短い旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。。

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11月14日(土) 雨/曇り  第2日目 豊橋
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○グラインドハウスにて。暴風の朝をウダウダと過ごす。

 午前9時頃起床。昨晩は慌ただしく合流しつつ、歓談しつつ、
飲み食いしつつ、映画を見つつだったせいか、小一時間ほど、
寝袋に入ったままウダウダと話をする。合宿気分が楽すい。
グラインドハウス館長Fさんから朝食をどうするかメールが来る。
代表で店主さんが回答。
 
 
○喫茶店にて。男達は、ロマンポルノについて展望す。

 雨の中を歩いて某喫茶店へ。「レザボアドッグス」(1991)の
ワンシーンのように男達はテーブルを囲みそれぞれモーニング・セット
をほうばりつつ、「ロマン・ポルノ」の過去・現在・未来について
語り合う。

 自分はここで一回テンションが落ちて再起動。日常から離れて
24時間程度経つと起こるいつもの症状。
「この店はバターとジャムの量が多くて、素敵だなあ」などと思いつつ
会話に参加。

 喫茶店を出ると、雨は上がり、街は雨上がり特有の輝きを醸し出し始めた。

 「"北野ブルー"みたいな感じでいいですね。」  

ベジ君がカメラを取り出し、一瞬で過ぎ去ろうとする「街の光」を捉える
ことに挑みつ呟き、同意する。
 
 
○ブッ○○フにて。修正資本主義社会の現状を満喫す。

 皆でブッ○○フに行く。Fさん、店主さんはよく行くらしく、
獲物を捕らえた猛禽類のように漫画・CD・書籍といった各コーナーに
喰らいつき楽しそうだ。

 自分はブッ○○フは一時期、錬金術の行使の為に利用していたが、
かなりご無沙汰で巷のマテリアル・ワールドのトレンドを傍観する。
いつか大人買いしてまとめて読もうと思っている連載中の某漫画を
見つけ、随分な巻数になっていることに関心(安心)したり。
 
 
○豊橋映画祭企画ポスター展へ繰り出す。

 豊橋映画祭の主要企画?の一つ某デパートで開催されている
映画ポスター展へ繰り出す。

 デパートといっても棟の半分以上か3分の2程度もテナントが撤退
していて、その為にエレベーターの止まる階すらもまちまちといった
故郷の現状にFさんは大いに憂いつつ案内してくださる。

 展示されていたポスターは高倉健と菅原文太主演作品が中心。
というかほぼ彼らの追悼特集といった趣。皆、そこそこ観ている
作品も多く、他に客も居らず、4人で盛り上がる。

 松田優作主演の遊戯シリーズのポスターなどもあり見入る。
ベジ君が優作作品はほとんど観たことがないと言うので、幾度となく
観ている大好きな作品「野獣死すべし」(1980)などについて熱く語る。

 冒頭の大雨の中の長回しのシーンがいかに素晴らしいかを話すと、
Fさんも「あのシーン、最高だよね。」と激しく同意。
同作品中のハイライトの一つ、列車内での優作演じる伊達が室田日出男
演じる刑事に延々と毒つく圧巻の独白シーンについても話すと
「それは忘れた」とのFさんのお答え。

 優作が諸事情のドタバタの中で監督を引き受けた迷作?
「ア・ホーマンス」(1986)や優作の役者人生の転機ともなった作品
「ヨコハマBJブルース」(1981)なども勧める。

 映画談義をしつつ、各々、思い思いにポスターを撮影。任侠映画の
ポスターの前でFさんが演出を加えつつ撮って下さったりと恐縮。

 他の客や主催者がただの一人も入ってくる気配もなく、撤収。
 
  
○「ブラタモリ」風に。男達は、街を徘徊す。

 散策の中心となった廃れた商店街は川を完全に覆い、地下に閉じ
込めることで地表に生み出した土地の上に丸ごと作られおり、建物
群全体が川の流れの軌跡のままに緩やかなRを描いているのが面白い。

 Fさんの思い出を伺いつつ、何となく皆で散策する。少年時代の当時、
周辺は活気に溢れ、少年たちも住んでいるエリアでそれぞれ独自の
"カラー"があってそういったバイアスを強く意識して過ごしていた
幼少時代の話等々。

 この街もまた、日本中の地方という地方が直面し続けている問題、

センター(街の中核)というものが失われて、人々が集い、マネーが
廻っていく

 という構造を失って長い時が過ぎたであろうことを強く感じる。

各世代が一同に中心に集まる構造を取り戻すことは不可能に近い。
では、どうするか?全国自治体の取り組みと挫折の無数の繰り返しも
また長い年月を迎えている。

 「昼飯はどうするかね、諸君。」Fさんの問いかけの中、一旦は
美味しそうな匂いを出していたお好み焼き屋に決定するが満席で
入れず。一転して、ベジ君カーを出動してFさんお勧めのカレー屋へ
向かうことに。
 
 
○カレー屋にて。男達は、談笑しつつナンを食す。

 食べ比べしようと、全員が異なるカレーをオーダーする。
ナンが熱々で、柔らかくて美味。喜んでガツガツと食べる我々を
見てホストのFさんも満足そうである。

 カレー屋の近くに一軒、"庭"にこだわりを見せるレストランが
あってFさんはそこも甲乙つけ難くお勧めだとナンをほお張りつつ
言う。

「晩飯の時に(その店に)行ってもいいですよ」( ̄∇ ̄;)

と既にこの時点で二泊することにほぼ決めていたのでエゴ丸出しの
意見を述べてみるが、店主さんとベジ君は今日の夜に帰らなくては
ならないので当然のように却下。。
 
 
○修正資本主義社会の現状を満喫す(Part.Ⅱ)。

 小さな骨董屋に寄った後にやや大きなリサイクルショップに向かう。
食玩やキャラクター物のフィギア、プラモなど大量に取り扱っており
各々、物色す。

 展示してある某アニメ作品?の美少女フィギアのほぼ完璧といって
いい立体化の完成度に驚嘆しつつも、厳然とした2次元との違いに
ついてぼやっと考えてみる。

 次元の違いと、その違いにより、キャラクターを取り巻く空間から
発生する指向の受ける人間側の大きな相違。学問として成立する
ような気がしつつ、或いはとっくに成立しているかもと思いつつ
フィギアを鑑賞。

「やはり、二次元物(アニメ)のキャラは二次元のままがいいっすかねー」と
呟くと店主さんが"獲物"を抱えつつ「そんなこともないすよ」と異論を述べる。

 すでに時刻は夕方を迎え、外は暗くなりつつあったが、店主さんの
購買意欲は衰えることもなく、抱えるプラモの箱は積み上がっていく。
レア度と商品自体の完成度・造形のレベルを保ったチョイスに関心しつつ、
自分も幾つかフィギアを購入する。

 店の外に出るとすでに辺りは暗くなり、再び雨が降り出していた。

 音楽を聴きつつ、ベジ君カーでグラインドハウスに向かう。ベジ君が
以前より表明していたプログレを開拓している話になる。

 「"プログレ"は、何をもって"プログレ"と定義するの?」とベジ君に
質問してみると

「それまでの既成概念音楽を覆そうと、アグレッシブに、プログレス
(前進)することを試みている音楽。あるいは、試みる人々」

ということになるらしい。そして70年代の一時期という隆盛期間の
短さもまた音楽という壮大な、広大で且つ深い歴史を持つジャンルの
中で抗いつつも、新しさを追及するという「アグレッシブに、プログレスする」
ことの困難さが理由らしい。

 今後もプログレを含めた未知の音楽の領域に向かってベジ君には
大いに「アグレッシブに、プログレ」してほしいものだと思いつつ、
窓から雨と暗い空を眺める。

 ほどなくグラインドハウスに帰還。
 
 
○豊橋映画サミット Vol.2 開始

[3] 「ニンジャ Ninja III: The Domination」
監督:サム・ファーステンバーグ
脚本:ジェームズ・R・シルク
撮影:ハナニア・ベア
出演:ショー・コスギ,ルシンダ・ディッキー
(1984/アメリカ) [カラー 90分] [☆☆☆☆] 

 妖しい刀を譲り受けた女性(ルシンダ・ディッキー)が次第に
精神を刀の主?に乗っ取られて女NinjaAとして目覚めていく
(蝕まれていく)という三作目にして「普通の映画」っぽい展開に
サミットメンバーの評価は分かれる。自分としては、I,Ⅱの迷走感が
ほぼなくなったことと、物語の佳境で登場するショー・コスギの
キャラクターとしての安定感の抜群さ、ルシンダ・ディッキー
の演技とスタントを両方を卒なくこなしている点、ラブ・ストーリー
も一応入っている点などの土台の上にNinja映画が成立している
点を評価。

 シリーズ三作を見終わって、全体としてはⅡの出来が良く、
ⅠのOPが素晴らし過ぎるという結論になる。改めてIのOPだけを
再生して観てそのカッコよさとワールドの完成度を皆で堪能する。

[4] 「ショー・コスギ'88 復讐遊戯」
監督:ゴードン・へスラー
出演:ショー・コスギ、ルイス・ヴァン・バーゲン
(1987/アメリカ・アルゼンチン) [カラー] [☆☆☆☆] 

 一連のNinjaシリーズ等のヒットで名声を得たショー・コスギが
麻薬捜査官という渋い役でアクションだけが売り物じゃない点に
重点が置かれたと思われる作品。店主さんが、日本人が主役として
白人女性をパートナーにしてきちんと対等に扱われて描写
されている点
について力説する。自分としては1980年代の後半
にしても、逆にまだまだそういった西高東低な「壁」が厳然とある
事実について考えさせられる。ショー・コスギの達成した偉業に
ついては今後さらに検証と再評価が必要と思われる。

 クライマックスでは、麻薬捜査官であるショー・コスギが犯人を
最終的に死に貶めるのではなく、犯人が自ら墓穴を掘って死ぬ
という理由付けにするためにそれまで展開されてきた派手な
アクションに比べやや判りにくく地味な結末になっているが、
アクション重視の作品においてもそういったキャラクターの
行動の動機や理由というものは作品の質に影響を与える
大事な点であることを認識。
 
 
○京都組、出立す。

 時刻は夜の9時を回り、ベジ君は明日仕事!ということで
ここで一旦、映画サミットはお開きとなる。またしても降り出す
雨の中、店主さん、ベジ君二人を見送る。ベジ君カーは街の中へ
消えていった。

お疲れ様でした。また、今度!\(^^)/
 
 

○男達は三度、コンビニへ向かう。

 とりあえず、まずはコンビニに行こうということになる。
酒もつまみもまだあるということでカップ麺を買う。
 
 
○豊橋映画サミット Vol.3 開始
  
 Fさんとカップ麺を啜りつつ、JACK DANIEL'Sをカパカパと飲みつつ
クンフー映画の系譜的な話と「ある人」『その死』についてを昨夜から
引き続き講義をして頂く。

 深夜に近づく頃、Fさんは明朝9時頃来ることと、戸締り等に
関する注意を告げてご自宅に帰還された。

 明日の朝、起きたらすぐに出られるようにしばらく片付けをして、
寝るだけの準備をした後、Fさんがテーブルに積み上げていった
VHSの一本を再生する。

「ある人」についてのドキュメンタリーと作品のメイキングを観る。
そして、作品の一つを観る。

 それは、単なる映画鑑賞以上の「何か」を感じざるを得ない、
『時の覚醒』とでも呼ぶべき夜であった。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2015年11月22日 (日)

旅2015 「東京~豊橋(一)」

旅2015 「東京~豊橋(一)」

 東京から、豊橋へ向かって短い旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。。

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11月13日(金) 曇り  第1日目 東京→豊橋
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 夕刻、仕事を順調に?切り上げて会社をサクサクと出る。

後方から何やら鋭い大声が聞こえるがきっと気のせいだろう。
どうも自分の名を連呼している気もするがやはり気のせいだらう。
連日の過労で神経過敏になっているだけであろう。。(ーー;;)
きっとそーだ。そうに決まっている。。

  Hasta la vista. Baby!! ( ̄Д ̄)凸

 東京駅に着くまで気が気ではなかったが、新幹線に乗り込み、
無事に発車したところでホッと一息。

 乗車する前に駅の売店で買っておいたサンドイッチはやや値段が
高めであったが、空腹でもあったせいか、おもてなしの国策が奏効
しているのか、作っている方々の不断の努力の賜物か、驚くほどに
美味であり、短い旅ではあるが、その開始の悦びに拍車がかかる。

 闇の中に人家もない道路だけが浮かびあがるのをただ眺め、
ただ、それだけの事でいつもなぜか感傷的になり、車窓から眺めて
いるうちに疲れと緊張の持続からの解放からじきに眠りに落ちた。

 1時間半ほどで豊橋駅に着く。アットホームでレトロな雰囲気を
勝手に期待していたがかなり大きな街に感じる。駅の空中歩道で
他愛もなく戯れ語り合っている青年達のジモリーな雰囲気に勝手に和む。

○ 旅の始まりは銭湯から

 今回は、旅の景気づけに到着してまず地元の銭湯に入ることに
決めていた。その為になるべく早く到着したかった目論見は無事に
果たされた。場所は予めWebで検索済みで、駅から徒歩10分ほど
の場所。この街の"売り"の一つ?路面電車が時折通り過ぎていくのを
横目に見ながら目的地に向かう。

 大した物は入っていないが、私服と二日程度宿泊できる物品を
詰め込んだバグを担いでスーツ姿で見知らぬ街を歩いていると
何となく上京したての頃を思い出す。11月中旬とは思えない暖かさ
である。

 地図上の示す場所まで来たが、銭湯は見当たらず。辺りは暗くて
ありそうな雰囲気もまるでなし。

「閉店したか、、電話してみるか、、」と思うが経験上、コレはすぐ
傍まで来ている定石パターンで案の定、横に道に入るとすぐに
見つかった。思ったよりも小さい構えの建物であるのもいつもの
パターン。

 銭湯は地元の方の利用が大半なのか、大きなバグを持って
スーツで入っていた自分はアウェー感丸出し。でも、そのある種の
疎外感が旅らしくていい。いつも利用しているらしい感じの何年も
使い古した作業着で無言で入ってくる職人オーラを出した中年男性に
長らく一大工業地帯として繁栄してきた地域的な特色も勝手に見たり。

 湯船も、浴室も、7,8人程度が限度のこじんまりしたキャパでは
あるがきちんと水風呂もサウナ室も完備され、湯加減も良く、
体をよく洗って、ゆっくりと湯船に浸かった瞬間に仕事モードは
ようやくOFFになり、たった数日ではあるが、"旅の始まり"に
一人で大きく呻く。
ε~( ̄、 ̄;)ゞ

 常連客の地元の方々が次々と入場してくるので邪魔にならない
ようにスーツから私服に着替えて自分としては早めに銭湯を出る。

○グラインドハウス館長Fさんと合流す。

 銭湯を出て、いよいよ"その場所"に向かおうとすると今回の
サミットのホストであるグラインドハウス館長Fさんより着信が
入っていることに気づきかけてみると、一年以上振りのやや
懐かしいFさんの声が。

予定通り「黒い家」を目指せ。自分も合流する。

との指令を頂く。当初より指示されていた場所に向かって暗がりの
街を歩いていくと、確かにそこに一軒の"黒い家"があった。まるで、
暗闇の中でステルス迷彩を施すかのように。まるで、一羽の烏のように。

「ここに違いねぇ・・・」待つこと数分、Fさん自転車で到着。

 グラインドハウスは古民家を改修したものだそうだが屋内は膨大な
書籍と映画関連グッズ・骨董のコレクションを洒落たレイアウトで
まとめている。流石の一言。チャールズ・ミンガスをかけて自分の
グラインドハウス到着を歓待してくださる。まずは、コンビニに
出かけることに。歩きながら、街の地理的な事や、三河地域全体の
歴史的な立ち位置、人々の気質等について解説してくださる。

「とりあえず、今夜はkuroneko君だけだから。」とFさん。

 Fさんによると、京都出立組は明日到着するとのこと。店主さんや
ベジ君と数日前から交わしていたメールでは、宿泊するとも、
日帰りとも取れる内容だったので情報がFさんと自分の間でやや
錯綜する。

「多分、今夜到着しますよ。一泊して明日は帰るはずですから。」と私。
 

○豊橋映画サミット Vol.0 開始

 一階と二階のどちらでサミットを開くかFさんから希望を聞かれ
相談した結果、二階でやろうということに。とりあえず、二階の奥の間で
JACK DANIEL'Sのコーラ割りとTORYSでまずは二人で乾杯。
Fさんのブラックスプロイテーションやカンフー・アクションなどへの傾倒に
関するルーツ的な流れに属する某作品を流しながら、話をする。主に
Fさんの映画との主体的な出会いについてのイメージ的な背景について
等々。自分も共感する点があるので何となく盛り上がる。やがて、
必然的に話はある著名な人物とその死について集約されていった。

 店主さんから「(午前)一時頃着く。」と入電がある。まだ時間が
あるのでせっかくの機会なので人生の先輩であり、業界を長年歩んで
こられたFさんに自分の考えている幾つかの企画の成功の見込みと
それにどうコミットするべきか自分の見解を述べFさんの意見を伺う。
企画の内容については概ね悪くないとのことで自分自身がそれらに
関わっていくにはさらに熟考と熟慮が必要なようだ。

 映画を流し見て、部屋にはってるポスターと「その人物」の諸作品と
その短い生涯について、とめどなく話す。Fさんはお猪口でTORYSを
グイグイと飲み干していく。自分も映画を見つつ、喋りつつ、Fさんに質問
しつつ、JACK DANIEL'Sのコーラ割りを遠慮もせずにカパカパと飲む。

 天気が急速に悪くなりだし雨が激しく降り出す。酒が回ってきたのか
ホストとしての準備で疲れたのかFさんはウトウトし始める。「名古屋に
着いた」という連絡が入ってから1時間半は過ぎ午前二時にもなろうかと
したところで京都出立組、無事に到着。

○豊橋映画サミット Vol.1 開始

 店主さんもベジ君も興味深げに一階のFさんのコレクションの棚をしばらく
物色して二階に上がり皆で乾杯する。今回の参加メンバー全員が揃う。
第一回豊橋映画サミット開始。

[1] 「燃えよNINJA」
監督:メナハム・ゴーラン   
脚本:メナハム・ゴーラン,ディック・デズモンド,ジェド・ベルナルド   
撮影:デヴィッド・ガーフィンケル   
出演:フランコ・ネロ,スーザン・ジョージ,ショー・コスギ
(1981/アメリカ) [カラー 101分] [☆☆☆☆] 

 今回はショー・コスギ特集ということで自分はほとんどというか
事実上何も知らないのでFさんと店主さんに解説して頂きながら鑑賞。
尋常じゃなくどこにいても壮絶に目立ち正体バレバレのNINJAファッション
皆で終始突っ込みながらもアクションの高度さには関心しきり。作品は
日本では未公開であるがアメリカでは空前のNINJAブームを巻き起こした
模様。オープニングの映像としての総合的なデザインのカッコ良さとバランスの
高さと完成度は素晴らしいの一言。
 

[2] 「ニンジャ II・修羅ノ章」
監督:サム・ファーステンバーグ   
脚本:ジェームズ・R・シルク   
撮影:デヴィッド・ガーフィンケル       
出演:ショー・コスギ,キース・ヴィタリ,アシュレイ・フェラーレ
(1983/アメリカ) [カラー 88分] [☆☆☆☆+] 

 アクションの"キレ"とカメラワークの安定感はNINJA映画として
何をどう撮るべきかということが見えてきたかのように思われ、前作の
記念すべきファースト作品ゆえの暗中模索のような初々しさとの対比が
楽しい。ショー・コスギの息子ケイン・コスギが制作当時9才ながら基本の
しっかり出来たアクションを全編に渡り披露且つ大活躍をしてくれて
キッズ・アクションとしては技のレベルと、カット割りで誤魔化さずにきちんと
連続したシーンとして撮っている点で最高峰ではないかという一同の意見の
一致を見る。個人的には、ショー・コスギとケイン・コスギの親子愛、
ケイン・コスギと格闘シーンを演じる女性(アシュレイ・フェラーレ?)の物語上
では見えない母性愛が演出ではなく隠し味的に作品の質の向上に貢献して
深みを与えていると思われた。一作目で監督だったメナハム・ゴーランが
本作では制作に回っているがそれが吉と出だのだろうか?
 

 映画を鑑賞しつつ皆で映画に突っ込みを入れつつ、飲み食いしつつ
しているとあっという間に夜更けから夜明け近い時間に。

 Fさんはほど近い自宅に帰宅し、残されたメンバーは雑魚寝。
全員、事前に連絡し合った通り寝袋持参で全員ライダーであり、
旅慣れもしているせいもあってかさっさと寝床を作って就寝。
Fさんの計らいでホットカーペットを用意してくださったが床の
スペースは二人分なので店主さん、ベジ君に比べ圧倒的に
皮下脂肪の多い自分
はソファで寝ることに自動的に決定。

 寝袋に入って寝るのは何年振りかで、長らくしまってあった
バイク・ツーリング用のものを数日前に引っ張り出してきたが
まだまだ使えそうでちょっと嬉しい。

 五時頃、就寝。台風が来たかのように風が強く吹きつけている。
空はすでに明るくなり始めていた。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

To be continued ===>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

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2014年12月27日 (土)

旅2014 「東京~大阪~京都(六)」

旅2014 「東京~大阪~京都(六)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。

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8月24日(日) 曇り/雨  第8日目 京都(四)
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9:00  ホテルCO。

・ホテルをチェック・アウトして、荷物だけ預ける。借りていた
自転車を返しに某所へと向かう。自転車を返却してしまうと

翼を奪われた鳥

にでもなったような哀しい気持ちに。  

 

12:00  京都某所にて

・同郷の友人Oと会食す。予約してあった店の準備がいましばらく
かかるとのことなので、適当に周囲を散策する。たまたま、Oの
昔の職場が近かったことから歩きながら話を聞く。会社の同僚達と
飲みに来ては騒いでいた店がココだとか、祇園の時には一帯が
いかに混雑するかと等々。

・予約した店は全国的にすっかり定着した感じの古い建物の構造を
丸ごとそっくりそのまま活かしたレストラン。広い入り口から入り、
純和風の狭い廊下をキシキシと通って部屋へ。

・食事を摂りつつ、昔話に興じる。やがて、雨が激しく降り出し、しばし
庭を見つめ、雨の音を聴く。庭は部屋の座席に座ったまま眺めて
楽しむことができる様に手入れと、部屋の間取りの空間的な演出が
配慮されているようだった。たまたま、同じ学び舎に集い、別れ、やがて
それぞれのルートを経て、再会する。Webのようにどこか幾何学的でもある
「人生という名の迷路」の不思議さをふと思う。

・カフェに移り、話題はそれぞれの職場の事になる。部下や若い社員に
どう接するべきかについて等々。自分には部下なぞはいないのだが、、
写メを取り、来れなかったもう一人の友人に送って別れた。
また、今度!(^o^)/

  

17:00  万物創造房にて

・万物創造房に"帰還"し、店主さんと、MNMさんと、映画を
眺めつつ世間話。時間は、瞬く間に流れていく。

さて、ファイナル・イベントの『買い物』をしなくては。

店内を物色していると、N子さんも房に帰還する。っつか
見送りに来て下さる。ありがとうございますm(_ _)m

今回は、陶器と、CDと、食玩なぞを所望。

陶器は、長らく信楽焼のようなゴツゴツした感じが好きで
あったが、昨今では表面がツルっとした器にも興味が出て
きたので、今回は京焼の湯呑みを一つ購入。

CDについては、研鑽を積んでいないので店主さんにお任せ。

「もっと、"暗い"感じなヤツを!」(゚д゚;)

「もっと、"意味不な"感じのヤツを!!」(゚д゚;;)

と好き勝手にオーダーをするも、店主さんは快くかけて下さる。
ありがとうございますm(_ _)m

結局、イギー・ポップとCOCCOのCDを買うことに落ち着く。

食玩は、いつもの"AKIRA"シリーズを購入。
ここで買ったコレクションはだいぶ充実してきた。

そして、MNMさん一押しのよくわからないマスコット人形も購入。。
さらに、、ドラえもんの縫いぐるみなども強烈に勧められるが

自分のイメージとそぐわないので却下。。

したが、帰京後に買っておけば良かったとやや後悔(ーー;)。。

 

時間が、来ました。

私は、"月"に帰らなくてはいけません。。

いえ、、"砂漠"に帰らなくてはいけません。

「東京」という名の砂漠に。ジャングルに。戦場に。
第二の故郷に。そして、ほんの時々、稀に、"オアシス"に。

サミットの皆さん、ありがとうございました。

MNMさん、N子さん、雨の中を見送り頂き、ありがとうございます。
二人が"姉妹"であることは、知る人ぞ知るところである。。

店主さん、ありがとうございます。
次回はもっと買い物します( ̄ー+ ̄)
人生がサクセスしたら、房ごと買います!(←大迷惑ですから)

皆さん、またお会いしましょーヽ(´ー`)ノ  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 髪がなくて今度は
 腕を切ってみた
 切れるだけ切った
 温かさを感じた
 血にまみれた腕で
 踊っていたんだ

 あなたがもういなくて
 そこには何もなくて
 太陽 眩しかった

 それは とても晴れた日で  
 泣くことさえできなくて、あまりにも、
 大地は果てしなく
 すべては美しく
 白い服で遠くから
 行列に並べずに少し歌ってた 

 今日みたく雨なら きっと泣けていた

 それは とても晴れた日で 
 未来なんて いらないと思ってた 
 私は無力で
 言葉を選べずに 
 帰り道のにおいだけ
 優しかった
 生きていける
 そんな気がしていた 
 教室で誰かが笑ってた

 それは とても晴れた日で 

 (「Raining」  作詞・作曲: こっこ) 

 
 
 
  
 

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2014年12月20日 (土)

旅2014 「東京~大阪~京都(五)」

旅2014 「東京~大阪~京都(五)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。

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8月23日(土) 曇り/雨  第7日目 京都(三)
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17:00  万物創造房にて

「スローターハウス5」
(1972/アメリカ)[カラー 104分] [☆☆☆☆]

・カート・ヴォネガット(1922-2007)の同名小説の映画化作品。
原作は、所謂「ドレスデン爆撃」を世に告発するために描かれた
自伝的な趣とジャーナリスティックな要素も含めた作品。監督は
「明日に向かって撃て!」(1969)や傑作「スティング」(1973)の
ジョージ・ロイ・ヒルグレン・グールド(1932-1982)が音楽を担当
しているのも特筆に値するだろう。ヴォネガットは、第二次大戦を従軍
して戦っていたが1945年当時、捕虜としてドイツのドレスデンに収容
されていて、連合国によって行われた無差別爆撃に遭遇した。今では
広く知られている歴史的な事件は、この小説がきっかけとなって、
広く認知されるようになったとか。

・主人公ビリー・ビルグリムは、ふとしたことから、時間と空間を自由に
移動できるようになるが、運命自体は変えることは出来ないという設定の
SF作品であるが、映画の方は、やむを得ないことであるが、戦争や
無差別爆撃といった「大量殺戮」「人の死」といった大テーマ的な
面よりも、時間と空間だけでなく惑星間をも移動できる主人公の方に
フォーカスがいってしまうバイアスの強さを興味深く鑑賞。ヴォネガットは、
「小説よりもよくできている。」と賞賛したらしい。いい人だ。

・外では雨が降り続いている。

「"京都"と"雨"は、どうして相性がいいのだろう。」

映画を観ながら、勝手にそんなことを考えてみる。

なぜ、京都には雨が似合うのか。それは、言うまでもなく、
余計な埃や塵を洗い流して、木々と、河と、建物と、膨大な
時間を積んできた人々の日々の暮らしの『調和の美』
鮮やかに本来の色を見せてくれるからなのだろう。

やがて、雨は止んだ。

 

20:00  第44回京都映画サミット Vol.2

 

5] 「地獄曼荼羅アシュラ」
(1993/インド)[カラー 170分] [☆☆☆☆]

・「暴力」と「血」と「復讐」と「因果」を描いた一大娯楽作品。

インド映画の"専売特許"である随所に挿入される(であろう)歌と踊りが、
陰惨なストーリーと、どう調和するのかと皆で注目して観たが、何てことなく、
主人公の女性も、憎しみを一身に受ける仇役の男もストーリー展開とは
別個に、歌い、そして、踊る。そして、それが一向に不自然でも何でもない。
唐突ですらも無い。
日本での能や歌舞伎のようにお約束として
「最初から"そこ"に在る」
ことが想定されているからなのだろうか。映画は面白ければそれで
いいという正解を見せられたようで納得。幕を開けてから、オープニング
タイトルに至るまでの長さ(30分弱?)は映画鑑賞人生史上初の快挙

 

6] 「漂流教室」
(1987/日本) [カラー 104分] [☆☆☆☆☆]

kuroneko的トラウマ作品。今回のサミットの主要テーマとは全く関係
ないのだが、店主さんがVHSを所有しておられるとのことで無理くりに
エントリーして頂く。「諸事情」でDVD化はされていない。公開当時、
主人公と同世代(=ガキ)だったのと、"大林マジック"に脳をやられて
変な共感を強くもった作品。テーマソング「野生の風」を歌う今井美樹の
声の美しさと歌詞にもすっかり魅了されて、当時、毎日、口ずさんで
いた。楳図かずおの原作の漫画から大きく逸脱している点は否めないが、
完結している「映画作品」としては意外と今観ても評価できる。潤色で
参加している石上三登志の功績が大きいのではと予想。全体として
アイロニー色の強い(いつもだけど)久石譲の音楽も映像ととてもよく
調和している。DVDが出たら是非「思い出買い」をしたい。心情的には、
劇中の少年少女達と同じか、あるいは、それ以上に、
空ろに、しく、漂流し、難破し、遭難していた青春の日々。

   

7] 「ラスト・ハウス・オン・ザ・レフト -鮮血の美学-」
(2009/アメリカ)[カラー 100分] [☆☆☆☆]

・凶行に至るまでの奇妙なまでの"モッサリ"した展開の間の謎に新鮮な
印象を受ける。この謎は次のサミット上映作品で明らかになるわけだが。
主演のサラ・パクストンがやたらと美しく撮れている。彼女は劇中で
「とてつもなく酷い仕打ち」を受ける
のだけど、映像としての核心シーンは
皆無。これはサラ・パクストンが際物女優の扱いを絶対に受けないよう
契約的に守られている感じがして細心の注意を払って撮影されている
からではと思うがどうだろう。ラストは、HGLの秀作「2000人の狂人」(1964)
のリメイクである「2001人の狂宴」(2005)がテンポとしてのテイストが
酷く似ているのだけどその理由は、製作当事のトレンド(ニーズ)なのか
何なのかよく分からない。このよく分からない"乗り"に監督のデニス・
イリアディスが今後突き抜けては出てきそうもない予感
が作品から
濃厚に感じてしまった。俳優のビル・パクストンはサラ・パクストンの
遠い親戚だとか。

 

8] 「鮮血の美学」
(1972/アメリカ)[カラー 91分] [☆☆☆☆☆]

・ 「ラスト・ハウス・オン・ザ・レフト」の元作品がこちら。
「エルム街の悪夢」(1984)のウェス・クレイヴンの初監督作品とのこと。
この作品は映画史に輝く傑作イングマール・ベルイマンの「処女の泉」(1960)
触発された作品。「ラスト~」の中盤までを貫く余りにも"意味不な"間は
この作品の"間"を忠実に再現しようとした「ラスト~」のスタッフのオリジナル
作品へのリスペクトと努力の結晶である。。
と思うことにしたい。こちらの劇中
での、暴行中に女性を絶妙に中途半端に逃がしたり、中途半端に仲間割れしたり
するシーンは、単にまだ30代前半の若きクレイヴンの"初陣"であることと、
恐らく超低予算(=少人数)で撮っていることによる演出の甘さによるものと
思えるが、そういった作品には時折、"映画の神様"が気まぐれに光臨して奇跡を
起こされる。そして、この作品も"映画の神様"が降りてきて、奇妙な間の
ユルユル暴行シーンは一瞬も目が離せない傑作シーン?となっている。

構図も間も神が降りた中途半端さの中で一瞬にして起こるスプラッタ・シーン
久しぶりに戦慄を覚え、勉強になる。娘を失った父親の安心して観ていられる
"逞しい復讐シーン"にチャールズ・ブロンソン(1921-2003)の系譜を見て少し
萌える。こちらの作品も原題名は"The Last House on the Left"であるが、
「鮮血の美学」という邦題は、直訳に陥ることなく、内容を要約し、且つ、掴んでいて、
なかなかよろしいのではないかと思う。
 
・ところで、ウィキペディアによるとチャールズ・ブロンソンは
B-29の射撃手として東京大空襲に参加したとある。。

 

9] 「暴行列車」
(1975/イタリア)[カラー 87分] [☆☆☆☆]

・比較して観ることの出来る上記リベンジ物二作品よりは相対的に一番
「映画」としての箱は出来てるかもしれない。暴行シーンそのものよりも
黒幕の女の"ドス黒さ"に全編染まっていて後味の悪さもGoodな作品(*^ー゚)b。
三作を通して見ると、"弱い者には徹底して強いチキン野郎達"には
外見も含めた国籍を超えた共通の認識コードがしっかりとある模様
人生の参考になったような気がする。今後の海外旅行の際のトラブル回避にも
役立つことだろう。下手なプロパー色の強いキモくて悪質なLove&Peaceを
前面に出した作品よりもこういった人間の行動様式の根底にある"暴力"を
描いた作品を見た方がいいことも分かった。
ラストの問題が結局未解決の
ままの投げっぱなしな感じが好き。監督アルド・ラドのフィルモ・グラフィーにある
「ヒューマノイド/宇宙帝国の陰謀」(1979)
がどんな作品なのかとても気になる。とても観てぇ。

   

2:00  丑三時のゲームサミット開始

・本日も後片付け(というほどでもないが)をしつつ、店主さんと反省会且つ
世間話。

「毎日、こうしていてぇ。」(←迷惑ですから)
と思いつつグラスや菓子を片す。

店主さんより、ゲームをしないかと提案があり、即決で応じる。

何やら、シューティング・ゲームらすぃ。
何やら、ゾンビを撃ちまくるらすぃ。。
何やら、ゲーム愛があって映画も好きなスタッフが作ったらすぃ。。。

しかして、 
ゲーム・コントローラー

なる物を触るのは多分10数年ぶりで、最初の数面は全く戦力に
ならないどころか常に"相棒"の店主さんを撃ちかねない(ワザとか?)状況に
店主さんに呆れられつつ、コンテニュー・モードをひたすら重ねつつ、
店主さんのアドバイスとフォローを適時受けつつ(←足でまとい)どうにか
こうにかクリアーしていく。

・店主さんによるとこの作品にはコアなファンがいて、二人モードにしておいて
両手にGUN(コントローラー)を持って二刀流で減点無しのパーフェクト・クリアー
を目指す猛者がいるとのことらしいが、確かに同じようなプロットの面が続く
ように見えて、モンスター達の造詣や動き、物語の構造には無数の設定が
細かくしてあって飽きることはなさそうだ。自分も所有していたらきっと
夜な夜な独りで二刀流でのクリアーに黙々と挑戦することだろう。

・モンスターや各シュチュエーションの元ネタになっていそうな映画の話を
しつつ数時間の格闘の末、感動的で謎なエンディングに辿り着いた。
ラスボスの奇形さやラストの不条理な感じ(意図的な演出らしい)は無常観が
あって、ラストを味わいたいためにまたトライしてみたいと思わせる癖になる
要素がある"作品"だ。

 

5:00  全日程終了。

・房を出ると、空は白々と明るくなり始めていた。京で過ごす最後の一日が
明けた。店主さん、明け方までありがとうございました!
皆さん、お疲れ様でした~。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年11月 9日 (日)

旅2014 「東京~大阪~京都(四)」

旅2014 「東京~大阪~京都(四)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。

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8月22日(金) 晴れ  第6日目 京都(二)
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11:00  起床。

・午後に観る予定の映画が、何となく、混雑する予感がして、
店主さんに集合時間を少し早めにしないかとの打診をする。

 

13:00 京都文化博物館にて。

・早めに到着。開場までの間、ロビーに飾ってあるスチール
写真の俳優や監督について店主さんと雑談する。予想通り、
早々と混雑してくる。往年の大女優や巨匠監督の諸作品に
ついて思いつくままに話しをしていると、周囲のおじ様おば様が
次第に会話に加わってきて、なかなか楽しい雰囲気に。やがて、
話題はなぜか拉致問題や近隣某国の傍若無人振りに移って、
一気に政治色を帯びてくる。若かりし頃であれば、煽った挙句に
アジ演説の一つでもぶっていることであろうが、おじ様の某国
批判のヒートアップ振りに内心同意しつつ、店主さんと苦笑し
つつ、政治と映画のごった煮談議を楽しんでいるうちに開場。
結局、上映開始直前にはほぼ満席となった。

・成瀬巳喜男監督作品「晩菊」 [モノクロ 101分] (1954)を鑑賞する。
邦画史に一時代を築いた大女優杉村春子の主演作。戦後まもない
せち辛い社会を守銭奴の批判をもろともせず、単身で逞しく
生きるオールドミスの下に元恋人が訪ねてくる。。

作品自体は期待通りの面白さであったが、中盤から前方の
客席で男女の口論が小さく始まり、断続的に続く。嫌な予感。
案の定、作中のハイライト・シーンで、且つ楽しみにしていた
元恋人(上原謙)との久しぶりの対面に、はしゃぐ春子女史の
熱演シーンでコンマゼロ秒もずれずに、ジャスト 0.000秒で
激しい口論が始まってしまう。

。。。マジすか(ーー;;) 
。。。君たち、なぜそのタイミングで始めるかね。

夏の日の思ひ出が、またひとつ出来た。(≧ε≦)ノノ

街の中心にある冷房のよく効いた映画館に集ってほぼ無料で
名作を皆で楽しんだ後に、それぞれ買い物したり、お茶したり
して消費活動を楽しむというサイクルは"有り"だと思う。上映
そのもののコストが入館料金で足りない分は、恩恵を受けるで
あろう近くのスーパーなり、デバートなり、自治体なりが少しずつ
薄く広く負担すればタダみたいなものだろう。それで、『映画』という
文化が守れて、経済(経世済民)が円滑に回って、古今東西の
名作・迷作を楽しめて、そこから、次の文化の担い手、作り手、
守り手が生まれてくれれば安いじゃありませんか。諸君!!

と思いつつ鑑賞。

 

19:00  第44回京都映画サミット Vol.1

・MNMさん特製グリーンカレーを食しつつ、メンバーが集まる
のを待つ。昨晩の店主さん特製タイカレーもまだ残っていて
こちらは一晩経ってよりマイルドな味わいに。店主さんとMNMさん
が、各自の"作品"の優位を互いに一歩も譲らずに、頂上決戦を
繰り広げる中で、交互に食べ比べては悦に入る。カレー好き
として嬉し過ぎる晩餐。

両方とも大変美味しゅうございました(^o^;)/

・Fさん、235さん、ベジ君といった懐かしい面々と再会。Fさんは
お変わりなく。235さんは前よりも痩せた感じがしたが、後で聞くと
そんなこともないとのこと。ベジ君は前回は「就職刑」前夜でまだ
学生風を残していたが社会人となって精悍さを増した感じか。
昨夜に続き参加のN子さん、留学生コンビのEちゃんAちゃんも揃う。
参加予定メンバーが全員揃ったところで、皆で乾杯してサミット開始。

・Fさんのブログに少し前に載せてあった作者不詳の作品の作者が
スイスの画家アルノルト・ベックリン(1827-1901)で、渦中の作品は
「死の島」と呼ばれる連作の一つであることをFさんに話すと、意外
にもまだ未解決であったようで謎が解けて喜んで頂く。Fさんは
アイフォーンを取り出すと、ベックリンの作品を次々に検索しては
画像を取り込み、ものの数分でまとめ画像をブログにアップして
しまう。スマフォ・パワーを目の当たりにする。

・ここ一年ほど考えていた万物創造房発のプロジェクト案を幾つか
メンバーの皆さんにプレゼンしてみる。概ね好評なリアクションを
頂く。いましばらく熟考・熟成が必要な物と、すぐに始動していける
物と仕分け完了。

 

[1] 「死体解剖医ヤーノシュ エデンへの道」
(1995/ドイツ) [カラー 86分] [☆☆☆☆]

・kuronekoセレクトDVD。導入部が長すぎて「すわ、モンドか??」
嫌な予感がしたが、中盤以降、期待した解剖シーンががっつりと
あって面目を果たす。臓腑を出したり入れたりをやたらと繰り返す
のがなぜなのか謎だが、自分としては純粋に撮影の為の動作で
あると解釈。
1996年モントリオール国際映画祭ベストドキュメンタリー賞
1996年ロッテルダム映画祭観客投票ベストドキュメンタリー作品
などを受賞しているが、監督・脚本・編集まで一人でこなしている
のがかえって『死体・死』という壮大で深淵なテーマに向かうには
掘り下げのマン・パワーがやや不足していたか。惜しい感じ。

 

[2] 「ホワイト・バッヂ大殺戮外人部隊」
(1992/韓国) [カラー] [☆☆☆+]

・本物の銃器を使っているというのが大きな売りの一つ。
そのせいか戦闘シーンには演出以上の緊張感が感じられる。
"音"に注目して観ていたが、多分こだわっていて、聞き覚えの
あるよくある重低音ではなく空気を裂くような高音域の音になって
いる気がした。といっても、映画というのは音は後で加工するもの
だし、韓国映画では本物の銃器を使うのは珍しくないらしいので
余り過度に注目してもせんない。それよりも重要なのは、ベトナム人
虐殺のシーンでの"耳"を削ぐシーンかと思う。豊臣秀吉による朝鮮
侵略の逸話として語られ続ける"耳塚"があるが、昔は"鼻塚"と呼ば
れていたという説がある。敵を討ち取った証拠を持ち帰るのに首では
大変であるので鼻または耳を持ち帰ったとのこと。耳も持ち帰ったで
あろうが、"首"の代替品であれば、"鼻"がメインで妥当であろう。
歴史を謙虚に学んで、未来へ活かしていくならば、結果としての行為が
「何を意図していたのか」の研究・史跡の発見・文献の解釈のブラッシュ
アップを続け、ニュアンスもきちんとセットで伝えていかなくては『嘘』
であろう。過去に残酷な時代や事象があったのではなく、曲解・捏造が
横行する現代がより残酷でより危険であること「知る」べきだ。

  

3] 「小さな唇」
(1978/イタリア・スペイン)[カラー 86分] ☆☆☆☆]

・戦争で心に傷を負った男が少女に過剰な思いを寄せ、その思いを
行動にも移すお話し。少女に「女」を見るという行為(≒ロリコン)が
いかにご法度であるかとうバイアスが、製作体制も含めた全体にも
非常に強くかかっていて(←当たり前)、少女のキャスティングや物語の
運び具合にまで(過激な行為やシーンは実は夢または妄想でしたという
念押し)周到に及んでいること自体、また「少女愛」というものについて
お国柄・文化の違い・許容性の違いまで興味深く拝見。少女は果たして
本当に少女であるのか?というのがサミットでの主要議論となる。
主人公の男の醸し出す雰囲気・オーラが学生時代に親しかったロリを
自認する某氏に良く似ているので
「"その辺"については国境・民族を超えるのだろうか?( ̄- ̄;)」
と考えてみたりしながら鑑賞。

   

4] 「ヴィクセン」
(1968/アメリカ)[カラー 71分] [☆☆☆☆]

・ラスメイヤー(1922-2004)が一番"乗っていた"時代の作品の一つか。
男はひたすら女を求め、またはひたすら互いに殺しあうという潔い
内容のお話し。しかし、トポロジー的に捉えてしまえば、"男"というか
雄(♂)には残念ながら、"それ"しかやることがない。ひたすら
欲望を満たすか、欲望を満たす障害を排除する(=縄張り争い=殺し合い)
準行為をするかである。国という民族単位でそれらの縄張り・ロジックが
固定された時、人類に史上初めてそういった原始的行為・蛮行に
大ブレーキがかかり『平和』がやってきたということが、とても良く
理解できる壮大な作品。(←本当か?)

それにしても、「勢いで撮っている」ことを作り手も自覚している作品を
観るにつけ、自分も撮りたくなる。あるいは、ほんの少しばかり撮って
いた青春の一ページがほのぼのしみじみと開口健風に言うと
「温かい湯に浸かっているように」蘇る。

  

2:00  全日程終了。

・後片付け(というほどでもないが)をしつつ、店主さんと反省会且つ
世間話。サミット非常勤講師の栗塚さんは元気かとか(←気安いぞ)、
同じくサミットメンバーの(←違いますから)ボウケンレッドさんが活躍
を続けているようで良かったね等々の話しをて無事終了。
皆さん、お疲れ様でした!

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年11月 2日 (日)

旅2014 「東京~大阪~京都(三)」

旅2014 「東京~大阪~京都(三)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。
愛車の某ビッグバイク(HONDA 1500CC)"黒王"は、
今回はお留守番。。

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8月21日(木) 晴れ  第5日目 大阪→京都--------------------------------------------------

7:00  起床、朝食。

・出立の朝なので、いつもより早くホテルのバイキングへ向かう。
このホテルでは、最後の食事だ。

パスタとスクランブルエッグと生ハムと
ソーセージと味噌汁とオレンジジュース。

しまった。当初の計画では大阪滞在最終日の今日は、朝早くに
起きて早朝の大阪の街を眺めて楽しむはずだったと思いつつ、
連日炎天下の中を歩き回って疲れている自分がそんな早く
起きれたはずもをなかったので「これでいいのだ」と考え直す。

しまった。あんまりのんびり食べていると、京都での10時の待ち
合わせに遅れる。と思いつつ。「どう考えても間に合うだろう」
やはり考え直す。

 

7:30  ホテル CO。

・四日間お世話になったが、特に問題もなく、バイキングも美味しく
不満なし。また来ます。

 

8:00 新大阪駅着。

・大阪から京都に行く手段は電車だけでも何通りかあることを
今更ながらに知る。ローカル線で各駅停車でじっくり・ゆっくり
一日くらいかけて向かってみたかったが、後の祭り。次回の
お楽しみということにして、せめて、旅行気分を少しでも味わ
おうとJRの各駅停車で向かうことに決定。それでも45分程度で
着く模様。

・車窓から風景を眺めていると、日曜日に会食する約束の友人が
一人来れないとの連絡が入る。残念。また今度!

 

8:45 京都駅着。

・京都にはもう何度か定期的に来ているので、京都駅に降り立つと
「帰ってきた」感あり、和む。

・地下鉄に乗って烏丸(からすま)に向かう。数年前には、右も左も
判らず近くにいた女性に目的地を告げると
「御池(おいけ)で降りてください」という関西の独特のイントネーションで
教えてもらったことをしみじみと思い出しつつホテルに向かう。

 

9:00 ホテル着。

・チェックインはまだ出来ないので荷物だけ預ける。こちらも何度も
利用しているホテルなので完全に「ホーム」。何となく、従業員の
方にも顔を覚えてもらっている感じ。

・ホテルを出ていつもの旅館に自転車を借りるために向かう。
商店街の裏通りにあり、周囲は特に目立った特長もない民家しか
なく、しかも碁盤の目の街なので来る度に場所を忘れている。大体
この辺だったろうという辺りまで来て、前から歩いてきた老夫婦に
尋ねてみる。

「すぐそこですよ」(^-^)
とお婆さんに快く教えて頂く。

「何となく、覚えているかなあ」
と思い出しつつ歩いていると、

「違~~う!!」(゚д゚;)

という大声が突然背後から聞こえる。
振り返ると、さっきのお婆さんが猛ダッシュでこちらに走ってくる。
通りを見回して、すでに目的の家を通過していたことに気づく。
事情をすぐに理解して、お婆さんに「わかった」というゼスチャーと
会釈をするとダッシュを止めて満面の笑顔でご主人と一緒に一礼
されて角を曲がっていかれた。

お婆さん(多分70歳超え)、貴方の老いた体を目いっぱいに使った
"美し過ぎる猛ダッシュ"しかと見届けましたよ(^-^)

・京都滞在中の全期間内を借りて、自転車を漕ぎ出したその瞬間、
自分はこの街で『自由』になる。テンションが上がる。

・待ち合わせにはまだ時間があるので、しばしチャリで疾走。
気分最高。カフェを見つけたので入ってみる。

・カフェのマスターは"街"がとても好きなのだそうで、以前は渋谷で
働いていたが、京都で働きたくなってこちらに来て10数年経つとのこと。
コーヒーとホイップクリームが乗ったゼリーを朝食代わりに食す。
友人に旅の経過をメールで打ちつつ、窓から覗く青い空をしばらく
ぼんやりと眺める。

 

10:00 万物創造房着。

・約一年半ぶりで店主さんと再会。特にお変わりなく。ブログを介して
年中コメントしあっているせいか久しぶりな感じが"しない"でもない。

・早速、本日のイベントのための「浴衣」をゲットするべく探索を開始。

・一軒目。浴衣の柄が豊富に揃っていて、女主人と店主さんと三人で
物色。自分の柄の希望はただひとつ。「ひたすら地味に」
と言いつつ、風神・雷神がプリントしてある柄が気に入ってしまい
何度も繰り返し見ていると「ちっとも地味じゃないじゃないすか」
店主さんにツッコまれ、二人の爆笑を取る。柄に関係なく浴衣と帯と
下駄との3セットで7000円弱。バラ売りはしない雰囲気。とりあえず
次のお店にGO!

・二軒目は、雑貨をメインに扱っているお店。浴衣単体で売っていて
2500円程度と安くなった感じであるが、物自体が数種類しか置いてなく、
デザインもイマイチ面白みがない。帯と下駄の分の値段を考慮すると
一軒目がそれほど高すぎるわけではないことも判った。

・三軒目は、卸業者の建物に"バーゲン"の張り紙があるのを店主さんが
見つけて入ってみる。「男物の浴衣を売ってくれないか」とのこちらの
申し出に「この中からなら、いいよ」ということで10着ほど見せてくれる。
一着だけまあまあの渋い柄があり、値段を聞くとしばしの沈黙の後、
「千円でOK」
とのこと。店主さんと顔を見合わせ、本日の最安値が出たことを二人とも
確信する。内心、大喜びするが平静を装って購入。お店の人としばらく
世間話に興じる。 

「京都の"バリヤー"が年々弱まっているのを感じますな」

とお店の人がしみじみと言った。

東京は、貪欲なまでに何でも受け入れることで発展してきた街で
あるが、京都は、フィルターを何重にもかけて主体を持って雑菌を
排除してきたことで成立してきた街ではなかろか。それが、ここ
十数年の超資本主義とアジアマネーの洪水に晒されてある種の
危機に瀕している。バリヤー(=結界)が弱まり、破られつつある
というのはそういうことではないか。。

男型の街から女型の街への移行(=東京化)、それは、果たして
「京都」と呼べるのだろうか?京都はかつてない試練の時代を
向かえているのかもしれない。

・四軒目は、女物も含めて手広く扱っている感じの広い店。帯だけを
サクッと買う。下駄は店主さんが貸して下さるとのこと。
有難うございますm(_ _)m
合計三千円で「浴衣を(出来るだけ)安く購入しようミッション」は
無事に完了。

・お昼時にはまだ早いということで、チャリで適当に街を走る。
店内のレイアウトが凝っていて、屋上で畑を作って野菜を育てている
というスーパーに立ち寄ってみたり。Fさんとたまに来るとのこと。

・万物創造房の前のレンタル店に自分はまだ入ったことがないので
行ってみようということになる。VHSもまだまだ現役で棚に並んでいて
ジャンルを問わずポップも沢山張って精力的に展開している店内を
眺めて大変和む。

・目についた作品や新作映画の話、ハリウッド版リメイク二回目の
「ゴジラ」(2013)は反日過ぎて、ヤバイっすよとか話しているうちに、
MNMさんから連絡が入り、昼食を一緒に摂ることに。

・ほどなく、MNMさん到着。お元気そうで何より。近くにあるらしい
パスタ屋さんに向かう。 

 

12:00 昼食。

・オーダーを済ませると「ホドロフスキーのDUNE」(2013)の話しに。
東京では初夏に上映済みだが、こちらではこれからだということで
二人に強く推奨する。

・サミットで行われた「悪魔の毒々モンスター大会」の話しから、
一連の毒々シリーズの製作会社であるトロマ社に話題が移る。
MNMさんがトロマ社に就職してみたいと言い出し、社員の待遇に
ついて三人で意見が割れる。店主さんとMNMさんは、それほど
儲かっていない会社であろうことから、給料は悪いだろうという
意見で、自分は"ああいうしょーもない映画"ばかり作る会社の
社長は逆に人格者であるパターンもあるのではなかろかと考え、
社員に対しては案外、高待遇であろうと予想。

MNMさん、トロマ社に就職できたら、待遇について教えてください。

・午後は何をしているのかと二人に聞かれ、特に明確には予定を
決めていないと言うと、MNMさんから京都文化博物館で成瀬巳喜男の
特集上映がやっているから観たらどうかと提案を頂く。上映予定の
チラシを見るとまだ見ていない作品が幾つかラインナップされて
いるのでそうすることに決定。夕方に店主さんのお店で集合する
ことにして、とりあえずの散会。 

 

14:00 京都文化博物館。

・成瀬巳喜男監督作品「あにいもうと」 (1953)を鑑賞する。映画館は
夏休み中ということで無料開放しているらしい。成瀬の諸作品と同様に
登場人物達の呼吸の"リアルな間"をとても大事にして作られている。
森雅之が兄役で、京マチ子が妹役。森雅之は無責任に妹を孕ませた
学生に真っ直ぐな怒りをぶつけ、妹には敢えて辛くあたる不器用な
兄を好演している。京マチ子も若さゆえの脆さと芯の強さを持った
妹"もん"を手堅く演じている。自分がこれまで観た森雅之の役柄は
キザで余り好きではなかったがこの作品で高感度かなりアップ。
総じて良作。

 

19:00 万物創造房。

・参加メンバーが揃うまで店主さん特製タイカレー(美味し!)を食し
つつ雑談。そのうちにN子さん、Eちゃんが来て本日の参加メンバー
が揃う。N子さんとも久しぶりであったがお変わりなく。留学生Eちゃん
とは初対面。日本の古い建築について勉強中だとか。Eちゃんは
本日のメンバーでは最年少での参加。

・ほどなくMNMさんも見送りにと顔を出す。「あにいもうと」は夕方の
回を見たとのことで、森雅之演じる兄"伊之吉"の妹"もん"へ
寄せる想いが"キモイ"と仰るので、なぜ伊之吉が、もんちゃんへ
「キモイほどに辛く当るのか」
その理由についての見解を述べる。

・全員揃ったので上七軒にタクシーで向かう。

  

21:00 舞妓はんビアガーデン。

・混んでいるためか、入り口でしばらく待たされる。平日の真ん中を
敢えて狙って企画したにも関わらず待たされるほどの混雑は店主さん
には想定外だった模様。ほどなくして案内される。

・各自ビールやウーロン茶をオーダーしてとりあえず乾杯。"舞妓はん"は
主に庭の方で忙しく客の相手をしていて店内ではベテランの芸妓さん
達がお相手という感じなのか。我々の相手を最初にしてくださった
ベテラン芸妓さん「梅嘉」さんは目が大きくて姐御肌のある感じ。30歳
半ばくらいか?お酒がとても強そうで笑いかたが豪快で五所平之助の
傑作にして代表作「大阪の宿」(1954)で乙羽信子が演じる"うわばみ"
を思い起こさせた。

・当然ではあるが男性客が多く、一人での来店者もいる様子。彼等の
芸妓とのやり取り(ある種の駆け引き)は溝口健二の傑作「祇園囃子」(1953)
での"魂胆のある男たち"と芸妓の闘いを連想させ、「独特の空間」を
非常に上手く再現した作品であったことを再認識。

・30分ほどして店の外に場所を移動。今度は念願の"舞妓はん
「勝音」さんがお相手。19歳とのことで、学生兼業の「なんちゃって
舞妓はん」ではなく、ちゃんと?中卒からこの道一筋で精進している
とのこと。
「人間関係に悩んで辞めていく人が多い」
という生々しい話しを聞く。同期で残っているのは5,6人だとか。
そのせいか、可愛げの中に、すでに『芸の道』で数年を修行して
いる貫禄と意思の強さも垣間見えた。

今は、可愛く強かに。いずれは、優美に優雅に。
あくまでも自分らしく咲いていって欲しいものだ。
道のりは長く険しいだろうが、頑張れ、勝音。

 

22:30 舞妓はんビアガーデン終了。

・到着がやや遅かったこともあり、名残り惜しい感じであっという間に
閉店の時間に。でも、もう少し居たいくらいが調度いいのかも。

・タクシーを拾うために表通りに向けて四人でしばらく歩く。人気が
なく灯りも少ない時間帯となって、石畳の路地と古風な建物が浮かび
上がる。随分前に店主さんと約束した企画は無事に果たされた。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年10月 5日 (日)

旅2014 「東京~大阪~京都(二)」

旅2014 「東京~大阪~京都(二)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。
愛車の某ビッグバイク(HONDA 1500CC)"黒王"は、
今回はお留守番。。

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8月19日(火) 晴れ  第3日目 大阪(三)
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7:30  起床、朝食。

・ホテルのバイキングへ向かう。バイキングは、自分にとって
「アウェー」であるからして、入り口を通過しようとすると、
当然のように厨房から係の方が猛然と飛び出して来る。

「今日は何でしょ、、朝食券もちゃんと持ってますよ。。(ーー;)」

と思って構えると、券を手渡ししてほしかったらすい。
他の人は籠に入れて素通りなのに。
「アウェー」だから全く気にしない(←気にしてる)。

・バイキングも二日目にしてやや慣れる。

パスタとスクランブルエッグと生ハムと
揚げ物とサラダと味噌汁とオレンジジュース。

それにしても、バイキングをしている人々を見ていると
獲物に向かっていく"それ"は狩猟そのものであり、
人類の血塗られた歴史を思わずにはいられない(←大袈裟)。
それはそれとして、このホテルのバイキングは美味しくて
厨房の人々の動きもキビキビしていて満足。

8:45 外出

・堺筋線(さかいすじせん)に乗り、動物園前駅で降りる。
動物園前駅というだけあって、構内の通路は「檻」のような格子で
区切られていて、殺風景な通路を歩いていると、動物園の動物に
なった気分を堪能できる(*^ー゚)b

・阪堺上町線に乗り換える。大阪唯一の路面電車だとか。

 

10:00 松虫駅着。

・熊野街道を入ってすぐに安倍清明神社に着く。
晴天の下で紺の色の五芒星(ドーマンセーマン)の旗が鮮やかに
揺れている。安倍清明は10代半ばの頃にひどく嵌っていた荒俣宏の
伝奇小説「帝都物語」の最重要キーワードの一つで、感慨深く小さな
神社を見渡す。

・子供連れの家族が来て、少女が両親に勢いよく何かを喋っている。
その様子は、相米慎二監督の秀作「お引越し」(1993)で田畑智子
が演じるレンコに話す素振りがそっくりで「きっと京都生まれの子
なんだ」と変に関心。

・ほど近くの安倍王子神社にも立ち寄り、街道をゆっくりと歩く。
街道といってもきっちりとある意味味気なく舗装されているごくごく
普通の住宅街。90才も超えるかと思われるご老人が茫漠と佇んで
いる。会釈をすると、とても良い笑顔で会釈を返してくれた。何となく
ブレッソンの写真に映っている「その他大勢」の群衆の中の顔を
思い出す。この神社に来ることもこの街道を歩くことも、もしかしたら
もうないのかもしれない。この老人と会うことは当然であるが、
二度とない。

・北畠顕家(きたばたけ あきいえ)(1318-1338)の墓がある北畠公園を
通過し、静かな住宅街をひたすら歩き続ける。暑さと、晴れた空が
とてもここちいい。夏はこうでないといけない。

 

12:30 阿倍野神社着。

・閑静な住宅街の只中に在る阿倍野神社も北畠顕家を篤く奉って
いる神社で、北畠顕家、はこの周辺も含めた天王寺一帯で足利尊氏の
軍勢と激闘を繰り広げて享年20才で亡くなったらしいが幼少期から
聡明の誉れが高く容姿も良かったようで人望も人気も兼ね揃えた
人物だったようだ。

・当時の政(まつりごと)を厳しくそして誠意を持って批判し、且つ
具体策を献策した今に伝わる「顕家諫奏文」を読めば、人気だけで
なく"実力確かな人物"であったことが伺える。そして、諫奏文の
内容は人という生き物と世の中というものの基本フォーマットは、
数百年前も今も何一つ変わっていないことを教えてくれる。変わった
のはインフラだけであると言ってもいいだろう。

 

13:30 岸里玉出駅(きしのさとたまでえき)着。

・駅のすぐ近くでおばあちゃんの焼いてくれたタコ焼きを買う。
駅のホームで午後の風に吹かれながら食す。10個で200円と
リーズナブルでありながら、外はカリカリ、中はジューシーで蛸も
しっかり入っていて美味し。連日天気が良くて、雨男の自分は
それだけでテンション上がる。

 

14:00 住吉神社着。

・なかなか広いエリアに木造アーチ造りの橋有り、小川あり、
神社も幾つもあってちょっとしたテーマパークのような雰囲気。
来客の層も家族連れからアベックから旅人から色々だか、皆、
この神社を目指してわざわざ来たという印象を受ける。なんでも
本殿の"住吉造"というのは神社建築史上最古の造りということで
国宝に指定されているらしい。平日の昼下がりということもあって
貸しきり状態でじっくり鑑賞。確かに屋根の構造は現代建築とも、
よく見るいわゆる神社のそれとは余りにも違い、大事に保存と
メンテナンスをして残していくしかないように思える。

・時折り、どう見ても堅気ではないスーツ姿の兄さん達が来て、賽銭を
して丁寧に頭を下げていく姿が。Tシャツ,半ズボンでも充分にクソ暑い
中をスーツとネクタイという姿は、"そこだけについて"は単純に関心。

・周囲を散策後、南海線沿いに商店街を少し歩いてみる。イカス
雰囲気の雑貨屋さんを見つけて許可をもらって写真を撮っていると、
この光景を寸分違わず見た記憶が湧き起こる。かなり久しぶりの
デジャヴで仕事に追い立てられてきた日々から急に解放されたから
だろうと自己分析する。

 

16:00 なんば駅着。

・駅構内のカフェでまったり。店員の対応の良さとテキパキとした
動きを見て癒される。

 

16:30 道頓堀着。

・昔からテレビで見て知っていた現場に到着。東京でも全国どこでも
そういうものであるけどもあるが特定のエリア(野球やサッカーの勝利に
酔って人々がダイビングをする例の場所)以外は基本的に閑散としている。
平日だからかもしれないが。

・この周辺一帯も既に『開発』という言葉に激しくしかも何度も洗われて
しまった後らしく、集客を最優先にしてただそれだけを目的としたコン
テンツを売り物にする店ばかりが延々と続き、しかもその多くは皮算用
通りには行っていない印象を強く受けた。来るのが遅すぎた感は否め
ない。でも、今日という日に来れたから良しとする。

・お嬢さん二人組に写真を撮って欲しいと頼まれ、快く応じる。ところが、
渡されたのはカメラではなくスマフォで操作が判らず往生する。
「いいですかー。ハイ、チーズ(^-^;)」
とシャッターボタンに該当する所を押そうとしたところデリケート過ぎて
触るだけで何回も撮られてしまい大変焦る。幸いにして及第点の
写真があったらしい。。頼りにならずスンマセン。

・物凄い人だかりと女子の群れの黄色い歓声が急速に近づいて来る。
何だろうと思うと某中堅お笑いコンビの一人とその取り巻きだった。
芸人でありながら一応イケメンというカテゴリの走りの一人であるが
ほんの数メートル隣で何十人(の女子)にキャーキャー言われながら
歩く男を見ながら並行して歩くというのもなかなか面白い。テレビの
影響力の大きさというものを思い知る。

 

17:00 大阪城着。

・夕焼けに映える大阪城を見たかったので調度良い時刻に到着。
まずは堀と石垣の"構造的な美しさ"に魅了される。民を統べ、
全国の武将達に、軍事力と、経済力を見せつけ圧倒することをも
計算に十分に入れたされた美しさだったのではなかろうかと推測。
しばし、見入る。

・大阪歴史博物館から見えた大阪城は、背後を完全に高層ビルに
抑えられてしまって、寂しさと憤りを激しく覚えたが近くに来てみると、
ビル郡とは距離があって安心する。大阪城はこれからもいつまでも
孤高で圧倒的な存在感を放ってほしいものだ。

 

19:00 ホテル着。

・今日も商店街に繰り出す。明日は大阪滞在最終日なので、その点に
配慮しつつ歩く。「世界の酒」という京都の友人に持っていく土産を
買うのに最適なお店を発見。少しだけ店内を覗くと、予算内で買えそう
な物も多い。明日寄ることに決定。

 

20:00 夕食。

・オムレツ店を再訪。
ビーフ・ストロガノフ・ステーキ入りオムレツ
という「コレを食わずして死ねるか(゚д゚;)」ばりのオムレツ(のセット)を
即決注文。そして、、美味いに決まっているじゃないですか。
サービス券をまたくれたけど、次回来るのは少し先です。
でも、また必ず来ます。

・前回と同じ近くの古本屋に行く。オムレツを食べて古本屋へGOが
既に黄金パターンとして確立。だが、それも今日で最後だ。以前から
知っていたある書評がワンコインの値段だったので購入。

 

21:00  全日程終了。

・いつもと同じコンビニに寄って帰還。シャワーを浴びてからホテルの
パソコンのインターネットを少し使ってみる。

・買ってきた本を読んでウトウト。23時頃、就寝。
三日目無事に終了。

 

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8月20日(水) 晴れ  第4日目 大阪(四)
--------------------------------------------------

7:30  起床、朝食。

・ホテルのバイキングへ向かう。バイキングは自分にとって
「アウェー」であるからして、、、
と思いつつ入り口を通過。今日は何事もなし。

パスタとスクランブルエッグとソーセージと
味噌汁とオレンジジュース。

    

8:45 外出

・今日は今回の旅の主目的の一つであり、且つ
「青春の日」との決着をつける日である。
JR東西線に乗り、放出(はなてん)で大阪東線に乗り換える。
さらにJR河内永和駅から近鉄奈良線に乗る。

 

10:00 若絵岩田駅着。

・すでに炎天下となっているが、心地よい晴天の下、歩き始める。
駅を出るとすぐに田園風景の中に大きなマンションが聳え立っていて、
今日の訪問先の某作家も若かりし頃マンモスアパートに好んで住んで
いたことを思い出す。

・木村重成(1593-1615)、山口重信(1590-1615)といった大阪夏の陣で
没した武将の墓を見る。木村重成の墓は公園内にあって、山口重信の
墓は一般市民の墓の区画内にあって改修中のようだった。周囲には
戦死した人の墓が一際大きく幾つも在ったのがひどく印象的。
陸軍歩兵、陸軍工兵など陸軍ばかりで、同じ苗字の墓も目立つ。
一つの墓にはこんな言葉が刻まれていた。

昭和十一年 入隊
昭和十九年 七月○日 戦死
行年 二十八才

八年を軍隊で過ごし、大ベテラン兵士として国内外で活躍し、
戦死された時は多くの人々に惜しまれたことが伺えた。

墓地の中央には地蔵があって、雨除けの屋根もあり誰でも焼香できる
ようになっていたが、たまたま訪れただけの自分が焼香するのは
違和感を感じ、手を合わせ、一礼だけして墓地を出た。

・一帯は中小企業が多くある街らしく、トラックが忙しく行きかい
規模の大きくない倉庫や工場があり、工作音が鳴り続けている。
川と畑と工場。少年の頃の環境と似た雰囲気もあり昔を思い出して和む。

・東に向かって、青空の、猛暑の下、ただひたすらに歩く。
目的地に近づくと、辺りは不自然なほどの静けさに一気に包まれて、
真昼間だというのに夕方のように鈴虫の音が響き出した。
「目的地は近い」と確信する。"その作家"の幾度となく描いてきた
点景のイメージだからだ。

・小阪神社という住宅の只中にある小さな神社で休憩と昼食。
住宅音は皆無というほど無く、静かに風が吹く。その作家も何度も
訪れたであろうことが雰囲気から十分に窺えた。思いに耽って
いると、かなり高齢と思われる老人が自転車で来て、鳥居に深く
深く礼をしてすぐに立ち去った。空が蒼い。

その作家も蒼い空と、"風"をこよなく愛した。

 

12:30 司馬遼太郎記念館着。

・本日の主目的の場所に到着。自宅の敷地に記念館が併設されて
いる。入り口を歩いていくと、特集本で幾度と無く紹介されていた
司馬が愛用した書斎が庭から見れるようになっていて当時のままを
再現してある。この書斎から、自分が20代とっくりと酔わされた膨大な
量の作品・紀行文が生まれていった。庭にはこちらも司馬の愛した
木々キンモクセイやクスノキが植えられていて雑然とした感じだが、
整理され過ぎないことが書斎の司馬には大事だったようだ。

・館内には司馬の創作の秘密と生前の資料がみっちりとあるのかと
思ったが蔵書と氏の作品と愛用品の"展覧"という趣向で予想とは
やや違っていた。寧ろ関心したのは安藤忠雄の設計による建物の
方であった。地下を入れると、四階建て程度の構造に大きく吹き
抜けの壁には司馬の蔵書の一部と著書が壁画のように並べられ
ている。地下には映画館と呼んでも差し支えない大規模な映写室
があって、NHK大河ドラマに合わせて播磨灘物語に焦点を当てた
番組が繰り返し"上映"されていた。記念館の全体が司馬遼太郎
を悼み、同時に意思を継ぐ者を待つ有機的な機構となっている。

・二時間ほど堪能して、記念館を出て、帰りにも氏の書斎と庭を
改めてゆっくりと見学した後、書斎に向けて深く礼をした。

20代全部と30代、貴方の作品と思考にはすっかり酔わされました。

-------------------------
「秋風が冷ややかに吹き、
日本晴れの空は果てしなく澄みわたっている。
私は物干台に立って何気なく四方をながめた。」
-------------------------

若干15才の福田 定一少年が、昭和十一年の当時に学友誌に寄せた
文章の、冒頭の一文を読むと、そこには、既に後の国民的作家の姿が
充分に垣間見えることに驚く。"司馬史観"と呼ばれることになる何物か
の影すらも。

「ありがとうございました。」

入り口を出ると、蝉が死んでいた。

  

16:00 通天閣着。

・通天閣の周囲の混沌ぶりを空想して楽しみにしていたが、私が期待して
いた雰囲気はとっくに時代に洗い流されてしまっていた模様。まるで
特撮怪獣のように、取り残されたように通天閣は立っていた。足元の
映画館ではロマンポルノや健さんの任侠映画が上映されていたのが救い
のようにも感じる。

・通天閣の真下でしばらく人間模様を観察。銭湯があることに気付き、
時間的にも調度良いので入湯。500円の"入浴セット付き"で入るが
申し訳なさげ程度の使うのにギリギリな大きさのタオルと石鹸に"大阪"
を感じた。

・露天風呂に入ってにみると、かつての一大中心地とはとても思えない
まるで山奥にでも来たような静けさに驚くと共に旅の疲れを取る。
空には夕焼けが迫ってきた。大阪の旅はこの時点で事実上終わった。

・銭湯から出て、廃れた商店街をブラブラ歩いていると、数日後に
会う約束をしている友人Oから電話がかかって来た。何かと思えば、
会食の場所をメールでやりとりしていたが、"埒"が空かないので
"ライン"にしてくれとのことだった。

これまでの「ライン、便利だよー(^o^)」という程度のニュアンスから、
「ラインにしてくれなけば、(連絡が面倒で)困る(-_-)」
というはっきりと"要請"レベルに上がっていてややビビる。

「ラインてさ、"既読"っていうのあるんでしょ。俺はきっと既読のまま
放置してしまったり、何日も沈黙してしまったりして、気分を悪くさせて
しまうだろうからさ、だから、、(^^;)」と今回も固辞しようとするが

「今更、沈黙されて気分を害するような間柄でもないでしょ(-_-)」
とOの一歩も引かない様子にたじろぐ。

何とか、お茶を濁し、お互いの近況を話し、数日後の再会を約して
電話は切れた。

ラインやSNSなんて、近寄る気はこれまでも今後もないが向こうから
津波のように、騎兵隊のように迫ってくるかのようだ。
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990)でのケビン・コスナー演じる
ジョン・ダンバー中尉にでもなったような気分だ。

「通天閣よ、お前は、今の時代に何を思う?」

空は赤く染まり始めていた。

 

19:00 ホテル着。

・大阪では最後の夜。とくに感慨もなくいつも通り外出。

 

20:00 夕食。

・数日前に見つけてあった小さなステーキ専門店に入る。
フィレステーキのセットメニューを注文。カウンター席に座ると、
店主が目の前でステーキをじっくりと焼き、丁寧に切り分けて
くれた。ご夫婦で経営しているらしく、奥さんと思われる人が
こちらも丁寧に膳を用意して運んでくれた。メインの肉は期待
通りにジューシーであるが、ご飯がやたらと美味くて感動。
米が光っている。産地を聞こうと思ったが店の静かな良い
雰囲気を壊したくなくて黙って食事を愉しむ。

・大阪での最後の滞在と、一時代を共に過ごした作家との区切りの
日を祝して、食後に赤ワインをオーダーし、飲みながら感慨に耽る。
かつてなく余りにも順調な旅を素直に喜んで、店のご夫婦にも
礼を言って店を出る。オムレツ店と同じく再訪店にエントリー決定。

・昨夜見つけた「世界の酒」なる店に行く。京都の友人への土産の
酒を物色。焼酎、日本酒、ウイスキー、ワイン、、ワインの棚を
しばらく眺めていると、自分のハンドル名と同じズバリ
"KURONEKO"なる銘柄を発見。スペイン産の白で値段もお手頃。
コレに決定。割れないようにプチプチを巻いて包装してもらう。

 

22:00  全日程終了。

・明日の朝、朝食を済ませたら、すぐにチェックアウト出来るように
荷物をまとめる。買った本が加わった分、重くなった。。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

<=== Back                      To be continued ===>

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2014年9月15日 (月)

旅2014 「東京~大阪~京都(一)」

旅2014 「東京~大阪~京都(一)」

 東京から、大阪を経て、京都へ向かって旅に出た。
まだ立ち入ったことのない"街"をこの目で見、触れる為に。
友と再会する為に。
愛車の某ビッグバイク(HONDA 1500CC)"黒王"は、
今回はお留守番。。

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8月17日(日) 晴れ  第1日目 東京→大阪
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7:00  起床。

・今回はバイクの旅ではないのでとても楽チン。
(バイクの長旅はとても楽しいけれでも積み込みと荷造りが大変)

 

8:45  (豪奢にも)タクシーを呼ぶ。

・着替えやら何やら詰め込んだバッグを道端に置いてタクシーを待つ。

・なんとなく感傷的な気持ちになる。そして、この「感傷的な気持ち」が
いつも自分の旅のスタートで必ず起こることであり、この感情が起こる
からこそ旅が始まったとも言え、独りテンション上がる。ほどなくタクシーが来る。

出っっっ発!!行ってみよう(~~)/

10:30 東京駅着。

・早く着いてしまったので「銀の鈴」で出発時刻を待つ。朝食のパンをかじり
つつ同じく出発を待つ人々の挙動を観察しているとそれなりに飽きることなく
時間は刻々と過ぎていく。

・出発時刻を待つ人々の顔は一言で表現するならば
「哀」
であり、
小津安二郎の「東京物語」(1953)を漠然と思い出す。
笠智衆と東山千栄子が演じる老夫婦そのままに誰も彼もが行き場を失って
孤立しているかのよう。

 

12:20 東京駅発。

・車中の窓から次々と後方に過ぎ去っていく人家を眺めていると、
様々な思いが去来する。どこにでも人は住み、そこには何かしらの
暮らしがある。ただそれだけのことが、自分には何だか面白い。

・次第に大阪に近づいて来ると、突然、猛烈な雨が窓を激しく打ちつける。
「やはり雨か、、自分は雨男だから仕方がない」
と思っていると僅か数分で止む。止んだというよりも降雨圏内を
新幹線が通過しただけの話。

「雨、晴れ、雨、晴れ、雨、、、」
遊戯のように天気がまるきり異なるエリアを交互に過ぎて
新幹線は、西へ西へと向かう。羊を数えるように天気の入れ替わりを
数えるうちに連日の仕事の疲れと旅が始まった安堵感から心地よく
眠りに落ちた。

 

15:00 新大阪駅着。

「起きてくださーい」
駅員の大声で眠りは破られた。
新幹線はとっくに停止していて、自分が最後の乗客の模様。
外には次の出発を待つ人々の列が。

・ホームに降りると真夏特有の"ムッ"とする暑さに瞬時に包まれた。
そして、この暑さは懐かしい「夏休みの匂い」がした。

 

15:30 大阪駅着

・大阪駅に着いて、さらに自分のホテルの最寄駅にたどり着くために
北新地駅を目指す。夏休み中ということもあってか、人ででごったがえす
大阪駅は、すでに東京圏とは明らかに異なる雰囲気があって、東京は
どことなくどこもかしこも、誰にとっても「アウェー」感が漂う巨大な街で
あるのに比べ、こちらの人々は「ホーム」にいるような安心感を持っている
ように感じる。

・"コロコロ"(車輪)が着いていない運動部の学生が担ぐような
でかいバグを背負って猛暑の中をひたすら歩いていると、旅行を
しているのか修行をしているのかと一人思うが、好きでやっている
のだから当然旅行っしょと自分に答えてひたすら歩き続け北新地駅に着く。

 

16:00  ホテル CI。

・JR東西線に乗り、大阪天満宮駅で降りる。ホテルは駅からすぐ近い
らしいが指定の出口を出ても全く見当もつかない。電話をすると

「西に向かってください」

とのこと。
どっちが西かと太陽を仰ぎ見て時刻を確認するも疲れからいまひとつ
判断出来ず。

「西ってどっちですか」

と恥も外聞もなく尋ねると高架の見える方に向かってください。
との回答。ほどなくホテルに到着する。なかなか綺麗なホテル。
これから四日間お世話になる"本陣"である。

 

17:00  中之島周辺を歩く。

・荷物を部屋に置いてしばしの休憩の後、さっそく出歩いてみる。
ガイドブック片手にとりあえず商店街を抜けて中之島方面へ。
緒方洪庵(1810-1863)が主催したという適塾の跡地に向かってみる。

・適塾の周囲は当然ではあるがすっかり開発されているけど、
ほんの僅かに古い建物や通りの名残りがあって福澤諭吉・橋本
左内・大村益次郎など有名・無名の維新の立役者達が勉学に
勤しんだり時には熱く議論しながら歩いたに違いないだろうと
空想しながら周辺を散策する。橋を幾度か渡って土佐堀川と
堂島川を行き来する。

・日は落ち、どこを歩いているか判らなくなり疲れも出てきて焦る。
交番で現在地とホテルに帰る方向を聞いて何とか帰還。
足も痛くなってくる。初日から歩きすぎ。スニーカー持ってきて正解だった。
明日からはスニーカーにしよう。

 

19:30  夕食。

・着替えをして再度外出。商店街をブラブラしばらく歩いて良さげな
オムレツ専門店を発見して入る。こじんまりとした店内と忙しそうに
響き続ける調理の音と多様なメニューを見て「当たり」であることを確信。
オムレツのセットメニュー(サラダ・スープ付)をオーダーする。

・オムレツを食しながらガイドブックを眺め
「日本一の長さの商店街が近くにあるのか。。滞在中に行ってみよ」
と思いつつ付属の地図と照合させると今、自分がいる通りがその商店街
だと知る。

・オムレツは期待通りボリュームと味と申し分なく、何よりも腕のよい
コックが"調理している感"が嬉しくてもう一度来ることに決める。
都合よく次回すぐに使えるドリンクサービス券をくれた。

・店を出て、改めて通りを眺めると確かに日本一の長さを謳う
だけあって商店街は延々と果てしなく続いていて終わりが見えない。
数日間滞在するので商店街を踏破するのは昼の日程を終えた夜に
しようと決める

・ホテルとは反対方向に少しだけ商店街を進んでみるとよい感じの
古本屋を発見。店は大きくはないが棚のレイアウトにこだわりが
感じられて嬉しくなる。

・しばらく立ち読みして一冊だけ購入。古今東西の「地獄」に関する本。
後書きをちら読みすると、筆者は誰よりも三島由紀夫に激しく影響を受けた
とか。一体、三島由紀夫というキーワードはどれだけ自分の前にたちはだかる
のか、あるいは単に自分が三島の足跡周辺をウロウロし続けているだけ
なのか、、と苦笑しながらもレジへ向かう。

 

21:00  全日程終了。

・コンビニに寄って帰還。シャワーを浴びて、ベッドに大の字になる。
ガイドブックを眺め、明日以降の予定を確認したり、買ってきた
"地獄の本"を開いてつまみ読みしてみたり。23時頃、就寝。

旅は、始まった。

 

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8月18日(月) 晴れ  第2日目 大阪(二)
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7:30  起床、朝食。

・ホテルのバイキングは未だに慣れない苦手なもの一つ(でも楽しい)
で自分にとって「アウェー」である。その証拠に、早速自分が席に着こうと
すると係りが慌てて寄ってきて"朝食券"を出せという。
「そんなものは貰っていない」と一悶着。チェックインの時に何も説明も無く、
鍵以外渡されるものものなく嫌な予感はしていた。予想通りホテル側のミス。
「アウェー」だから全く気にしない(←気にしてる)。

・バイキング自体ひどく久しぶりなので何をどれだけ取ればいいか
要領がわからず何度も席と料理コーナーを往復してしまう。
取り過ぎたようで食べ足りないような。。明日はもっと上手くやろう。

 

8:45  外出

・前の晩、ガイドブックを読み込み、手帳にも今日の予定と行き先と
使用する交通機関をメモするが、ホテルから一歩出ると何もかも
判らなくなる。どっちがどっちやら。。(ーー;)まるで外国旅行気分を
朝から堪能。

・南森町駅(大阪天満宮駅とほぼ隣接)から地下鉄谷町線に乗る。
まったく初めての路線に乗るのはとてもたのすぃ。しかも、平日で
あることが楽しさに拍車をかける。

・谷町四丁目駅で降りる。

「ナンバノミヤ公園」はどこでしょうか?
と交差点でおじさんに聞くが、怪訝な顔をするが地図を見せるとすぐに
理解してもらえた。
「ああ、難波宮(なにわのみや)ね。そこ左折すればすぐですよ」
阪神高速を見上げながら歩く。法円坂と呼ばれる緩い坂を上ると、
あった。同時に、"生"大阪城を初めてこの目で見る。

 

10:00  難波宮跡公園着

・日本を揺るがしたクーデター大化の改心(646年)の舞台であり、
その当時の首都(前期難波宮)であり、その100年後にも首都機能を
担った(後期難波宮)という壮大な歴史の詰まった公園であるが、、
管理はどうもイマイチな感じ。そして、イマイチな理由をこのすぐ後に
理解することになる。イマイチではあるが、国の史跡に認定されている
公園だけあって、余計な物が一切ない(再現されているごく一部の宮殿跡
のみ)ところに想像力を働かせる余地はあって公園中をゆっくり歩きまわっ
てみる。

・後で知ることだが、この辺一体は広く岩盤が強固であって、難波宮跡の
ほど近くにある大阪城は丘の上でありすぐ後ろは昔より河が流れている
という地形上の優れて大きな利点があって難波宮に遷都した人々もそれ
から1000年近くも後になる豊臣の時代にも優れた土木の技術と見識が
あったと思われる。大阪の長い繁栄の歴史は都市機能や人知だけでなく、
それを維持できる地の利があった。

・1時間ほどゆっくりと散策をして、夕方の、陽の落ちる時刻にまた来たい
ものだと思いつつ公園を後にする。

 

11:00  大阪歴史博物館着

・目の前のそびえるような巨大な大阪城を見ようか、日程に充分に
余裕があるので後回しにしようかとゆっくり歩を進めているうちにすぐ
近くの大阪歴史博物館で調度「難波宮」をテーマにした大規模な
展示会がやっていることに気づく。しかも今日までということでせっかく
なので入館する。

・入館料1000円は高いかと思ったが、間違いなく「世紀の大発見」で
ある難波宮は戦後の発見であることや、今日までの理解の浸透と
史跡の指定は山根徳太郎(1889-1973)の個人的な尽力に負う点が
かなり大きい点、難波宮の存在を先に確信して山根徳太郎に瓦を
託した置塩章(1881-1968)との人間味溢れる出会いと邂逅の軌跡の
ドキュメンタリーや発掘現場の作業日誌など、地味であるが落としては
ならないであろう展示物が充実していて思わぬ大きな収穫となる。

・戦前・戦中・戦後も「人の無関心」と縦割りの組織機構が事実や
真実を覆い隠し、寧ろその弊害が最も顕著に出て難波宮という首都が
確かに在ったという事実を葬り去ろうとしていたのは戦後というどの
時代にも増して無関心・無神経な時代だったということが図らずも
浮き彫りとなっている。いや、浮き彫りにすることをきちんと"図っている"
人間が企画者の中にいると信じよう。大阪と日本のより良い未来の為に。

・"Mr.難波宮"である山根徳太郎を失ってから時代は流れ流れて、
公園の管理はどうもなおざりにされている感が否めない。気のせいで
あることを大阪の行政と府民に期待して、再び炎天下ではあるがやたらと
快晴の空の下、歩き出した。

 

13:00  空堀商店街着

・今日の目的地の一つ、空堀商店街に到着す。

・涼むためにたまたま入った店の人に商店街や大阪自体について
色々とお話が聞けた。遥か昔から城があったり、都があったりしただけ
あって一帯は地盤が強固でもう20年ちかくも経った先の地震でも大した
被害もなかったとのこと。古くは戦時中の空襲にも充分に良く耐え、
掘ればまだまだ様々な時代の発見があるだろうとのこと。大阪の道は
南北は"筋(すじ)"と呼ばれ、東西は"通(とおり)"と呼ばれることなどなど。

・商店街としては珍しくアップダウンがかなり大きい。印象としては、
余り外部の観光客目当てにしようという気負いも感じられず、周辺
住民の消費活動できちんと機能している雰囲気は気分を和ませた。

・そうはいっても全国の多くの商店街と同じように全体としての疲弊は
感じられることは感じられ、自治体の財務状況や今後の少子化を
合わせて考えると

生活全般・人生設計そのものを全て各個人による労働による稼ぎで
何とかしろ(何とかなる)という時代はもう終わるのかもしれないな。。

などと考えながら、適当に定食屋で遅い昼食を摂ったり、喫茶店で
コーヒーを飲んだりして商店街をしばらくウロウロする。規模からして
魚屋さんの比率が大きいような気がするが、「天下の台所」の名残り
なのかどうかとも。

・レトロな雰囲気の残る町並みに癒されつつ、歩き続ける。

・教わった通りにガイドブックの地図を改めて見ると、なるほど南北の
道は○○筋となっていて東西は○○通となっていることに素直に関心する。

・時折りコンビニでクールダウンとトイレ休憩をしつつ谷町筋を南下して
いく。谷町というだけあって、自分の歩いている通りはちょっとした丘と
いってよく町全体が坂の下にある地形であることがよく判る。

 

16:00  四天王寺着

・歩き回るのが楽しくてつい時間配分のペースを考えずに迷ったりも
してようやく到着。拝観時間は終わった模様。かなり疲弊していたので
ややショックであるが諸事についてタイミングが悪い方に転ぶのは幼少より
慣れているので気にしない(←気にしている)。

・せっかく来たので辺りを歩いていると五重塔への入り口が拝観時間を
過ぎているのに狭く開いていることに気づく。守衛さんに尋ねてみると、
悪天候で順延になっていた法要をこれからやるので入って観ていても
良いとのこと。

・何百本にもなるであろう蝋燭に数人がかりで火が灯され、ほどなく
僧侶の方々が4人来て一斉に読経が始まる。厳かな雰囲気の中で
朗々と響く声に耳を傾けつつ、旅の安全と、なかなかヘビーだった
今年の出来事(主に仕事面)やこれからの事について思いを巡らし、
色々と祈念する。

・傾き始めた陽と、入道雲と、澄んだ空と、鎮魂の読経と。
今回の旅が良いものになるであろうことを確信する。

・四天王寺を出て、周囲を何となく歩いてお寺と見れば入ってみる。
仰ぎ見ると、通天閣がほど近いところに見える。日程中に行ってみよう。

・戊辰戦争での東軍(幕府側)戦死者の碑を見つける。当時、まだ勝敗の
決しない中で、"最後の将軍"徳川慶喜は松平容保等と大阪城を密かに抜け
江戸へ"脱出"する。そして、そのことが戦の趨勢と幕府の完全な終焉を
決めたともいえる。慶喜と、残された幕府側の兵達、それぞれの心中やいかに。
松平容保はその後も会津の人々と共に西軍と対峙する最前線に立ち、
21世紀の今にも癒えていない深い傷跡を残す辛酸を舐めることになる。

・本日の日程は消化し、谷町線の最寄駅を目指す。滞在二日目にして
とりあえず谷町線にさえたどり着けば帰れるところまでは地理を理解する。

・友人からメールが届く。これまで何度か受けていた試験に無事合格
したとのこと。旅から帰ったら祝杯を上げる約束と休暇の日程消化が
順調であることを報告する。

 

19:00 ホテル着。

・今日も相当に歩いたので疲弊するがとても心地よい疲れでもある。
着替えて、商店街に繰り出す。

 

20:00 夕食。

・商店街の始点(または終点)まで歩いてみる。日本一というだけあって
長く、かつ時期的なものもあってか人手もまんべんなく多い。

・思案した挙句に結局、当たり障りのないラーメン店で晩飯。

 

21:00  全日程終了。

・昨日と同じコンビニに寄って帰還。シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。

・机に向かいガイドブックを眺めつつ、大阪での残り二日の日程を詰める。
行きたいところは幾らもあるが、余り詰め込まないように注意して当初
考えていた案を調整。23時頃、就寝。 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

To be continued ===>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

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